『アフガニスタンの診療所から A Report from the little clinic in Afganistan』 (ちくま文庫) 読了

アフガニスタンの診療所から (ちくま文庫)

アフガニスタンの診療所から (ちくま文庫)

カバーデザイン:間村俊一
カバー写真提供:毎日新聞社
著者写真提供:ペシャワール会
解説:阿部謹也

ほかの人のブログで著者の本を見て、その後図書館でこれを手に取り、
いまSFばっか読み続けて食傷気味でもあり、それで、借りました。

最初は、頁35、ザミンダール(地主)とか、
農村では農具とならんでライフルが不可欠のものであるとか、
行ったことはないけれど、なっつかしいと思って読みました。

で、この本は、らい病の本です。著者はらい病のためにアフガンに行って、
らい病のために現地診療を継続拡充させるため苦闘したわけで、
それが、たぶん、ほんとうのメインです。私は、らい病、レプラ、ハンセン病
について、映画の「あん」とか「ベン=ハー」とか、Wikipediaとか、
ブンガクとか、読んだり見たりしたと思うのですが、本書で、初めて理解した、
と思います。今までなんだったんだ。頁42、慢性の細菌感染症で、
治療薬があって完治可能で、しかし神経障害や麻痺、それによる器官等の変形や、
喪失は、戻らない。頁77の、足が傷んだり壊疽起こしても気づかないため、
穴があいてしまうのを防止するためのサンダルを、現地の職人に作ってもらう。
(外国製は受け入れられにくく、また援助慣れを引き起こすかもなので)
こういう箇所を興味深く読みました。

異文化摩擦の中での仕事については、頁54、名指し糾弾はしないが、
自分の胸にだけしまっておくとナメられるので声高に言いまくる。
(備品のコソ泥等に対し)これ、面白かったです。
また、デモをするような中学生たち(パシュトゥンとまた違う都市住民で、
高等教育を受けられる時点でもうアレ)に投石された時は、
足元の煉瓦をおもくそ彼らの真ん中に投げ返してます。
ライフルを構えた門衛も、通行人も、著者に味方した。頁96。

ふっと思ったのが、著者って、ドスタム将軍でしたか、ハザラ人?に、
似てないですかね。少数派なのでいぢめられるハザラ人。似てないか。

頁82
 技術的にも、多くの赴任者にとって「らい」はまったく新しい分野で、たとえ必死に学んでも、役立ちはじめるころは帰国になってしまう。また習得したことばや技術は日本ではほとんど役立たない。帰国してもその経験は無用なブランクと見なされるのである。こういう状態であるから、計算高い者は来ないどころか、赴こうとする者に冷たい視線さえ投げかけるということもおきてくる。得になることは何もないのである。
 このような中で黙々と地味な仕事に従事する看護婦は、なんの脚光も浴びず、なんの報いもない。ただ、かけ声のわりに「患者とのふれあい」の少ない日本の医療現場で失われたものを、満喫することは十二分にできる。これを喜びとする者だけが困難にたえ得た。

別の個所で、愛想よくすると気があると思われるし、淡々とやると憎んでると思われる。
著者にもその辺の現地の機微は分からないとあり、上記だけで終わらない、
愛憎ももてなしも敵対も日本に比して数倍の、濃ゆい社会が分かります。
著者は、歓待リーオゴの誘いは、本気で受けると相手の負担になるので受けないとか。
女性ワーカーは男性患者への対応がネックですが、しかし女性患者考えると、
絶対必要で、(同性でないとブルカの下見せないでしょうから)
で、読んで思ったのが、執筆時点と異なり、
今はイスラムもグローバルなので、女子教育の高い地域、マレーシアとか、
インドネシアとか(あとエジプトとかだけど、来ないだろう)から、
女性ワーカー呼べないかと思いました。ダメかな〜親反対するか。
中国回族はどうかな。来るような気がします。

イスラームへの回帰―中国のムスリマたち (イスラームを知る)

イスラームへの回帰―中国のムスリマたち (イスラームを知る)

カブール出身者がパシュトゥン医療の従事にゴッツンして、
いやです辞めたいみたいになる例が多い、という箇所見ると、
ムスリム同士だからオッケーなんて、口が裂けても言えないのは分かるんですが。

頁62、頁69、アブドゥル・サタールの物語は、
『牧夫フランチェスコの一日―イタリア中部山村生活誌』を思い出しました。
アフガンと前世紀のイタリアでぜんぜん違うはずなんですが、似ている。
みんないっしょなのか。
読書感想 http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20141114/1415965403

牧夫フランチェスコの一日―イタリア中部山村生活誌 (平凡社ライブラリー)

牧夫フランチェスコの一日―イタリア中部山村生活誌 (平凡社ライブラリー)

頁104、中身のない海外医療協力との決別の場面、
実は私も、面識ないのですが、縁者に、ナントカなきカントカ団、
のしとがいるらしく、監獄なのにヒルトン、の国にいるとかで、
シンセキが大挙して、縁者がいるうちに観光しとこう、で行った時、
私に知れると、マニアックな土産物要求してくるので、
黙って行ってしまった、ことがあります。
そら知ってたら下記お願いしてましたよ。あの国医師団必要なんかな。
ふしぎ盆栽ホンノンボ (講談社文庫)

ふしぎ盆栽ホンノンボ (講談社文庫)

ほかの人もブログで、著者が死なないのは僥倖、絶対もってる、
的なこと書いておられますが、
この本時点の1993年と文庫化の2005年から現在を仰ぎ見て、
悪くなるばかり、としか言えない状況ですので、
別にそれで日本で暮らしてる私が暗くなる必要はありませんが、
治安を鑑みて、ご安全に、と思います。
本書を読んだ人は多いと思いますので、書いてあることですが、
現地との絆がいっくらあっても、テロを起こすのは現地人ってわけでもない。
離間工作分断工作etc.あるわけで、黒幕は欧米とソ連だけってわけでもなく、
本書の時点では、オイルマネーを前提としたアラブ系としか書かれず、
文庫あとがきで、初めてタリバンと書かれた、
他地域から流入したイスラム原理主義組織、ファナティックな連中もいるわけで、
本書では中国は欧米がゲリラに供給する武器を買い付ける相手として登場しますが、
購入停止は困るでしょうし、さて、ノリンコ。

パキスタンでいちばん最近のだと例の『イスラム飲酒紀行』、

カラチで、アル中治療用にのみ酒類販売が認められてるホテルの話。で、
アフガンというと、レスリングから議員になった人の、褐色の大地とか、
アフガン褐色の日々 (中公文庫)

アフガン褐色の日々 (中公文庫)

梅棹忠夫が「ツ=バイダ(おまえ何しに来たんだ)」と言われたモゴール族探検記とか、
モゴール族探検記 (岩波新書 青版 F-60)

モゴール族探検記 (岩波新書 青版 F-60)

ソ連侵攻前のは思いつくのですが、侵攻後は、グラップラーのお父さん、
範馬勇次郎がシャルワールカミースの民兵を殺しまくる絵くらいしか、
思いつきません。その意味で、私も、下記と同じかと。

頁90
ベトナム反戦でわいた日本の平和勢力も、「アフガニスタン」については一般に無関心だった。

こういう記述に対し、いや実はこれこれこういう声を上げてました、
と言う人がいるかもしれません。それをアリバイ闘争と言い切る知識はないです。
この辺りの記述にしても、知らないことが多いです。清郷作戦やったんですね。
これは日本も国府も華南で八路ゾーンに対しやったはず。

頁89
農村社会という「封建制の温床」そのものを破壊し、人口を都市に集中して管理するという、現地庶民にとっては迷惑千万な戦略が実行されたらしい。この内戦中にアフガニスタンの全農村の約半分が廃墟と化し、二〇〇万ちかくが死亡したと見られている。全土で六〇〇万人、北西辺境州だけで二七〇万人にのぼる難民はこうして発生した。

文庫あとがきでは、内戦、国際政治以外に、地球温暖化?による、
ヒンズークシュ降雪減少による旱魃が、民衆を苦しめた、と、
爾後判明した点を、追記しています。

頁215
旱魃アフガニスタンにやって来たのは、二〇〇一年一月、国際救援ではなく国連制裁であった。一〇〇万人が餓死に直面する中、国連制裁発動の初期、「食料制裁」まで含まれたのは忘れがたい。これによって、タリバーン政権内の急進派の主張が勢いを持ち、二月のバーミヤン石仏破壊が強行された(元タリバーン政府外相の証言)。

バーミヤンにそんな因果があるとは知りませんでした。
著者は、タリバンに対しても、是々非々のフラットな態度なんですね。
すごいことだ。ここで本書以降の著者の活動の、井戸等が絡むのですが、
本書頁204の欧米批判で、モンゴルでさえこんなジェノサイドはしなかった、
と書いてあるのを読んで、モンゴルのカレーズ(灌漑地下水路)破壊は、永遠に、
取り返しがつかなかったっていう話を、ちょっと思い出しました。
話を戻すと、下記も知りませんでした。そんな自由だったのか。

頁88
 当初は、アフガニスタン北部に隣接する同一民族の旧ソビエト共和国、トルコマン、ウズベク、タジクなどから主力部隊が投入された。しかし、「イスラム同胞の解放」を説かれてやってきた兵士たちの間には厭戦気分が広がり、次つぎとゲリラ側にねがえった。このため一九八二年ごろから、直接ヨーロッパ系の部隊がしだいにとってかわった。

ほかの方のブログのコメント欄見ると、著者の意志に賛同して、
そしたらペシャワール会に入るっしょ、で、入ってる人のコメントがあり、
そうだよなあ、と思いました。私の場合、イスラムだけでなく、
チベットにもなにがしか送りたいのですが、知ってるとこも人が変わったみたいだし、
でも何かと理由をこねて何もしないのももうやめときたいし、です。
実は宗教、みたいなとこに勉強代っつーのは無論イヤですけど。
ここでも、そういう人が来たりして、それはそれでおかしかった。

頁201
 人びとは自分をおびやかす外圧にたいして果敢に武器をとり、そして今同一の単純な動機で戦を拒否して武器を農具に持ちかえ、なにごともなく元の世界に帰りつつある。日本やベトナムが自分を近代化することで外圧に対抗し、やがて自らも「近代」の重圧に悩むという構図はここには見られない。今、平和な山村生活の中で、あの獰猛で勇敢なゲリラたちが笑顔で農作業にいそしむ姿は、感銘さえあたえる。

著者も佐々木徹『アフガンの四季』(中公新書)読んでるんだろうと思いました。
カブールを室町時代になぞらえた描写は、説得力があった。
でも、事実として、彼らが武器を置いて戦争前の日常に帰れたわけではなく、
戦争もありつつの日々に拘泥し続けることは、著者にも予想がついていたろうし、
頁157、著者が現地スタッフに、ウソも方便で演説して収める場面がありますが、
上記頁201は、ウソでも著者が日本の読者に対し、収めようと思ったのでは、
と思います。戦争がないと困る外国人兵士、単調な村に帰りたくないハンパな学歴者。
アフガンも、パシュトゥンも、こう言い切って終われる時代が終わった。以上