『永井龍男全集 第十一巻』読了


表紙の浮き彫り。「龍男」です。

装幀 原弘 

著者の写真(たばこをくゆらす横顔)あり。対談二編収録。あとがき、解題あり。

付録の小冊子に小文を寄せてるのは下記三方。

石原八束 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E5%85%AB%E6%9D%9F
芝木好子 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E6%9C%A8%E5%A5%BD%E5%AD%90
長谷川湖代「ギャラリースペース 銀座 長谷川画廊 HASEGAWA Art Gallery 画廊のご案内」より
https://art-gallery-hasegawa.jimdo.com/%E7%94%BB%E5%BB%8A%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85/

河盛好蔵『人とつき合う法』に出てきた、『酒徒交伝』が収録されてる巻ということでカリマンタン、否、借りました。河盛好蔵の酒癖も出てきます。

2018-09-23『人とつき合う法[新装版]』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180923/1537708312

国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001546136-00

永井龍男 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E9%BE%8D%E7%94%B7

大半が、同業者について、物故した際、どこかから頼まれたのか書いたエッセーです。物故者の文章や、他の人が物故者を評した文章の、引用もけっこう多いです。井伏鱒二の思い出だと、かなりの確率で、たこのぶつ切りをくれえ、が出てくるような感じ。青山二郎小林秀雄で女性が出てくるということはないです。戦前は文春の編集者だったから、守秘義務でもあったのか。戦後はGHQ公職追放され専業作家になったと自分で書いています。

ので、巻頭は菊池寛の思い出。それまでの「講義録」を「講座」と言い換えて広めたとか、高学歴女性のための事務職をたくさん創出したとか、座談会、インタビュー起こしの記事を創始したとか、ザラ紙、藁半紙を紙面に使うモットーとか(すべて頁17「終焉の菊池寛」)

久米正雄はうるう年の二月二十九日になくなったので、一周忌は三月一日におこなったとか(頁77「久米さんと僕」)

頁107「高田保さんのこと」に出てくる『ブラリひょうたん』まさかの図書館蔵書ありでしたので、読んでみます。いつか。

高田保 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E4%BF%9D

頁139「チェホフ叔父さん」作者がチェホフを読んだ時代は、英訳からの重訳が多かったので、ロシア人でないチェホフ像が作者のなかで確立され、神西清の訳でちゃんと再読し始めて、チェホフ像を修正していったと書いてあります。『犬を連れた奥さん』の犬が、スピッツである由、再読後分かって明確な人物像を脳裡に結ぶことが出来たんだとか。

頁223「便利ちょうほうなケンゾウ・ナイフ」中島健蔵という人が、いまの私がアンドロイド型ガラケーでなんでも撮影してしまうのと同じやまいにとりつかれていて、数種の重い重いフィルムカメラを片時も手放さずかかえてあれやこれやをパチリパチリとやっている、と書かれていて、作者は、道楽とは、フィルムを浪費することではないのである。と斬り捨てています(これはワルグチを書こう企画だったのであえてそう書いているそう)

中島健蔵 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%81%A5%E8%94%B5

頁227「へっぽこ先生」川上澄生疎開先は北海道の白老だったとか。「寂寥地方」という詩を読むと、都築響一『天国は水割りの味がする 東京スナック魅酒乱』に出てくる白老とあまりに違って殺伐としているので、いつか行きたいと思う心にブレーキがかかりました。

2014-09-29『天国は水割りの味がする 東京スナック魅酒乱』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140929/1411996495
川上澄生 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%BE%84%E7%94%9F

作者は俳人でもあるので、鶴川の床屋酒害俳人石川桂郎も頁237あたりから出てきます。大物から郷土の文人まで、幅広くカバーしてる全集だと思いました。

頁267、オール讀物編集時代の作者が野村胡堂に、銭形平次連載打ち切りを宣告したところ、一年間原稿料無料でいいから連載を続けさせてほしいと胡堂から反論された話。別に読者アンケート下位だったわけでなく、オール読物が売れないので、編集方針転換で、連載物はすべて取りやめることにしたからということなのですが、胡堂はそれに対しても、一話読切の形式だからいいじゃん相反しないじゃんと反論したとか。じゃんか言葉は使ってないでしょうけれど。おかげで名作がフイにならなくて済んだ、自分がフイにしなくて済んだと作者は安堵しています。

酒徒交伝は、まあまあの長さの文章ですが、思いつきで書き進めていくので構成が狂っており、あいうえお順に酒徒の名前とエピソードをつらねていくのですが、耳タコみたいな井伏鱒二たこのぶつ切りをくれえがまたあったり(省略はしない)なんだりで、カ行にやっと入ったと思ったらア行の人物を思い出してまたア行にもどり、ふたたびカ行に入った頃にはもうどうでもよくなったというか字数が足らないので何行でも書きたい人物を書き連ねてブツッと終わります。
奥付の篆刻みたいなモノ。

頁303「酒徒交伝」
 酒吞みというものは、酒をやめる人が出るのを、とても淋しがる心理を持っている。大佛さんが復党したのは、近頃力強いことの一つである。
 上戸にもいろいろある。
 傍から見ていれば十人十色だが、だいたい味をたのしむ人、酔い心地をたのしむ人と、おおまかな区別はつきそうである。
 家では杯もコップも手にしないと云う酒好きがある。理由として、世帯染みた晩酌という習慣が嫌なのだともいうし、晩酌は頭を悪くするという人もある。家で吞み外で吞むわれわれには耳が痛いが、膳に燗徳利の添わない夕食などは、侘し過ぎて入院しているような気になる。
 独酌を無上のものとする人もあるし、相手がなければ酔いの出ない淋しがりやもある。
 独酌の好きな人に気の毒なのは、この頃それに相応しい店がなくなってしまったことで、一人でも多く客を収容するような構えにどこもなってしまった。
 俺は通夜で吞む酒が一番うまいと云えば、少々落語めくが、事実そんなことを云った人があり、自分の通夜の晩をあれこれ想像して面白がっていた。
 そう云われてみれば結婚式の酒宴なぞは、もっと吞んでいたくても新郎新婦が発つとなれば切り上げなくてはならない。御本尊が棺の中にゆっくりしているのが通夜だから、どうしても落着いた酒の味になる。
 もし神さまが、たった一つの願いごとを許してくれるとすれば、あの晩棺から出て、この世とあの世の境目の酒の味を、親しい遊人達と酌み交わし、それから心おきなく三途の川の方へ旅立ってみたい。普段はとかく小癪に触った男とも、嘘ばかりついていた奴とも、しんみり話し明した末のことで、足もとの多少フラつく位は、青鬼も赤鬼も大目にみてくれるであろうと、その人は云った。
 火事見舞いの先きで振舞われる酒の味は、桂文楽が「富久」の中で、聴き手の涎れを誘うほど巧みに噺してくれるが、あれと似た味に校了日の酒がある。

仕事がうまくいった仕事明けは今でも要注意です、自分の場合。しかしここで匿名になってる人は誰なのか。

作者は甘い味つけが嫌いみたいです。

頁313「酒徒交伝」
 文明国ほど砂糖の消費量が多いというが、どうも味覚とは別の話のようだ。
 東京の支那料理なぞがよい例で、どこそこの店がうまいと評判が立ち、事実これはいけると思っているうちに、急に甘ったるい味に変わってしまう。コックが悪いのか客が悪いのか知らないが、日本人の出入が繁くなるともう駄目だ。
 勿論甘口をたのしむ料理もある。それはそれで結構なのだが、なにもかも甘くしてしまってはもうお仕舞いで、白菜の根の漬物だけ食べて、もう来まいと腹を立てる。
 日本料理も同様である。見てくれが派手になるばかり、ただ甘口にさえすれば高尚だと思っている。もう直きに、板前の方にも草月流が生まれるだろう。
 人手の足りない店は別として、酒吞みを客とする商売ならば、せめて酒だけは辛口と甘口の二種類を常備すべきだ。甘口の酒も、燗のよいうち杯に二、三杯はうまいものだが、すぐ飽きがくる。

私の中国語の先生は、日本にいると砂糖を多く摂るので白髪が増えると言っています。そういうものかな。

私がここで各人物にWikipediaのURLをつけているように、作者も各人物に雑誌キング別冊付録「今日の日本を動かす、各界の人物新事典」から紹介文を引いています。

頁342、白頭山節の歌詞が、「一人息子を戦地に送り、きょうも繰るくる糸車」というのですが、検索して出てくる歌詞と違います。替え歌がたくさんあったそうで。

頁347「黒いソフト」
 氏と論争する酒友が、氏に対って拳を振る光景を、私は数度にわたって見たことがあって見たことがある。そんな場合も、「痛いな、よせよ。よせよ、痛いよ」と繰り返しながら、身を避けようとはせず、なお相手に向かって自己の所懐を述べることを中止しない。相手がなぐり疲れることを氏は確信しているようであった。
 そして、また、相手が涕泣に至るか、殴りかかるかまで追い詰めなければ、酒の味が身に染みないという風な趣味性が、氏のうちにあったのも確かである。

氏は、小林秀雄です。青山二郎は、夏の伊豆の避暑生活でヨットとか乗ってる以外は☀太陽を避けて昼夜逆転生活をしてたとかで、しかし、頁287に、起床してすぐ洗濯用粉石鹸をふんだんに投入した風呂につかる習慣があって、結城の上下を着流した彼はいつも清潔に見えたとのことです。よく洗い流してるのかどうか、そんな湯船で皮膚大丈夫だろうかと。以上