英語までタイトルに入れるとはてなブログの字数制限に引っかかるので、外務省公式英語版からてきとうにきりばりした英題は下記。
"The Annex to the Diplomatic Archives Ministry of Foreign Affairs houses an Exhibition Room Special Exhibition: "Japan and Poland – In Commemoration of the 100th Anniversary of Japan-Poland Diplomatic Relations" and The Permanent Exhibiton."
Special Exhibition and Planned Exhibition Archives | Ministry of Foreign Affairs of Japan
外務省公式英語版の外交史料館特別展示の記事は、2017年度で更新が止まっています。担当者退職でもしたのか。
飯倉のイタリア料理店キャンティの目の前にありますので、せっかくだから入りました。渋谷から新橋に行くバスが停まるバス停があります。大久保から新橋に行くバスは違うルートかな。調べてません。
本館入口
本館入口の脇には灰皿があり、煙草が吸えます。近隣の機動隊の休憩場所も施設内にあるらしく、雨合羽を着て、これから濡鼠になる隊員さんたちが、悲愴な顔で出撃してゆきました。
本館前の「外務省」という看板。後述しますが、省庁の中では最も入館チェックが厳しい省のひとつである外務省の片鱗がここでも伺えます。
展示室は別館やよという案内。
飯倉公館はこんな感じどっせ。
外務省飯倉公館 (東京・麻布台) おもてなし外交支える :日本経済新聞
日経によると、中華民國から1967年に返還された土地で、戦前は満州国公使館があったんだとか。チャンカイセックさんもこの時点では、五年後にニクソンや田中角栄が電撃訪中するとは、夢にも思っていなかったろう。
別館の門の扉を内側から見た所。キャンティはこの位置からだと少し斜め。
この時は誰もいませんでしたが、いる時はいるんだろうという哨戒詰め所。
歩道に柵もあるし、チェーンも張られているのに、さらに駐禁の文言という。
右側が飯倉公館の裏口みたいな感じで、喫煙所なのかもしれませんが、スロープの下まで降りる勇気は毛頭ありません。左にわかりやすく監視カメラが取り付けてあります。左の柵の向こうは麻布幼稚園と麻布小学校なので、別の意味で、近寄るのはどうかと思います。
素直に展示室に入りましょうという。ここですよ入口はという。
別館に入るとすぐこんなことが書いてあり、また本館にUターンするのもアレなので、まず別館の展示を見てから、おもむろに本館に向かうのがよいでしょう。本館は入館申請用紙に必要事項を記入して入口受付の受付嬢に渡し、入館バッジをもらうのですが、そのへんの手続きはすべて入口の警備員さんが親切に教えてくれます。本館の展示はふだん照明を落としてるみたいで、その照明点灯も警備員さんが受付嬢にお願いしてくれます。別館はフラッシュのみNGで、撮影自体はフリーでしたが、本館は特にその辺書いてないので、警備員さんに聞くのもなんだし、撮影しませんでした。歴代外務大臣一覧があって、イオンの岡田はんとか、ごまめの人が入ってました。ごまめパパもいた。そりゃ談話したんだからいますわね。
外交史料館だからそれでロビーの展示までは入れますが、外務省本体は確か事前にアポをとって、受付嬢がそのアポの人に確認をとって、とれないと入館出来ないシステムだったはず。通産省(現:経済産業省)と農林水産省はほぼフリーで入れましたし、多くの省庁は、チャンとした身元証明持って(会社が発行した、このしとはマスゴミですとかそういうの)目的を明示して入館申請して、それが妥当なものなら入館出来ますので、外務省はワンランクセキュアな環境だようと思ってました。
こう書いてあるので、イヤン岸信介と思いました。ケニチ先生の資料はありません。
鑑真像でも日蓮像でもないです。ケニチパパだお。
ドグラマグラの映画に出た枝雀でもありません。大磯焼けたってねえ。「竹藪焼けた」(回文)
階段を登ると、特別展のちっさなウィンドウと、係員の別室と、メモとれる簡単なデスクとメモ用紙と、我が国のこうした公共機関の展示スペースに関するチラシ、写真撮影おkの表示がありました。
ポーランドのマイセン的な瀬戸物と、おにんぎょう。
特別展絡みは、天羽サンしか撮りませんでした。日中關係史で、なんか名前あった人だなと思っただけですが、帰宅して検索したら、天羽声明の人だった。
http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pw/19340417.O2J.html
以下常設展。無料の目録が積んであるので、帰宅してから文章書くのがとても楽です。それで撮影まで出来るんだから、記憶力なんてなくていい。
日付と、複製である旨や、原本が如何な運命を辿ったかは、本文に記し、別個に箇条書きする体裁をとっていません。英名を記載しない理由は不明。
日米や日魯(露)は撮りませんでした。展示資料はすべてレプリカですが、今の複製技術って本当にすごいです。特に本館の千畝関連なんか、ボロ紙をそのままボロ紙としてコピー出来ている。この資料まで、日本は陰暦、世界は太陽暦で、日付がズレてますが、次の資料からは日本が太陽暦に移行したので、日付一致します。
蜜蠟がどうのという小ネタパラダイスがあります。久保ミツロウとは関係なし。
ちなみに、目録には、日本語しか書いてません。英文目録が係員の部屋などにあるかどうかは聞いてません。なので、英語のキャプションは写真撮ったのだけしか分からずです。なんで日清は両国名書いてあるのに(Qing-Dynastyでなくシノワですが)日朝は日本国名抜いたうえで"with Korea"なのかは、日墨とか日米とかのキャプションと比較してからでないとなんもいえへんだ。
日清(下関 / 马关)や三国干渉、日英同盟のドキュメントもありましたが、撮らず。
満州国とかもろもろの資料もあります。開戦は、どうだったかな…
下の漢詩のみ写しました。上の日本文も目録には載ってます。漢詩の改行は、掛け軸と同じに直しました。なんで目録が改行変えてるか知りません。重光葵が作った漢詩ではなく、伊藤博文の漢詩からの引用だそうです。宛名の人は、「マリコは、元気ですか」のマリコのパパ。受取人の親族からの寄贈だとか。寄贈バンバンやりませう。そのへんの小ネタぜんぶ目録に載っていて、うれしいかぎり。まじめに目録、読めますよ。特別展のほうなんか、展示だととばしがちな「コラム」も採録してて、じっくり読める。オフセット印刷の会誌会報というか同人誌というかの感じで、好もしい。
重光葵は、中文専門書店の古書コーナーで見つけて買って読んだ武田泰淳『政治家の文章』(岩波新書)に出てくる人で、割とそこで好意的に書かれていたので、嫌いではないです。この本は、蒋介石はひとかどの人物にゃ見えねえと言い切った宇垣一成から始まって、けっこう面白いです。
この小ネタはそのまま目録に載っています。吉田茂関連資料、どこにあるのかと思ったらこんなところにあった。トイレットペーパーもまるまる複製。
目録にハングルまで載ってないので、このハングルは、写真を目をこらして写しました。今不安になって、ウィキペディアで御両人のハングル確認しましたが、合ってました。あーよかった。
日中国交回復、日華国交断絶に関する資料の展示はありませんでした。以上