これも近代ナリコさんが著書で薦めていた本。
読んだのは大和書房のハードカバー三刷
装幀=上野紀子
開くとまず、白黒の、宙に浮んだ薔薇の花の絵(杖?)の、カラー口絵があります。
その次にタイトルと目次の中扉。次に目次。その次に、もういちど、『ほんものの魔法使 罪のないお話』という題で、中扉があります。その後ろに英文の版権関係の表記。チャールズ・E・タトルカンパニーです。タトルモリエージェンシーとどう違うのかは調べてません。その次に原書の献辞の邦訳。その後ろに登場人物一覧。その次にまたタイトルの中扉。それをめくると第一章です。
巻末に訳者あとがき。記述の専門用語の訳し方について、田中潤司氏の教示を仰いだとして、謝辞あり。1976春の記述。
その次に、「再版に際して」という題で、ポール・ギャリコ78歳で逝去の旨記載。1978秋記述。
近代ナリコさんは、自身が編んだ女性アンソロジーに、安井かずみやロバの下着売りの鴨井羊子といっしょに、訳者である矢川澄子の著作を入れています。「不滅の少女」初めて知りました。というか、この本の感想云々より、矢川澄子のウィキペディアに圧倒されてしまい、そんな数奇な運命、というか、ひとりの男に都合よく翻弄された人生の人がいたんだなあという。青山次郎と「ふーちゃん」とかいう女性も、いろいろ読んでたいがいでしたが、そんなの矢川澄子と澁澤龍彦に比べれば、たいしたことなかった。
私は澁澤龍彦というと、新宿の目が出てくる諸星大二郎のマンガに出てくる市井の哲学者シブさん(猫パニックなんかにも出てくる)が名前を借りた人物というくらいの認識で、稲垣足穂と植草甚一と澁澤龍彦の区別もついていないのですが、そんなたいがいな実生活だったんですね。四谷シモンとも区別がついてません。このうちの誰かが『虚無への供物』を書いたんだか、書いてないんだか。蔵前仁一になると、多少違うかもしれないと思っています。
こういう女性の扱いを知って、それもありかななんて思う人と、「かわいそうだろ」と直感的に怒る人とでは、後者のほうが幸せな家庭を築けるように思います。勘ピュータ(Ⓒ新庄)はたいせつ。本能である利他的行動に忠実である人が後者だと思う。「そんなこと言っても幸せなんてその人それぞれだし、何が人間にとっての幸福かなんて」なんてゴタクを並べるより、直截的に、竹を割ったように生きるのがよい。
頁15、魔術師は服装規定として、白タイ、シルクハットに燕尾服なのですが、東洋人ならば話は別だそうです。
頁19「眼下にたたなわるたのしげな田園の、点在する森や、あかるい草原や、銀色の河や、にぎやかな農場などをみわたして」の「たたなわる」が分からず、「たわわなる」の誤植かと思いましたが、念のため検索しましたら、ちゃんと意味がある別の単語でした。
頁22
(略)シナ人は錦襴緞子の寛袖の支那式ガウンを着、黒い小箱みたいな絹帽子をかむり、長い辮髪をたらしていた。金糸を織り込んだ純白のスーツで、頭に赤や緑や青や黒のターバンをまいた印度人もいれば、クリーム色の毛織の外套でひらひらした被布を頭からかぶったアラブの降霊術師もいた。トルコの連中はだぶだぶのズボンに黒い総のついたえび茶のトルコ帽をかむっていたし、日本の手妻使いははでやかな繍取り入りのキモノすがただった。
女や子供たちも、男たちにひけをとらぬ派手やかでたのしげないでたちだった。男の子たちは父親の縮小版スタイルで、妻やむすめは魔術師の助手の服装であった。東洋の魔術師の手伝いをする女たちはあかるいオリエント風の服をまとい、印度人のそれはサリー、シナ人のは繻子のズボンとチョンサン、アラブ系はアラブ系でゆったりとした紗のパジャマを足首でしぼった上に、金糸銀糸のステッチのあるぴっちりした上衣をつけていた。
キンランドンスが、金襴緞子でなく、にしきの字で書かれています。此処に出てくる「チョンサン」は"衬衫"だと思います。要するにシャツ。チーバオ"旗袍"という言い方をしてないのは何故か分かりません。アラビア女性も、ヒジャブでなくベリーダンサーみたいな服装だし。ここにワンコリアが登場すれば、カッをかぶったヤギヒゲバジチョゴリの男性と、チマチョゴリでぎったんばっこん宙返りみたいな女性が出てくることでしょう。でも登場しない。ネイティヴインディアンもアフロアフリカも未登場。
主人公はアダムという名前ですが、頁42、「アムダ」と誤植があります。
頁62に市会審議員の紹介があり、ワン・フーという支那人はほんとの支那人でなく、フリだけとあります。アブドゥル・ハミドというエジプト人がいて、ラジャ・パンジャブというインド人がいますが、名前だけのインド人なんだとか。素晴らし屋サラディンという人も出ますが、特にエスニシティーは語られません。
頁183、「やつける」という単語が複数回登場します。「やっつける」だと思うのですが、何故促音になってないのかは分かりません。
頁245、「椀飯おうばん振舞」一発変換出来たのですが、「大盤振る舞い」でいいのになんでこむずかしい字を使うんだろうと検索したら、大盤が当て字で椀飯が正しかった。
頁256、「のこんのわくら葉」は、ノコンギクの病葉だと思うのですが、確証ありません。原文見ればいいんでしょうが… こんな訳文書く人が中絶しすぎで子供産めなくなったとか、妻妾同衾を要求されたとか、むちゃくちゃ。オノ・ヨーコも伝記によるとかなり中絶してますが、ショーンもいれば娘もいるのに。人生は同じならず。すべて異なる。
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=58996292
http://www.paulgallico.info/manmagic.html
以上