「主戦場」("Shusenjo The Main Battleground of the Comfort Women Issue")劇場鑑賞

映画『主戦場』公式サイト イメージフォーラムでもやってたんですが、夕方だったので、朝見れる下高井戸で見ました。下記の漫画に、「ちゃんとした性奴隷になれてる?」というようなセリフがあったので、見るかと思いました。あと、「見ようと思ってたんだけど見逃したよ、上映中止か~」と言ってすまそうと思ってたのが、一向に上映が終わらないので、根負けして見た次第。

主戦場 - Wikipedia

www.cinematoday.jp

上記ニュースによると、新百合は、最終日に藤岡信勝が来たそうで。上記ウィキペディアによると、藤岡信勝の映画の中の発言で最も印象的だった「国家は謝罪しちゃいけない」もしくは「国家は謝っちゃいけない」「国家は謝罪してはいけない」は、対個人でなく、国家間の外交について言っていたそうで、それを偏向編集で対個人の発言にすり替えられているんだそうです。が、国家が賠償請求に応じるのは国家間のみで、対個人の個別請求には応じないというのは世間の大前提なので(今の日韓がまさにそうですね)全然その文脈でとらえて可笑しくないと思いました。むしろ、そうした視点で見たほうが、彼の愛国者としての一面が浮き彫りになってよいと思う。あそこで扱われているロナルド・レーガンの日系アメリカ人への謝罪場面は、あくまで自国民であるアメリカ国籍の日系人への謝罪であることに留意する必要があります。あのタイミングは、石原慎太郎が『ノーと言える日本』を書いてた頃とあまりタイムラグがないのですが、当時、アメリカは日本人個人には絶対に謝罪しないと考えられていたので、大きな驚きをもってとらえられ、しかし、アメリカ政府が自国民に謝っただけで、日本人に謝ったわけではないということがすぐ理解されたので、それで、あんまし国家による対個人の補償例のブレイクスルーと云う風には言えないだろうね、となりました。

そのへんを、ミキ・デザキ監督はちゃんと説明していないので、なんとなくこの映画を見た人は、アメリカですらちゃんと対個人賠償してんねやないけ、と思うかもしれない。外国人、交戦相手の国民相手にそれしたんか、というと、してないわけで、その辺が、山崎洋子サンもブログで、自分で勉強しないで映画鵜呑みにしたらアカン、と言ってる点(のひとつ)だと思います。橋下徹大阪府知事大阪市市長が最近のニュースで、日本政府による韓国人への個人賠償(対国家の頭越しで)(ただし慰安婦でなく、徴用工問題の方)の可能性について、請求はありだが、日本国が払う必要はないと言ってて、フーンと思いました。その背景が判例主義で、中国人強制連行への日本企業の個人賠償を踏まえて言ってるそうなので、日本企業が払えばいいってことなのかな? とまれ、例えば昔尖閣諸島に上陸した保釣のヘッドの童増サンなんか、そのまた昔は真面目に中国人の戦争被害者の掘り起こしと日本政府への個人請求のためコツコツ手弁当で奔走していた弁護士さんで、それが、日中友好の大前提に背く反国家的所業ということで、中国共産党からマークされてしまい、外交部の頭越しにメンツ潰して勝手なことすな、という感じで叩かれたので、おかしくなって、不思議な愛国者になって、尖閣諸島に上陸する組織のリーダーにまでなってしまったという… 難しいっすよね、こういうことは。レーガン日系人謝罪と賠償したからと言って、広島や東京大空襲や沖縄の人が全米で集団個人訴訟したり、北海道の人がロシアで集団個人訴訟したりしたかは、寡聞にして知りません。いや、私の場合、粗聞かな。

bunshun.jp

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たまたま公式にそういうツイッターが貼られてたので同意するのですが、この映画だけでなく、「否定と肯定」なんかも見ておいて、それからこういう文章書けばよかったなと。『戦後最大の偽書事件 東日流外三郡誌』は読んだんですけど、それでは不足か。

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最初のほうの、日本叩きの英語ニュースの中に、トランプ御用達のフェイクというかアレの、フォックスニュースが忍ばせてあるのは、監督の遊びだと思います。日本のネトウヨが英文コピペをせっせとあちらの市民や政治家に送り付けたので、それ自体がサイコロジカルな暴力と受け止められて、あちらの市民や政治家の態度を硬化させて、少女像だかなんだかの建立に力あったというのは、安田峰俊の本で読みました。( ノД`)シクシク…そこからは、方針を変えてるように思います。もう主戦場にせず、無関心を貫く、かな。

この映画、慰安婦の映画なのですが、セカンドレイプをおそれてか、最も当時よく使われた「ピー屋」「朝鮮ピー」という単語を一度も使ってません。でも「チャンコロ」は出てくる。ハングルの中国人への蔑称「때놈」は出ません。「ピー」という言葉自体が兵隊支那語で、"屄"から来てるわけなんですが、まあ別にこういう映画感想でいろんな人が書いておけば、映画自体になくても知る人は知るでしょう。岡本喜八の独立愚連隊や、岩波現代文庫の『けんかえれじい』なんかにも出て来ます。後者なんか、「朝鮮のビーナス」との情交の場面が結構なクライマックスだったはず。毎日腰使ってるから鍛えられて、くびれがない。強制連行か女衒の甘言かは分からねど、というか書いてない、彼女が過去を語る場面はない。勝新の『兵隊やくざ』の原作も、どうだったかなあ。出ては来るんですが、来歴は、女衒が騙して連れて来るんじゃなかったかな。柳美里朝日新聞に連載した「すっすっはっはっ」の『8月の果て』も、女衒だったかな。ただこの映画は、業者が騙してもそれは広義の意味での強制連行である、法や国際協定から違反してるのに、取り締まってない、つまり遵守してないってことでしょ、と言い切ってるので、そこは革命的なんだと思います。アウグスティヌスキリスト教を弾圧する側から最も熱心な信者に転身して、それを「回心」と呼ぶことのようだ。天動説地動説。

オノ・ヨーコのいとこ」という説明もよかったです。オノ・ヨーコ、やんごとなき人だから、本来。岸信介は、巣鴨プリズンで毎日朝だちしていたと、武田泰淳『政治家の文章』で読みました。違ったかな。重光葵で読んだんだったかな。出てきたらすぐ佐藤栄作の回した車に乗って、佐藤栄作の家に行って、まず出前の寿司食べたんですよね。

複数の登場人物が、韓国が日本と事を構えるのは、中国が指嗾してるからだ、と言っていて、その背景には、韓国は中国に逆らえない、宗主国と藩屏の関係だから、という、日本だけが支那の東アジア秩序の枠外にいられるんだよ~ん(海の向こうなので)、という固定概念があるわけなのですが、これはやっぱ、実情を見てない、井の中の蛙です。

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上の記事なんかも、「配備しないよう」と書いてあり、まるでまだ配備してないかのような印象を持ってしまいますが、実際には、もう、2017年に配備完了して運用してるわけです。で、その時に、中国は自国の観光客を韓国に行かせない報復措置をとったりもしたわけで。

ja.wikipedia.org

下記は2017年のニュース。

www.asahi.com

こういうのを客観的に考えられないから、韓国は永遠に中国に頭が上がらないと思い込むとか、小中華思想に関する間違った解釈とか、平気でするわけですよ。中国のほうが冷静に韓国を見ていて、彼らが儒教の優等生で、自分たちより遥かに儒教を社会に取り入れて暮らしていること、風水や中医の分野でも侮りがたいこと、法輪功のようにカルトを以て中国に脅威を与えうる存在でもあること(教祖は確か朝鮮族中共オランケなどとかげで言われていること、すべて承知のうえで韓国とつきあってる(かどうかは、王毅だけを見ると、たぶん判断出来ない。あのしとは知日だが、韓国外交のプロじゃないから)だ、です。

岸信介の前、組織を離れた女性まではよかったんですが、その後がやや陰謀史観になってしまい、教科書記述率の偏移というまともなデータと、大上段な説明がいっしょくたで、ここ以降が評価の分かれるところだと思います。

とりいそぎ少し書きましたが、そんなくらいかな。以上