『銭湯断片日記』(龜鳴屋本第二十七冊目)読了

http://kamenakuya.main.jp/wp-content/uploads/%E9%8A%AD%E6%B9%AF%E8%A1%A8%E7%B4%99%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3web%E7%94%A8.jpg年賀状の返事がわりに届いた本。作者とはぜんぜん違う知り合いが送ってくれた本で、送った人に、作者と知り合いなんですかとは、まだ訊いてません。返事の返事に、ペシャワール会の会報中村哲医師訃報掲載号とチベット関連NPOとそれぞれの入会案内などを同じ方法で送ったら、その後彼から返事がない。文庫サイズですが、「背幅が3.6㎝と分厚く」(Ⓒ版元)それがゆうメールなるものでドンと送られてきて、なんで書籍小包使わないんだと思ったら、書籍小包というシステムがもうとうになくなっていました。時代はメルカリ。郵政三事業ぶっ壊すm9(^Д^ )

装丁・扉イラスト 武藤良子(作者)

四六五頁「ポポ・ロック・フェス」デザイン 横山雄 

造本設計 龜鳴屋(版元)

 作者によるブログの銭湯にまつわる部分を加筆修正、再編集したものだそうで、五百ページを超える本なんか読めないよ(ノД`)・゜・。とほってたのですが、まあなんかじゅんじゅんにいろんな本を読んでるので、そろそろと思って読み出したです。年賀状の返事に来た本なので、桜の季節に読み出すのがばかものの流儀かなと。

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正直、もうずいぶん不要不急の銭湯に行ってないので(二月半ばに大宮に行った際に大宮の銭湯に行かなかったあたりから)こういうあふぃりえいとな日々、否、ありふれた日々の素晴らしさは素晴らしいなあと思いながら読みました。このブログは名前を変えて今でも続いてるそうで、この本は、庄野英二サンの創元社の本並に、ふつう割愛される著者なんとかみたいのを貼っていて、凝ってます。限定526部で頒価2300円+税。こんなもの年賀状の返事にもらったら、おえん。どうしたらいいのか。

巻末に登場銭湯98軒一覧記載。あとがきを作者が書く前の2019年1月時点で36軒廃業。思ったより少ない。私が行ったことのある銭湯とは、面白いようにかぶっていません。私は神奈川県と東京西部をテリトリーとする人間で、作者は北多摩から東京の東をテリトリーとする人間だからでしょうか。こういう人は中央線沿線青春群像かもとも思ってましたが、中央線は遠征的感覚な方のようでした。そのかわり椎名町とか光が丘(横浜市のそれではない)とか目白台とかバンバン出ます。大塚も頻出で、私も大塚よく行ってましたが、大塚の銭湯には一軒も行ったことありません。京都の白川温泉は、読みながら、もうないだろーと思ったら、やっぱり廃業の字がついてて、京都でカブってるのも、そこだけ。文京区の銭湯も、文京区なんか数えるほどしか銭湯ないはずなのに、覚えがないです。鎌倉の温泉も、行ってるはずなんですが、う~ん。作者は神奈川県の銭湯は、町田含めて、二軒しか行っておらず、一軒がその鎌倉で、もう一軒は川崎市幸区で、おもしろいように私は川崎銭湯スタンプラリーで幸区行ってないのです。三十軒以上行ったのに。東京スタンプラリーも、私は八王子調布府中立川稲城狛江と、外堀から攻めたので、せめて東中神くらいカブってほしかったですが、カブってません。私がスタンプラリー達成した、品川区や世田谷区や渋谷区の銭湯は、作者は行っておらず(渋谷は水道局の近くのに行っておられました)、落合とか早稲田とか四ツ谷とかの新宿区が唯一カブってます。頁124、神楽坂のMOMOTETSUのカランは私も気がついた。女湯もそうなのですね。芸大や弥生美術館から行く上野の銭湯もカブってないんじゃないかな。

私は最初銭湯お遍路知りませんで、今からもう一度お遍路やると、時間とカネと強迫観念がハンパないので(パネエは死語)やらないままですので、作者の行った銭湯を行くことも、そんなないと思います。桃仙浴場は行ってみたかったですが、廃業Ðそうだし。私が作者に薦めるなら、岡村天神の銭湯一択。ついでに岡村天神に行って、ゆず推しもたいがいにしなはれとブツクサいえばいい。

東京の銭湯の「りんご湯」という、林檎が浮かんだ変わり湯デーは行ったことないので、行ってみたいです。「かじめ湯」は入ったが、「りんご湯」はない。ppapppap.

この本を送ってくれた人の意図が読めないというか、深読みしすぎてしまい、酒つまのオータケの人が出るイベント(頁50)とか、なんだとうおもてに出ろ、否、南陀楼綾繁をナンダローさんと書くところとか(頁忘れた)、惠文社一乗寺店(同)とかはまだいいのですが、デザインフェスタ(頁109)とかガケ書房(頁89)とかからあれっとなり、ポポタムが出て完全に以下略

京都大阪紀行を、「死闘編」としていて、こういうセンス、最近はもう一択連勝、否、一蓮托生に「昭和ですね」と言われてオワコンで、「慕情編」も「母恋い歌編」も「破れ凧編」も「青春編」も「回天編」も言い出せない世の中で、寂しいです。作者がこれを書いたのは東北震災前で、私は実はまだ三百ページほどしか読んでないので、これから、2011年に読み進みます。2007年から2013年までと、2015年、2018年のブログをまとめている。欠落の意味もそこまで読み進めば分かるかも。以下後報