表紙の文が誰の書か分かりません。出師の表でしょうか。それも分からない。
四部構成で、第一部が、昨日の日記にも書きましたが、「缶」はフ、またはフウと読む字なので、それを、カン、「罐」の当用漢字にしてしまったのは甚だ遺憾、ケンと読む「欠」を「缺」、ケツの当用漢字にしたのもそう、テイ、またはチョウと読む「灯」を「燈」トウの当用漢字にしたのもそう、国語審議会バカばっかし(頁87)みたいなエッセーを集めてたパート。要するに高島俊男『お言葉ですが…』みたいな雑文で、ただし、比叡平のへんくつオジサンほどの、自分の性格を棚に上げての攻撃パワーはありません。しかし、戦果は赫々たるもので、各エッセーの末尾に、広辞苑の三版では指摘箇所が修正されてる旨、ほぼ毎回書かれています。そういうのだけ集めたからそうなってるんだろ、とも言えますが、それでもこの修正戦果の量はなかなかのもの。私は「罐」というと、罐詰なら思い浮かべられますが、缶コーヒーや缶ジュース、缶ビールなど、アルミ缶を「罐」と云う字で思い浮かべることが出来ません。ぶ厚い罐詰しか思いつかない。
左は挟まってたレシート。これを新刊で買った人は、福屋書店で買ったんだなと。
頁33、梅の「うめ」は中国音のメイ、というか、その上古音だか中古音だかのムェイがなまったもの、という話は衝撃でした。で、頁147、中国人が、中国語で発音してほぼ日本人に意味が通じるのでくすくす笑ってる単語、〈安排〉(アンパイ)が登場し、これを日本人が直感的に理解出来るのは、ほぼ同義の「塩梅」(あんばい)が発音も似てるからなのですが、それをそこまで突っ込まず書いてます。私がつけたすとするなら、「梅」の閩南語だかなんかのはっちょんは「ブァイ」なので、さらに似るじゃん、ということ。確か、冨田竹二郎訳『タイからの手紙』ボーダンで、バンコクヤワラーの華人社会を描いた小説なのですが、ほとんど潮州人ですので、安梅とかいう女性が登場し、「あんぶぁい」とルビを振られていたように記憶しています。
これも古本屋で、150円で買いました。深田祐介も岸田今日子も懐かしい。かなぶんでお馴染み中里恒子もいてるんですね。安岡正篤の伝記は古本屋の百均台でぱらぱらめくったことがありますが、晩年の細木数子のことなんかは書いてなかった気がします。そして、東海林さだおのエッセーは現在も鋭意継続中という凄さ。トウカイリンと読む人は永遠に減らない。
頁113、現実にはまず使われない中国語の敬語の例として、〈賤姓◯◯〉(わたくしめの名前は◯◯でござりまする)〈您高齢?〉〈您芳齢?〉(御年おいくつでござりましょう?)〈您尊名?〉(ご尊名を伺ってもよろしゅうございますか?)を書き、その上で、まず口語では使いませんと書いてますが、じゃーメールとかビジネスレターだったら使った方がいいんだろかともやもやしました。
二章は一章の延長で、三章は作者お得意の艶笑ばなし。「中」は「口」を「|」が貫いてるので性器セックルを意味する文字であるとか、坊主に手籠めにされた後家さんが廟、廟、と喚き、これは北京語ではミャオを読み、妙、妙と同音で、妙はうまい、上手という意味であるとか(「廟廟」を日本語読みでびょうびょうと読んだら、「渺渺」なので、それはそれで性行為の擬音としては稀有壮大だなあと思いました)公公肚上微微動、我在公公肚下眠という戯れ歌とか(公公=「老公」でハズの意味だと思うのですが、駒田訳だと義父の意味になっていて、余計インモラルでやばいです。息子の嫁の腹の上で動いていて、嫁は義父の腹の下ですーすー寝てるという和訳をつけてる)
これも謎かけで、一文字ずつ読めばいいのですが、読んだところでエロ歌です。こういうのほんとムッツリスケベだと思うのですが(先日読んだチベット文学も、当初はカラッとしたチベットエロなのですが、最後のほうになると、漢族の文化的同化圧が如実にみてとれる、漢族的ムッツリエロになってしまいます)上の義父歌が書いてある宋の張致和編纂『笑苑千金』が中国では散佚してて、日本にしか残ってないというのも、ムッツリの国らしい話。
吉川幸次郎の誤りを指摘してると、不仲説とか流されそうでいやだけど、見つけちゃうんだもんみたいな箇所が随所にあり、そこもおもしろかったです。頁267、艾子という人が臓腑を吐き出したへどの上で寝る話で、駒田先生自身は酒を飲まない旨明記してます。
挟まってた新刊の広告。ハリソン・フォードはこの頃から老けていた。
御宿かわせみの平岩弓枝。こんな人だったのか。男装の麗人? 以上
【追記】
たとえば、「五里霧中」はゴリ・ムチュウでなくゴリム・チュウと読む。「青田刈り」は「青田買い」と「青刈り」を混同した言い間違いである。「右顧左眄」の本来の意味は、国語のそれとは逆になる、など漢字や故事成語をめぐる言葉や文字についての常識的理解や辞書の誤りを正し、本来の姿を浮彫りにする辛口エッセイ集。
青田刈りは、こう書かれると信じてしまいそうですが、米価の価格調整安定供給のため、作付け後に補償金貰って青いまま刈り取る田んぼのことではなかったかと。そのまま生育してしまうと、闇米として流通させ、補償金二重取りの懸念があるので、李下に冠を正さずで刈り取ってしまう。この、断腸の思いでせっかく田植えした稲を花が咲く前に刈り取る行為は、「青刈り」だとうまく言い表せないと思います。
第四章はいちばん生活に密着した雑文で、三章の艶笑の続きでも、興津要さんの名前と著書が出てきたりします。ラーメン🍜の語源の箇所(頁243)で、鹵麵説を挙げる人が登場しますが、そこに陳舜臣夫人の名も見え、陳锦墩という同姓表記は、日本や欧米の夫婦同姓の習慣にあわせただけで、ほんとは別姓なんじゃないかと思ったりしました。鹵麵は山東だと、サヤインゲンの季節に作る?あんかけそばですので、ラーメンではないんじゃいかと思います。老麵説や柳麵説も出てきて、私としても、同音の拉麺が常食の地帯は、中国でも奥地で日本からあまりに遠く、淪陥区でなく解放区や大後方ですので、そこのことばが、老麵や柳麵と内実ごっちゃになって日式ラーメンになったと考えたいです。
頁295、駒田信二さんは国府に捕えられて国府の捕虜になった人ですので(八路のスパイとも疑われた話は別の本で読みました)、戦後も国府で徴用され、華字新聞の邦訳下訳なんかをさせられたそうで、「𦾔金山」がサンフランシスコであることが当時分からなかったとか、ハワイも「檀香山」と書いたりすると書いた後で、蒋介石が、日本はU.S.A.に侵略的野心を持っているから「米国」と書くが、我々炎黄の子孫はU.S.A.に親しい隣人、友好国として敬意を持っているので「美國」と呼ぶ、という文章を和訳させられ、とんでもないデタラメだと憤慨するのですが、君は君の仕事を(たんたんと)すればいいと中国人の同僚にさくっと言われたエピソードを書いています。で、その後、中国の古書には、シルクロード、サマルカンド東南に、かつて中国の史書が「米国」と呼ぶ国があったと書かれていて、米芾はその子孫だから「米」姓なんじゃないか(米芾の先祖は太原の出なので、サマルカンドから太原に来たんだろうとしてます)と書いてます。いやーそうなのかな。ちがうかも。以上。同日。