『〈超・多国籍学校〉は今日もにぎやか! 多文化共生って何だろう』(岩波ジュニア新書)読了

 装丁、レイアウト、デザイン関係の人の記載なし。

 町田のカンボジア料理店に行ったら岩波書店刊のいちょう団地に関する本があり、貧乏性なのでその場で本を購入せず、帰ってから図書館リクエストして、ついでに借りた本。

まず言うと、本書で提唱される「多文化共生」は、おそらくネトウヨ方面などからのツッコミ問答をへてブラッシュアップされたもので、「相手の特徴や多様性を引き出し、新たな資源として活用していくこと」という性格を有しています。今そこで進行している大規模少子化社会を踏まえ、移民とその二世三世をその特性を活かした人的リソースとして活用してゆこうという、男女平等が男女平等参画型社会となって、女性を労働力としてアテにしようという方向にすり替わったのと同じベクトル。シニア世代の生き甲斐=ワークシェアも然り。誰が「新たな資源」として活用するのかというと、国家が活用戦略とか、国として地域社会として(地域行政として、ではなく)みんなで活用、とかの言い方がいいのか、なやましいところ。

ただし、特性とは何か、それを活かした社会的役割とは何か、という点になると、そうそう具体例は思い浮かばないのか、「継承語」と呼ばれる、移民元から継承された言語能力を磨いて東京2020通訳、くらいしか書かれてないです。海外(アメリカ、ブラジル)は新しい資源に注目が集まってるとも書いてますが、どう活用されているかは不分明です。

しかし急速な少子化は現実問題で、本書の舞台となる公立小学校自体、二校が2014年合併統合で誕生した新しい学校で、かつては二校の児童数合計は約三千名でしたが、統合時の2014年が336名、2017年はさらに減少して275名だそうです。(頁3)本書タイトルの「今日もにぎやか」は編集が売るためにつけた文句かも知れません。

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廃校となったいちょう小学校。

作者は、本書刊行の2018年、15年在籍した同校を離れ、私が最近ご無沙汰な上星川和田町の銭湯に近い小学校に移っています。作者によると、1996年に公営住宅法が改正され、高齢者や単親家庭が入居しやすくなったことと、少子化が、公営団地から子どもが消えてゆく背景にあるとしています。なるほどと思いました。法改正で独居老人が入りやすくなったのか。

www.kyobun.co.jp

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廃校拡大。

超・多国籍学校となった契機は、神奈川県の人ならなんとなく分かる話ですが、隣接する大和市に1980年から1998年まで、インドシナ難民定住促進センターがあったからです。中国残留孤児子弟の公立校受け入れは全国津々浦々どこの都道府県でもあった話で、ペルーやブラジルから日系人らを受け入れた地域もかなり広範に渡りますが、彼らに加え、インドシナ難民というタームがあったので、超・多国籍学校になったといいます。

そうした学校が、カンボジアの人口より多いとか多くないとかいわれるくらいの人口を有するヨコハマのはずれにある利点は大きく、ボランティアや大学生が多数、サマースクールなどで補習指導などに活躍しているとあります。さらには横浜市の外国語補助指導員制度を利用した、補習や授業に寄り添っての通訳に当たる人材リソースも比較的見つけやすいとのことです。私の以前の中国語の先生は、相模原市で同様の業務にあたっていたので、なんとなく何をしてるか見当はつきます。

…今朝、NHKがゆってた、バイデンサンが通商代表に台湾移民二世の戴サンを指名したことなどが、上のほうの、アメリカでの活用の具体例なのかな、とは思います。

b.hatena.ne.jp

バイデン氏も知的財産権の侵害の是正などで厳しく改革を迫る考えを示しているうえ、中国に対しては日本を含む多国間の枠組みで取り組む方針を強調していて、タイ氏の手腕が問われることになります。

戴琦 - 维基百科,自由的百科全书

戴さんは広州の中山大学で英語を教えたこともあるそうで、本書頁175で、著者が日本のほかの地方都市で、本書の学校での取り組みについて紹介した際、当地の自治体職員から、進学や就職に有利になるようその手の日本語をしっかりやるべきと反論をされた件とは矛盾しないと思います。しかしそれは、かなり目標を上に置くことに間違いない。弁護士の資格をとって、通商代表になれるくらいのマルチリンガル能力。…その職員は生活言語としての日本人のような日本語能力を求めていて、作者は、言語なんてコミュニケーションツールに過ぎないので、 テレ朝がまいどおなじみな仕置き人ものをラーメン屋と秘書でやったさいのシム・ウンギョンの日本語くらい、業務上問題なく意思疎通が出来ればそれでよいのではないかと思っているとしたら、そこには本書にあるように「驚き」が現出すると思います。まあギャップが少しはあるので。

本書では、登場する当該児童たちについて、「外国と関係のある児童」という言い方をしています。両親とのコミュニケーションツールひとつをとっても、両親と家庭内で日本語で会話する家庭、母語(継承語)と日本語で会話する家庭、両親それぞれの母語と日本語で会話するトリリンガルな家庭など、さまざまなレイヤーの環境が一蓮托生。一蓮托生は少し違う日本語かもしれません。

頁11

 したがって、日常生活の中の会話では日本語に困ることはほとんどありませんが、その一方で、学校での教科学習では日本語の語彙力が不十分な傾向があり、ことばを関連づけたり、イメージ化したり、複雑な構造の文や文章を理解したりする力が弱いために、授業が十分に理解できず、学習面に影響がみられる児童が多くいます。

 一般的に、抽象的な学習内容が多くなる小学校高学年になるにつれて、その影響が顕著に現れてくる傾向がみられます。つまり「〈生活言語能力〉はあるが〈学習言語能力〉が不十分である」(〈生活言語能力〉〈学習言語能力〉とは、バイリンガル研究の第一人者ジム・カミンズによるバイリンガルの子どもの言語能力モデルであるBICS(Basic Interpersonal Communicative Skills)とCALP(Cognitive Academic Language Proficiency)の訳語として広く使われている用語)と言われる子どもたちなのです。 

 いかにも教育学を専攻する大学生や、異文化コミュニケーション、国際ナントカ学を専攻する学生が手伝いにくると知見がいっぱい得られそうな環境にも見え、教え子より教え手のほうが多くて、接する児童がつかれたりもしそうな気がする反面、ドカッと来る時期と恒常的に支援する人手に温度差があって、実はそれほど人が集まらず人材確保に苦労したりしてるかもしれないと思ったりしましたが、そこまでは書かれていません。疲れないのかもしれない。

 作者はけっこう冷徹にシビアに現実を捉えていますが、別に後ろ向きではないです。

頁92

 しかし、来日する時期が早い、つまり母語を学ぶ期間が短ければ短いほど、母語を喪失してしまう傾向がみられるばかりか、日本語や日本での学習が定着しないということにもつながっています。特に、母語第二言語(この場合は日本語)の読み書き能力や認知面における発達の基礎であり、母語第二言語は、相互に依存していると報告されています(「二言語の相互依存」ジム・カミンズ)

 また小学校四年生まで母語の教育を受けないと、第二言語の学習言語を、母語話者と競争できるまでに習得できないとも言われています。

 つまり、一〇歳頃までに母語で読み書きができる程度の(母語の)力を習得しなければ、 外国語(この場合は日本語)、ひいては外国語で学ぶ教科の学習に支障をきたすということです。

 私が一五年間、この地域で日本語支援をおこなってきた経験からも、前述した報告は、とてもよく実感できます。

 

 子どもたちの将来を見据えると、私個人としては、高校受験が最初の分岐点になっていると感じています。

 個人差はありますが、母国で小学校三年生まで過ごし、四年生つまり一〇歳で来日し、四年生、五年生の二年間で日本語をしっかり学び、六年生ではその日本語を使って在籍学級で通常に学習すれば、中学進学、そして高校進学が可能になると思います。そして、その後の母語保有の可能性も高まり、アイデンティティの確立や自己肯定感の高揚が期待できるのではないかと考えています。

 小学校三年生よりも早く来日することによって、B太君のように母語を喪失してしまう可能性が高くなりますし、それ以上遅くなると、高校受験を突破できるほどの日本語力と学力の獲得は期待できない可能性も高くなるのではないかと考えています。

 わりとごっついことさらりと書いてますが、勿論個人差があると思います。「ウチは二年のときに来たからや。せやし、あかんかったんや」などと思う必要は一㍉もないかと。また、子どもが小学校四年になるまで待ってから駐在の人事を受けるという話も、日本人が北米に行くときなど以前から聞きましたので、知ってる人は知ってる知見で、だからといってそれでゼロワンで物事が決まるわけでもないかと思います。

むかし、中国で、幼稚園くらいのお子さんが日本から親に連れられて帰って来て、二、三週間は、日本では日本語だけだったので、まるでまわりの子どもと意思疎通が出来ず、泣いてばかりで日本語でほかの子に「バカァ」と中国の保母さんでも分かる日本語で怒鳴ったりして、親や祖父母をヒヤヒヤさせてたのが(一人っ子の小皇帝の保母さんだし、愛国主義とかナントカ、そこからヘンにこじれるとマズいと思った)それが過ぎる頃から、周りの子どもとも遊びだし、それを見ていた教育学部の日本人留学生が、ああもうこの子は日本語忘れるんだろうなと言ったのを思い出します。父母は日本語頑張って日本でやってたので、その後また教えたかもしれませんが。この話は、中国がGDP世界二位になる前の話なので、二位になった後は、世界各国から帰国して祖国的懐包な同様のケースは激増したと思います。

逆にいえば中国がその頃から衛星放送を通じて海外子女への漢語教育に熱心だったのは、桜美林大学に中国語検定受けに行くと必ずそういうチラシを配る中国人留学生バイトがいるのでよく分かっていました。それがあればいいというものでもないのは、横浜でぶらぶら遊んでる華人高校生に質問してみれば分かると思います。今はコロナ禍があって、オンライン授業やサテライト講義が、今までとは異なり、飛躍的に環境が充実しつつあるんじゃいかと思いますので、四年生まで待ったり、待たなかったからこないなったんや、など後ろ向きに考えず、さらに前を向けるんじゃいかな、と思います。実際それしか云うことがない。目を下にそらすとスマホがあっていじくれるが、前を向こうという。

以上です。あと、岩波ジュニア新書の「ジュニア」の定義は、いつもながら、欧米基準の、小さな大人としての「ジュニア」だなと思います。アジアの、子どもを子どもに押し込める定義ではない。