『穢れなき太陽』"Sujuy K'iin" "Día sin mancha" por Sol Ceh Moo 読了

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/05/Palenque_glyphs-edit1.jpg/560px-Palenque_glyphs-edit1.jpg『「その他の外国文学」の翻訳者』という本*1を読んだら、この本が出てきて、マヤ文学の旗手ということで、マヤ文学というもの自体を知らなかったので、読みました。

私は、マヤ文明というのはもう、左のような象形文字などを残して、スペインに滅ぼされていて、混血のメスティソとかムラートとか、そういう人たちがスペイン語で暮らしていたと思っていたのですが、トンデモhappen歩いて12分だったみたいです。

マヤ文字 - Wikipedia

現在でもマヤ語というのは中米に広く分布していて、本書はそのうちの、主にユカタン半島で話されることばで書かれていて、それを現代のメキシコでは、たんに「マヤ語」と呼んでいるそうです。

ユカテコ語 - Wikipedia

マヤ語のウィキペディアはないのですが、南米インカのケチュア語のこの項目があったので貼っておきます。

Maya simi - Wikipidiya

下記は作者の英語版ウィキペディア。現在は本書にあるように「ソル・ケー・モオ」と名乗っているそうですが、英語版では、初期の本名、マリソルで載ってます。

en.wikipedia.org

マヤ語のウィキペディアはないのですが、アステカ語のこの項目があったので貼っておきます。ここでいうアステカンは、日本ではナワトル語と呼ばれるのかな?

https://ast.wikipedia.org/wiki/Marisol_Ceh_Moo

白水社の「その他の外国文学の翻訳者」によると、マヤ語が知られていないのは、ある時期までメキシコ政府から禁じられていたからだそうで、本書刊行後の話になりますが、英語版ウィキペディアでは、2019年12月にユカタン州議会が学校でのマヤ語義務教育を行う旨全会一致で可決したとあります。すっごい最近。

Yucatec Maya language - Wikipedia

On December 4, 2019, the Congress of Yucatan unanimously approved a measure requiring the teaching of the Maya language in schools in the state.[34]

ソルケーモーサンはカルトムルという村に生まれ育ち、近く(160kmほど東に行った海岸)にはリゾート発展した都会、プラヤ・デル・カルメンという街があります。本書で描かれるのは、十代半ばで村からその街に出て破滅する若者、田舎で働き続けるが酒浸りになる男、男にかしづくことを強制される女性、その他です。

www.google.com

私がグーグルマップを強く非推奨する理由が、上のルート案内にあるように、「有料区間が含まれます」と言ってる割に、どこが料金所、ICなのかも相当拡大しないと分からないし、いくらかかるのかも書いてない点です。こんなん素人ドライバーが迷うだけやん。アホか。どうも調べると、メキシコの有料道路は、対距離でなく、通過地点でそれぞれ徴収するかたちみたいで、ETCも少しはあるそうですが、細かいことは分かりません。

List of Mexican autopistas - Wikipedia

カンクンというところとプラヤ・デル・カルメンの分岐のあたりの料金所のストビューを貼っておきます。右側通行で係員のいる料金所風景が新鮮で、口コミを信じれば、ペソの現金払いのみ。

Google マップ

Google マップ

blog 水声社 » Blog Archive » 8月の新刊:穢れなき太陽

https://www.intcul.tohoku.ac.jp/wp-content/uploads/2019/11/b05462225f150f33ad241c14f242515b-768x727.jpg目次
村の娘タビタ
生娘エベンシア
老婆クレオ
見張りを頼まれた悪魔
ユダとチェチェンの木
酒は他人の心をも傷つける
闘牛士
占い師の死
森に消えた子供
白い蝶
ドン・マシート
穢れなき日
訳者あとがき

マヤ語では、漢字の「日」がひにちとおひさま両方を表すように、"k'iin"で"day"と"sun"両方を表すそうで、それで訳者は、ソルケーモーサンの許可を取って、短編集のタイトルを「太陽」作品のタイトルを「日」にしたんだそうです。

表紙画像は下記から。

本研究科の吉田栄人准教授が日本翻訳家協会翻訳特別賞を受賞しました – 東北大学大学院国際文化研究科

装幀-齋藤久美子 原書と同じ絵です。

www.elem.mx

http://elemblob.blob.core.windows.net/media/sujuy_kiin580557d893e21_300h.jpgCarol Acereto, La bamaca, 2007

本書でも登場人物が寝るのはハンモックで、ハンモックが日常に定着した社会なんだと分かります。私の知人でハンモックで寝てる人はひとりしかいませんが、フックというかアンカーというかをきちんと柱などに打ち付けてれば、その人は体重100kg超なのですが、とても快適だそうです。また、ベッドより格段に、使える床面積が広がるので、便利っぽいです。何しろ宙に浮いてるので。

この本は、中編『穢れなき日』2011に二つの短編集収録作品を加えて一冊の本にしたそうで、それぞれの短編集は下記です。

『タピタとマヤの短編集』2013

Tabita y otros cuentos mayas - Detalle de la obra - Enciclopedia de la Literatura en México - FLM - CONACULTA

『酒は他人の心をも傷つける』2013

Kaaltale'ku xijkusik u jel puksi'ik'alo'ob = El alcohol también rompe otros corazones - Detalle de la obra - Enciclopedia de la Literatura en México - FLM - CONACULTA

収録作品の各原題が載ってるサイトを探しましたが、見つけられず。残念閔子騫

マヤ語は話者人口が八十万人くらいですが、マヤ語に限らず、少数民族言語は文字になった現代文学まで読む人が少ないので、メキシコでは先住民族文学は、必ずスペイン語バイリンガルで、両言語併録出版されるんだそうです。スペイン語への翻訳作業も、バイリンガルの著者が自ら行うんだとか。四川でチベタン作家の作品集が蔵漢両文出版されているのを以前知りましたが*2、そういう動きってワールドワイドなんでしょう。もう一方の言語は世界レベルなので、そこでペイ出来る可能性がある。日本で、さて、ウチナーグチとやまとことば両文併記とか、アイヌ語と日本語併記とか、先住民という枠を飛び越えて、ハングルや漢語と日本語両文併記とかの、作品集が既に出てるのかもしれませんが、私はまだ見てません。南米人向け雑誌で、ポルトガル語と日本語併記のマンガは見ました*3

頁236 訳者あとがき

 今日の先住民作家は、先住民の伝統的な文化を表象することを自らの使命と考える者が圧倒的多数だ。(略)だから、先住民の伝統的な文化や価値観とは関係ない、時にはそれを批判するような内容を書くことは先住民作家の名に値しない行為とみなされ、先住民作家仲間からの批判にさらされる。一方、西洋社会の読者の多くは、先住民文学という言葉を聞いた時、伝統的な先住民表象を期待するだろう。だが、その眼差しは先住民文学をいわゆる普遍文学とは異なるジャンルに閉じ込めておこうとするオリエンタリズムに他ならない。

要するに、石坂啓『ハルコロ』は『コタンの口笛』より後退していて、21世紀は『ゴールデン・カムイ』がある、ということかと(ちがう)白土三平が『カムイ伝』第三部シャクシャインの乱編を描かなかったばっかりに(ちがう)

ソル・ケー・モオの作品は、現代における国家内少数民族の諸問題、貧富の差、教育問題、酒やドラッグ依存の問題も取り入れながら、当該民族内でのジェンダーなども取り扱っているため、翻訳した場合、普遍的作品ととこちがう、マヤ語で書いてるからこその意味しかないんちゃうん、と言われかねないということです。さらにいうと、中南米文学にはかつて、先住民文学とはテーマ的にはカブるが、執筆者の意識や言語において、征服言語/文化の比重がより高い、「インディヘニスモ文学」(=メスティソの文学)というのがあったそうで、なかなか悩ましいことが多いように感じられました。マヤ文学やソルケーモオサンの存在を知ってから、ペルーのケチュア語にも同様のがないか、人に聞きまして、ホセ・マリア・アルゲダスという作家さんがそれで、邦訳もされていると分かったので、そのうち読もうと思ってますが、その人が、先住民文学のカテになるのか、活動した時期はまだ先住民文学が勃興してない頃ですので、インディヘニスモ文学になるのか、どっちなのかと問われれば、後者だろうなと思ってます。

es.wikipedia.org

本書に出て来る言葉で、「セノーテ」と「ミルパ」は村落共同体の生活に密着したことばだと思ったので検索しました。

セノーテ - Wikipedia

Milpa - Wikipedia

本書収録の作品は、DVが多くて、李昂『夫殺し』を彷彿とさせる趣でした。なかでも、『老婆クレオパ』はヒドい話で、母親が早世するや実父からヤラレてしまい、実父と夫婦関係を結ばされる女性が主人公で、あろうことか、生まれた娘が年頃になると、その娘も父親にやられてしまうという、仏教の地獄でいうところの畜生道そのまんまのストーリーでした。キリスト教も地獄の概念に六道輪廻入れたほうがいいと思います。ムチャクチャだと思ったのは、そういうふうになった彼女に対し、村ではみな、恥ずかしい子とかヒソヒソヒソヒソするのですが、本当に厚顔無恥な悪辣漢である父親に関しては、別に村の中でハブられたりしないというくだりです。ここ、おかしいなあ。

かつて私の住んでる近くで野良猫のボス猫の悪さがあまりにひどかったので、捕獲したことがありました。そのボス猫は、畜生だからですが、自分の娘猫を妊娠させて子猫を産ませていて、子猫は確か育っていないのですが、ボス猫がまるまると太っているのに対し、娘猫は、ふつうのノラ猫の常として、栄養失調気味で、なんでどっかいかないんだろうと思ってました。で、檻に入れられたボス猫は一晩中小便を垂れ流しながら呪詛の唸り声を上げ続け、翌日、しかるべきことになったのですが、その空いた檻に、しょぼんとうなだれた娘猫が自分から頭を下げて入ってきて、もうどうにでもしてみたいな感じであわれっぽく鳴いたので、なんだよこれと呆然としました。これも野良猫だから同様の末路と考えたのですが、あんまりにもあわれ、かわいそうという理由で奔走した人がいて、けっきょく娘猫は譲渡会かなんかに行ったです。それを思い出しました。畜生は畜生だからそういうことをやるが、人間がやったらそれはもう畜生に落ちたということ。

表題にもなった『穢れなき日』は、そういうののない、清涼剤のようなすがすがしい作品で、しかし作者の芸風はそうじゃないだろう的に読むので、いつ暗転するかとビクビクしながら読みました。結果、   助かりました。

関係ありませんが、ソルケーモオサンの作品は、国書刊行会でもババーンとやるそうで、国書刊行会がんがれと思いました。

www.kokusho.co.jp

『女であるだけで』・『穢れなき太陽』 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

以上