『サヤン、シンガポール アルフィアン短編集』"Corridor" by Alfian Sa'at〈アジア文学館〉シリーズ 読了

装幀 今井明子 カバー写真 Nguan

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小学館のアジア縦断アンソロジー《絶縁》に収められたアルフィアンサンの小説*1を読んで、とても面白かったので、書肆侃侃房から出ている2012年の短編集の邦訳*2を読み、それもとても面白かったので、アジア文学といえば、の段々社から2015年に出た1999年の短編集の邦訳も読んでみました。が、いささか古かった感があるというか、まだWindows98なのでのんびりした前世紀末だったせいか、問題提起が研ぎ澄まされてないと思いました。なんでまた2015年に十六年前の作品集を邦訳しようとしたんだろう。

頁240の訳者あとがきで、華人マレー人タミル系などのインド人それぞれが母語でない英語で執筆するシンガポール小説はその特徴として、ディティールなどを「最小限に効率よく行うことによって達成される」文学であり、「つまり、語り急がれるわけで」「乱暴な言い方をするなら」「一度読めば十分」ということになってしまう文学なんだとか。要するに今北産業。ファスト文学。その例外がアルフィアンサンなんであ~る、と訳者サンはブチくらすわけなのですが、本書についてだけ(21世紀からの後付けで)言うと、その枠をブチ壊すまではいかんかったんじゃのう、という。

現在で言うところのLGBTQのLとGとTが出る話があり、当時としては革新的で新しかったのでしょうが(さらにいうと、大陸の中国人のあいだでも有名だったシンガポールの《人妖》街,オカマの通りが本書の頃、一度一掃されてるそうです)どうかなあという。HMVのトイレがJKペッティングスポットとして活用され、HMV自体も、"Her Majesty's Vagina"(女王陛下のぼぼ)と呼ばれるなど(頁128)ホーソウナンデスカというのはありましたが、それ以上は、特に。Gのほうは、ジョン・チーバーみたいなオッサンが若い子を求め、白髪の加齢ジジイですが捨てないで~と若い子(しかも友人の息子)にすがる話で、それもなんというか、かな。オカマ街が「浄化」された、という情報は頁178の短編に出るんですが、オカマをマレー語でいうと「ボンダン」で、主人公たちのJKたちが、マツコというかミッツというかIKKOサンというかみたいな人に電車の中で軽く、いい意味で絡まれる話です。「アナタ、キレイよ! そう、女優の誰それに似てる! どんだけ~」みたいな感じで。

1999年の小説は内向きでドメスで、外部の人向けの説明などまだそれほど考えてないので、イングリッシュネームの人は華人で、ムスリムっぽい名前はマレー系で、インドっぽい名前はインド人で、というふうに、説明のない中読者が判断せねばなりません。そういう意味でも、『マレー素描集』は格段に外部に分かりやすくなっている。私がこの人スゴい、と思った小学館『絶縁』収録の『妻』は、回教社会の一夫多妻を、妊活の終焉(あきらめ)と、破談に終わった夫のかつてのいいなづけが独身のまま働く姿とをクロスさせ、戒律の再生、新たな価値観による戒律の捉え直しを試みていて、素直にシャッポを脱いだですが、本書は、そこに至る、マイルストーン、一里塚の一つといった趣です。

sayangサヤンーーー この切なさは何だろう? "繁栄の国"の陰に生きるシンガポーリアンたちを気鋭の作家が慈しみをこめて描く12の物語

帯。原題はコリドーという、ザギンの通りみたいな名前で、しかしこれはリー・クアン・ユー"Lee kuan yaw"(李光耀ピンインですとliguangyao、リーグワンヤオになりますので、おのずと北京語ママのはっちょんでないことがご理解いただけると思います)*3が提唱して国民の八割が住むという住宅開発局供給の高層アパートの共有廊下を指しているそうで、住宅開発局がハウジング・アンド・デベロップメント・ボードboardで略してHDBなので、HDBアパートとそれらは呼ばれるそうです。

上は表紙に使われているHDBアパートの共用廊下。拡大。

装幀 今井明子 カバー写真 Nguan

ここが舞台となった話が多い連作なので、そういう原題なのですが、それでは弱いと訳者が考えたのか、アルフィアンの本質はマレー語「サヤン」ではないか、そうだ、サヤンだ、という感じで、邦題はサヤンです。

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上の知恵袋と異なり、訳者サンの考えるサヤンは、サウダージみたいなイメージで、それをアルフィアンサンに言ったところ、サヤンの概念は、ゴーパル・バラタムというインド系シンガポール人作家の"Sayang"という小説での発言がいちばんよい定義だと返答され、ゴーパル・バラタムサンの小説は同じ段々社から1993年に『いとしい人たち』という邦題で刊行されていますので、やりぃ、そのアイデアいただきマンモス! とばかりに幸節みゆきサンが本書の邦題にサヤンを持ってきた……わけでもないと私は信じます。笑介チャン!!ズッ!!

好評既刊 いとしい人たち ゴーパル・バラタム短編集 ゴーパル・バラタム/幸節みゆき訳 シンガポールのインド系作家による魅力の短編世界。知るはずのない過去を語り合う老人と少年の「生きている記憶」、他に「インタビュー」「から元気」など全10編。●インド的夢幻と近代性の融合ーー読売新聞《日本図書館協会選定》

帯裏 本書は図書館にないかったので、amazonの出品から、¥900プラス送料¥257で買いました。文句はありません。ゴーパルサンのほうは、図書館に蔵書がありましたので、借りて読んでみます。

いとしい人たち

Gopal Baratham - Wikipedia

Sayang (English Edition)

Sayang (English Edition)

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訳者あとがきに、マレー系社会について教示された大阪学院大国際学部教授瀬川真平サンへの謝辞、段々社編集で、三十年以上各シリーズに関わり、本書も担当された坂井正子サンへの謝辞。2014年の訳者あとがきでは、直近シンガポール観光を楽しんだ邦人女性の、「でも、どこも外国人観光客ばかりで、シンガポール人はどこにいるんですか?」というせりふが紹介されてますが、1999年ならまだまだ可視化されてたはずですし、2023年では、本土からの流入人口が、見える「シンガポール人」として現れる確率はますます高いと考えます。そんな小説群。

巻頭に、作者から友人知人への多謝。その次に、『中心を外れて』という別の作品(ルポルタージュ?)に登場するハレシュ・シャルマという女性の、レピッシュの28歳*4みたいな、どんな時も私はニコニコという発言が置かれています。

課題』"Project" マクドやなんかで宿題をこなす高校生たちの日常。マレー系の主人公が、おちっこのあいだこわいから男子トイレの入口で見ててくんないと見ず知らずの華人系の発達ナントカっぽい少年に言われ、華人系だから皮ついてんだろうし見たくないと思う場面がリアルです。

ビデオ』"Video"マッカ、メッカ巡礼の直前に急逝した男性の遺品にビデオカメラがあって、未亡人と嫁いだ娘がそれを見ると、いろいろ映像が残されていて、という話。ビデオテープを入れて撮影するタイプで、取り出したビデオテープをビデオデッキに入れて再生します。いやー、そんな時代もあったんですね。ハッジになれなかった悲しみに。女性はハッジでなくハッジャというそうです。ムスリムムスリマになるみたいな感じでしょうか。マレー系。

孤児たち』"Orphants"カーステのラジオから流れる、世界の見知らぬどこかの悲惨なニュースに、感じやすい女性が感じやすいという話。たぶん華人系。

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乗客に日本人はいませんでした、ではなく。

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こっちかな。

』"Pillow"ジョン・チーバーみたいなオッサンが友人の息子にチョッカイ出して(車に乗せてまずフトモモをさわるところから始める)ジジイのワシを捨てないでと哀願するまで。華人系。

廊下』"Corridor"共有廊下で殺人事件があって、こわいわねえという話。丁度その時ジャカルタ旅行に行ってて、ホテルでテレビつけっぱにしてて、インドネシア語もっと分かるかと思ったら、意外と分からんもんだね、という主人公はマレー系。名前はリディア。隣人はインド系。

対決』"Duel"個人的な話で、暗い話。でも題名はデュエル。遠藤航

勝者たち』"Winners"「おめでとう、当選されました!」詐欺の話。

個室』"Cubicle" 百合もの。互いに好みのタイプは異なるのに、よくアヘアヘしてます、HMVのトイレで、という話。

』"Umbrella"マレー系の、「僕は勉強が出来ない」主人公に、華人系のカテキョーが来ますた、という話。雨が上がった日に彼が忘れていった傘から題名がとられていますという。

ブギス』"Bugis"これだけ題名がマレー語。

ブギスを歩いてみよう | シンガポールナビ

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まだ誰と誰がくっつか未分化の時点の、高校生グループの話。マレー系。

誕生日』"Birthday"サンドイッチメーカーという機械がよく分からず、オーブンサンド作るアレだろうかと憶測したりしています。個人的には、トースターがパンをパンと飛び出させるのは、別れた誰かが大好きだったので、読んで、おなかのどこかがしくしくしました。

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ディスコ』"Disco"アルフィアンサンもハルキ・ムラカミが好きなのかなあ、という一篇。

以上

*1:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*2:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*3:

ja.wikipedia.org

不可知論者[1]。
英語を話す家系に生まれたクアンユーは、幼くして英語教育を受けた。祖父のリー・フンロン(李雲龍)からは、クアンユー(光耀)の華名とともに、Harryという英語名も授けられ、家族や親しい友人からは、現在でも“Harry”と呼ばれ親しまれている。このような華人家族は当時のシンガポールでは一握りのエリートで「海峡華人」と呼ばれる。

彼は幼少期には中国語ができず、中国人の友人はほとんどいなかった。 彼が一緒に遊んでいたのはマレー人で、福建語が入り交じったマレー語で話していた。

*4:

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