アジア九名九都市連結アンソロジー「絶縁」に収録されているこの、シンガポールのマレー系作家さんの小説が面白かったので、ほかのも読んでみようと思って買いました。ブッコフで¥1375。装幀・組版=佐々木暁 ■編集=藤枝大
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訳者解説によると、本書は著者の英語執筆第二短編集で、2012年にマレーシアのシャフリル・ニザムという人の挿絵付きでシンガポールで刊行され、その後、下の版ですが、挿絵のない、ニューヨークに拠点を置くシンガポール系団体運営出版社ヴァージョンが2018年に出たそうです。
本書訳者の人は英文畑の人で、原書にあるマレー人の服装や慣習に関する原注を、訳文に組み込むかカッコ内に書くかして、さらに、シンガポールの歴史に関する情報が有益であると訳者が判断したものは訳注もつけたそうです。訳者の人は2012年にシンガポールを訪れたことがあるのですが、出版の2021年はコロナカで再訪叶わず、記憶と、田村慶子編『シンガポールを知るための65章』市村卓『シンガポールのムスリム・宗教の管理と社会的包摂・排除』などを参考に本書を訳したそうです。訳文の誤りは訳者の責に負う、とは訳者解説の本人の弁。
48の短編によって「シンガポールのマレー人」を活写しようという試みで、1895年に英国海峡植民地知事・総督フランク・スウェッテナムが書いた同じタイトルのエッセーから巻頭言を引っ張っています。これを読んでマレー人がいかなる人たちかを分かってくれなかったら、そりゃ書いたこの文章の責任だわい、的な文。
内田百閒の『冥途』『旅順入城式』をちょっと思い出しました。短編というと稲垣足穂の『一千一秒物語』になるのかもしれませんが、そっちは私は読んでません。
上に訳者の注釈談義を書きましたが、頁34、「ナシレマク」が注釈なしで出てくるので、このレベルの単語(シンガポールの朝食の常食、ココナッツミルクの炊き込みご飯とオカズ取り合わせだったかな)は訳注抜きで読めということなのか、そういうボーダーラインなのかと思いました。海浜のカンポン(村)で育った自分たち世代の思い出を、自分たちの家庭の子どもとも作りたい、次世代にも受け継いでほしいと思って、チャンギ・ビーチでプチキャンプして、日が暮れた後、焚火のほのおに照らされて、ほかにも砂浜にいたマレー人たちとバーベキューで歓談し、翌朝、管理社会シンガポールの管理人から許可証の提示を求められるとともに退出期限を告げられ、隣人はというと、住宅開発庁HDBからアパートの追い立てを食らって行くところがないと哀願する声が聞こえる、という話。
大和のシンガポール料理屋で日替わりで出た、ナシ・レマックとサラダのセット。ここはしょっちゅうナシレマッを日替わりで出していたような。一度、パパ活で行って、これが所謂パパ活なのかと後で気づき、お店の人に笑われてしまったので、ていさいが悪くなってその後行ってません。が、ババ・ニョニャというか、古くからの華人系のシンガポーリアンだったはずです。本書で描かれるマレー系からは、モザイク社会の別のコーナーとして語られる存在。シンガポールはその島では多数を占める華人系が、マレー人主体国家マレーシアとは別の道を行きたいということで独立した国ですから、そこに住むマレー人とその社会というと、考えなくても重層的な構造になるはずです。そこにさらに、イギリスが民族離間促進のため移住させたインドのタミル人がいて、タミル人(移住インド人)の中でさらにヒンディー教徒とイスラム教徒"Muslim Indian"の宗教対立がある。
上は、キャンプのおやくそく、砂浜でパパサンがギター弾きもって唄う歌。ヘヴィメタバンドだそうですが、往々にしてメタルバンドで歌い継がれてしまうのはスローバラードの法則を外さず。1980年のアルバムだそうなので、長く愛されてる歌なんだなと。つべに、やたら「弾いてみた」的なギター動画があがってます。インドネシア語で。
書肆侃侃房だからか、栞や紙質も凝ってました。
アルフィアンサンは所得ほかで華人系タミル系に比べて下位のマレー系の中のインテリ家系で、カルチャー活動で頭角を現しつつ医学部に進学しますが卒業しなかったそうで、本書にはところどころ、「めずらしいマレー系の医学生」「めずらしいマレー系の若い医者」が出ます。それ以外、マレー、インドネシアの妖怪がちょくちょく出ます。たとえば、頁86、処女の血を求めて家庭を襲う幽霊、ハントゥ・クムクム。日本の口裂け女同様、美容整形(呪術ですが)に失敗した若い女が、顔の引き裂き傷をスカーフで隠し、若い女を求めて家々の門戸を叩く。たとえばハントゥ・テテク(頁39)夕暮れ時に出没する巨乳の女性で、その乳房で子どもを圧死、もしくは窒息死させる。
おそろしいことに、日本ではマレー世界の妖怪について、水木サンや大泉実成、林巧サンらの尽力によって、かなり詳細に紹介されており、2018年の鬼太郎アニメにも登場するとか。上記もピクシブ百科事典に出てくるので、驚きました。
マレーシアの妖怪 (まれーしあのようかい)とは【ピクシブ百科事典】
ハントゥ・テテクは、「おっぱいオバケ」という、ガンダムダブルゼータに登場するキャラの綽名に由来するジャンルに入っていさえします。
頁124に出てくるポンティアナク、出産で命を落とした女性が、子どもと別々に埋葬されず、口と両脇にタマゴを入れられなかったので、タマゴが防ぐはずのキバが口から生え、両脇も自由に動かせたので土を掘って地上に這い出して、胎児に与えるための生き血を求めて人界を徘徊するようになった、は、ピクシブに独立した項目があります。
頁156、死産の胎児が黒魔術によって現世に呼び戻され、魔導士の使い魔になってしまう「トヨール」も独立項があります。アルフィアンサンの話は、シンガポールの独居高齢者の部屋で失せものなどが出て、訪ねてきた息子にトヨール問題を訴える話。
頁92『証拠』イスラム原理主義者の夫を逮捕長期拘留された妻をケアマネみたいな人が訪ねる話。シンガポールで無期懲になるのは共産主義者だけなので、宿六サンはいつか釈放されますよとなぐさめるのですが、①ISみたいなテロリストはそうそう釈放されないだろう、②中国本土からの移民をどんどん受け入れてるのだから、アカ狩りうんぬんは過去の話ではないか、と、思いました。
頁94、『タンジョン・パガー 正午』お昼休みに待望の一服をする喫煙者の話。子どもの頃はタバコでなくニンジンを持ち歩いていた、というくだりがあります。むかし、ペナンを訪れた時、何かのおまつりのようでしたが、夜、ナマの人参を齧りながら歩いて来る、イギリス人っぽい青年とすれちがい、"Why do you eat carrot?"と訊くと、"This is my salvation."と答えて、夜の街をどこかへ行ってしまいました。この小説のこの習慣を踏まえると、彼はイギリス人でなくユーラシアンで、マレーには生ニンジンをかじる習慣があったのかもしれません。
以下後報
帯裏。
シンガポールはゴミをポイ捨てしただけで罰金になる国なので、当然街中にはそれを見張ってて、現行犯から罰金を徴収する仕事の人がいるわけで、頁76『ポイ捨ての女の子』はその仕事に就いた人の話です。私服勤務。IDチェックして後日振込用紙送付。英語からマレー語に切り替えておめこぼししてもらおうとして㍉という展開なので、たぶん、マレー系がマレー系を捕まえる話です。別に華人を捕まえてもタミル系を捕まえてもいいのにと思いました。言い訳や言い逃れに民族の違いはありません。
シンガポールは死刑のある国で、特に麻薬ですぐ死刑にしてしまうことで有名なので(マレーシアもそうだったはず)それに関する話もあります。頁96『穴』は、息子の死刑執行後、もう使えないようパンチで穴を開けた息子のIDカードを受け取る父親の話。その次の話が遺体を清める人の話で、その次、頁105『送り出し』は、死刑執行人の役職を言い渡された刑務所職員が、拝命せず辞職する話。前任者はタミル人ですが、あまりそこに意味はないかな。シンガポールとマレーシアの死刑というと、むかしは邦人バックパッカーの多くは現地寄りで、隣国オーストラリアのティーンエイジャーかなんかが軽い気持ちで93などを持ち込んで捕まってデスバイハンギングを宣告されて、家族がテレビ等でバンバン泣きながら「ひどすぎる」とか「まだ若いんだ」「やりなおしのチャンスを」とか言ってるのを、「入国カードにあんなに大きく書かれてるのに、どうして分かんないかな」「毛唐はこれだから」"sigh"「けっきょくアジアをなめてるんですよあいつらは」みたくニヤニヤしながらビール飲んでる光景というのが、あるあるでした。今はどうなんでしょう。
検索したら、おそらくタミル系のシンガポール人の死刑ニュースは出たのですが、外国人観光客がガツンと絞首刑執行みたいなニュースはコロナカ前でももうそんなないかったかもしれません。
シンガポール:2年ぶりの死刑執行 死刑で薬物犯罪はなくならない : アムネスティ日本 AMNESTY
頁114、イスラム教では犬は不浄の動物の話。触れた場合は「セルトゥ」と呼ばれる浄化の儀式を行わなければならず、粘土で一回、水で六回、なのかな、で洗わなければならないとか。で、あるマレー系メイドが主家のジャーマンシェパードの世話をさせられていて、粘土入手の相談をご近所の顔見知りのマレー人婦人にして、同情した婦人はセルトゥ用の粘土入り石鹸をマレーシア側のジョホールバルに行って買って来てプレゼントして、のみならずメイドの雇用主に会って抗議するわけです。メイドがムスリムなのを知っていて犬の世話をさせているのかと。主人はウィー・ケオン。妻はリンディ。明らかに華人系の名前。で、ウィーは、雇用に際して、犬の世話が含まれることは事前に説明しており、彼女は了承済だと言い、ご近所マレー夫人は、その条件を呑まなかったら雇わなかったくせにと反論し、そこで、実はあの犬は死んだ息子の忘れ形見で、これは純粋の気持ちの問題なので、不合理だと自分でも分かっているんだけど、どうしても手放すわけにはいかないと打ち明け話をされてしまいます。ギャフン。検索してみると、セルトゥ石鹸はウラマーたちのあいだでまだ議論が分かれていて、決着はついていないものの、使用オッケーの方向に傾きつつあるという記事が出ました。セルトゥは"SERTU"
以前、インドネシアに駐在していた農業関係者の知り合いが、農業なので街中でなく郊外の農場に住んでいて、ぶようじんなので番犬を飼っていたのですが、近在に原理主義者の爺さんがいて、あれこれ犬でもめたと聞いたことがありました。その時は気に留めてないかったのですが、今犬のタブーを知ったので、彼に連絡ついたらその時の話をもう一度教えてもらおうと思っています。しかし番犬飼えなくて銃も持てないと、防犯はいっそう用心が必要だなあと。東南アジアのチャイナタウンの窓は必ず鉄格子が入ってる。
頁126、ダンドゥットというジャンルの音楽が出ます。
上の友近サンみたいなオネーサンのとか、某ルーギャー芸能人みたいな人のとか、タリバンが憤死しそうなくらい、女性がくねくねおどる動画が多いのですが、つべで視聴回数を稼ぐには童貞向けセクシー路線という暗黙知もあるので、現地でほんとにそういうものかどうかは分からないです。徴兵制のあるシンガポールの軍隊の話で出てくるので、下記のようなものかもしれない。
頁169、クルアーンを落としたら、神聖なものなので、持ち上げて、あご、鼻、額につける動作を三度繰り返さなければいけないとか。しかし、多文化共生とかかんたんに言うもんじゃないと、ゴッツンするたび繰り返し私は思います。最近も、インドネシア女性と結婚した同僚が体調を崩すのはラマダンで無理をするせいだと、ラマダンというものが回教にはあると知ったオナクラクンが言い出してるらしく、文化の相互摩擦は、何も知らない段階より、知りそめしステージで多く花開くと、改めて思っています。ほんとなんでそうなるかな。
頁177『夜のシンガポール』は、音楽談義の話。
シンガポールで本気でR&Bを目指してるとその話で書かれたダヤン・ヌールファイザの曲が上。
シンガポールの美空ひばりなのかという感じの(これは私の意見)カルティナ・ダハリ。
お話のタイトルに使われた、「夜のシンガポール」"Singapura Waktu Malam"歌手はサローマという人。
下はラフィア・ブアンという人。インドネシア側の小島出身とか。
下はシャリファ・アイニという人、若い頃の画像はふつうにマレー人ですが、実はアラブ人ということで、後年の画像は、上から下まで真っ黒なヒジャブで覆うアラビア半島スタイルのビッグ・ママになってました。
この話の主人公は、ブンガワン・ソロなどを産んだインドネシアの代表的音楽ジャンル、クロンチョンについて、ウクレレに似たクロンチョンという楽器を持ち込んだのがポルトガル人なので、クロンチョンとは、ふたつの海の民の交わり、Portuguese' 「サウダーデ」meets Malaya's 「リンドゥ」なのだ、としています。ともに翻訳不可能な単語が交錯して出来た音楽。リンドゥは"rindu"と書くようで、くだけた表現だと"kangen"になるそうです。思慕。シボ族。
下記は、ニューヨーク留学中のマレー系女性の話。
頁187『お客』
(略)クラスメートのなかには、彼女のことをフィリピン人だと思っている人もいれば、ヒスパニックだと思っている人もいた。シンガポールの出身ですと言うと、つかのま、その場にいる人たちの顔には理解したような表情が浮かぶが、それは誤解なのだとヒダヤにはわかっていた。そのあとしばらくは、シンガポールは中国の一地方ではないとか、香港とも台湾とも近くはないとか、自分は中国人ではない、という説明をするはめになる。
もう少し旅慣れたクラスメートたちは、東南アジアという地域があるのだとわかってはくれているものの、それもバンコクやバリでの休日で羽目を外したというだけだった。そして、自分はムスリムだと明かしたヒダヤは、これについてもちゃんと筋道を立てて話をしなければならないのだと知った。中東や亜大陸(インド周辺のことだと思います。わたし註)にいるムスリムたちとは、またちがうのだと。極めつけは、わたしはマレー人です、と言ったときで、これまたひととおりの解説が必要だった――マレーシア人じゃないし、移民の一家でもないんです。「先祖がマレーシア出身だとしても、狭い海峡を渡るだけなので移住とは言いません」
それが終わっても、あとで「マーレー」やら「メーレー」と変な発音をするクラスメートたちがいる。
この話からもう一箇所。マレー人にとってのユダヤ人街やチャイナタウンがあればいいのに、と思う箇所。逃げ込めるから。
頁188『お客』
(略)ヒダヤの知るかぎり、故郷を離れたマレー人たちが作っている社会は、南アフリカにいるケープマレーと、スリランカマレー、スリナムで契約労働をしているジャワ人の子孫くらいのものだった。
上は、スリランカだけよく分からなくて、南アは例のボーア人、アフリカーンス語を話すオランダ系に伴ってインドネシアからやってきた人たちがいるのだろうと思いますし、スリナムは現在もオランダの海外領土(フリットとライカールトの故郷)なので、ジャワ人がいるというのは、私も聞いていました。というか、アムステルダムだってロッテルダムだってインドネシア人はいる。オランダのフィッシュアンドチップスは、ケチャップだのマヨネーズだののつけあわせを選ぶ際、インドネシアのサンバルも選べるくらいです。日本でキムチ牛丼を以下略
スリランカはなんだろう。タミル人をマレー半島に連れてきた逆張りで、イギリスはマレー人をセイロンに連れてったのだろうか。
そういえば、マレー系女性がかぶるジャミラみたいなタイプのブルカというかヒジャブというかを、トゥドゥンと言うと、本書でやっと知りました。忘れたくない単語。トゥドゥン。
シンガポールのムスリム女性にとってのトゥドゥン
日本マレーシア学会
http://jams92.org/essay/20160927_ichioka.pdf
頁202、シンガポール出身で、マレーシアで人気が出た数少ない歌手として、ラムリ・サリップという人が書いてあります。マレー系がシンガポールで活躍するのは華人やタミル系の壁を乗り越えなければいけないので大変そうだから、マレーシアやインドネシアを目指すかというと、それも大変そうだという。どこもイージーゴーイングはない。
この辺から、ペニンシュラの突端の都市国家と、それを包囲してるんだかしてないんだかのマレーシアとインドネシア(マレーシアも華人比率は高く、三割を占めていたはず。出産率は知りませんが。旧オランダ領だったインドネシアは人口では少数華人を圧倒、マレー系優位)の関係性についてのセンシティヴな話になります。まず、双子でありながら、弟はシンガポールに住み続け、兄はマレーシアに移住したきょうだいの話。シンガポールのインドネシア料理店で会食し、先ずでだしで、シンガポールではマレー系のおいしいレストランを見つけるのも大変だ、という話をします。
頁208『兄と弟』
「いいか、ハズリ。この街は変わりつつある。俺たちが小さかったころとはもう別物なんだ。いつか中国からバス運転手を雇うようになるなんて、考えたことがあったか?(訳注 シンガポールの大手公共交通会社SMARTは二〇〇七年ごろから外国人バス運転手の採用を開始し、二〇一二年には二千名中四百五十名が中国人の運転手だった)英語が一言も話せないような運転手を? 母さんみたいな人は、どうやって行き先を確かめればいいんだ? 俺たちが中国語を覚えればいいのか?」
「新しい言葉を覚えるのは別に悪いことじゃない」
「母さんマッと父さんアヤがカンポンで暮らしてたときは、近所の華人たちにはマレー語で話してた。俺たちの世代は英語を使ってる。次の世代は何語を使うことになる? (略)市場の力を使って作ってるんだ。ひとつしか言語を使えないやつらを輸入して、俺たちに圧力をかけているのさ」
「安い労働力ってだけだろ。深読みしすぎだよ」
「じゃあ、シンガポールの華人比率を七十五%で維持しようって方針はどうなんだ? あいつらの出生率が一番低いわけだから、海外から外国人を連れてきて数字をクリアしなきゃならない(訳注 二〇一〇年~二〇一八年の華人の出生率は0.98~1.18のあいだ。マレー人の出生率は1.64~1.85のあいだを推移している)それはどうなんだ? どっちが優先される? シンガポール人でいることか、華人でいることか?」
「それはマレーシアでもそうだろ。インドネシア人ならすぐに在住許可がもらえる」
この話を読んで、ヤスミン・アフマドの映画「セペット」に出てくるマレー華人家庭に嫁いだシンガポール人の兄嫁が、家族の誰も聞きとれない(こともないはずですが)普通話を誰も聞いてないのに壊れた水道の蛇口のように延々喋りまくる場面を思い出しました。映画を観た時は、広東語も閔南語もしゃべれない普通話だけのシンガポーリアンなんか、ぜったいおかしい、中国本土からの移住者がビザ目当てでローカル華人と結婚したんだろう、と思ってました。今でもその考えはあんまり揺らいでませんが、ほんのちょっとは揺らいでます。
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頁214『星の丘』は、ららぽーとのあるクアラルンプール中心街、"BUKIT BINTANG"の意訳で、学校が休みになると、KLまで遊びに行くことにしている姉妹の話。親世代にとってはKLとは、なんでもハラルなので食事の心配をしなくてもいいところ(シンガポールだとハラルのステーキやローストチキンを出す西洋料理店を探すのは至難の業だとか)で、誰もがマレー語を話すので親和性がある場所、でしかないが、娘世代にとっては、そこは「脈打つエネルギーと、シンガポールには見当たらない、目もくらむようなコスモポリタンな雰囲気があった」そうで、チャドルを着たイラン人女性たちと清掃業のミャンマー人たちと北欧から来たバックパッカーたちを同時に見ることが出来るんだそうです。そういうのって、シンガポールでも見れるだろうと私は思うのですが、何かが変わったのかな。KLに住んでたのはGacktで、シンガポールはオリラジ中田と三浦朱門曽野綾子夫妻とドバイに行く前の与沢翼。
私はシンガポールには行ったことあるのですが(成田空港がチャンギ空港のようでないのは大変に残念だとその時思った)KLはありませんで、KLMオランダ航空に乗ったことはあります。
で、『星の丘』の姉妹は、シンガポーリアンの自分たちは、マレーシア国籍のマレー人より、一歩垢ぬけていて、一歩モテるはず、という確信を持っていて、それが打ち砕かれる話です。ふたりは小作農家出身の女を「田舎者ミナ・フェルダ」と呼び、ローライズのジーンズからお尻の肌が露出しているような「いけすかない女たち」を「ヤリマンミナ・ボフシア」と呼びます。自分たちは違うはずなのにィ、という話。
まずおさらいしておきたいのは、ローライズデニムの定義。これは、股上が浅く、ウエスト位置がおへその下にくるデニムのこと。
すごいなあ。これであともう一冊アルフィアンサンの邦訳があるんですから、たいした話で。以上
(2023/6/2)
【後報】
相模原市ナントカ区星が丘
相模原市ナントカ区星が丘
(2023/6/6)
【後報】
クアラルンプール在住のGacktはフィリピン人のお手伝いさんを雇っていて、かの地ではそれがふつうだとか。マレー人だと犬の世話一つでもいろいろあるので、それでフィリピン人ナノカーという。
(2023/6/20)