三冊出ていたウクライナ絡みの随筆のうち、二冊目。河出。あと一冊の世界文化社はリクエストの順番待ち。装丁・デザイン 成澤豪 成澤宏美(なかよし図工室)
図書館で借りましたが、奥付に「*本書の売上から、1冊につき100円をウクライナ赤十字社に寄付いたします」と、清涼飲料水の自販機でもときどきある寄付付きの文言を発見し、じゃあ買ったつもりで100円を日赤にでも募金しようと思いました。
136ページの絵本です。編集部による「まえおき」があり、「著者の言葉」があり、作者がハリコフ、リヴォフ、ワルソー、ブルガリア(のどこか)に避難するまで、鉛筆で書き綴った文章とスケッチがそのまま印刷。監修者の奈倉有里サンによる解説で〆、です。監修者の方のエッセーは一冊読んでいて、非常に印象に残っており、この人が今回の戦争に関してさかんにSNSで発信されている内容も、一度や二度は見てましたので、それもあって読みました。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
まず、本書が、最初に韓国で出版され、日本版はハングル版からの翻訳となっている点をメモしておきます。韓国で出版された折に、日本では文春がそれをトピックとして取り上げているので、日本版が文春でなく河出というのは、数奇な運命という気もします。
文春で紹介している人は、『韓国窃盗ビジネスを追え 狙われる日本の「国宝」』*1などの著書も出してるソウル在住の人。この記事の中に、邦訳版だと頁93、死んでしまっても身元が分かるように、自分と子どもの腕に書いた、名前と生年月日と電話番号のイラストの、韓国版の同じページが載っています。邦訳では読み飛ばしてたのですが、ハングルを写していて、彼女とお子さんとで姓が違うのに気づきました。作者はグレンベンニクで、お子さんはヤロシェンコ。実子だとは思うので、夫婦別姓で、お子さんにはパートナーの姓を名乗らせてるんだろうと推測します。
배라 야로셴코 2017.7.19 066820
ヴェーラ・ヤロシェンコ 2017.7.19 066 820
ものすごく些細な点なのですが、韓国版は電話番号の数字みっつとみっつのあいだにスペースがなく、邦訳版にはそこに半角スペースがあります。
絵本作家が鉛筆1本で描いたウクライナの衝撃の記録『戦争日記』発売 | ほんのひきだし
文春三ページ目を見て、ハングル版の同じページもチェックしてみてね!(棒
また、韓国版では副題が違っていて、《전쟁일기 우크라이나의 눈물(戦争日記 ウクライナの涙)》であったことが分かります。文春記事にはハングル版の帯も載っていて、青と黄色のウクライナカラーの帯です。
ハングル版帯
전 세계 최초 한국 출간
김하나 은유 황선우 강력추천!
"뉴스가 전하지 못하는 전쟁의 진실이 이 작은 책에 모두 담겼다."_김하나(작가)(Google翻訳)世界初の韓国出版
キム・ハナ比喩ファン・ソンウ強力推薦!
「ニュースが伝えられない戦争の真実がこの小さな本にすべて含まれた。」_キム・ハナ(作家)
「ウニュ」という単語の意味が分からず、この場合「比喩」ではないよなあ、と思う以外ドンピシャ。いちおう、グーグル翻訳では「おすすめ!」になってた「추천!」を、漢字どおり「推薦!」にはしときました。「뉴스가」は「ニュースが」でなく「ニュースで」かもしれないと思いましたが、「伝えられない」が、「伝えていない」ではなく、「伝えることが出来ない」というニュアンスみたいなので、「가」は「が」でいいかなと思いました。あと、ファン・ソンウサンは、ホントはリエゾンして、ファン・ソニュになるようです。下の本の著者。
下は、昨年九月に行われた上記出版記念オンライントークイベントの告知。著者二人の写真が載ってます。
駐大阪韓国文化院 Korean Cultural Center
戦争日記 鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々 | porvenirbookstore'...
左が河出の帯。大手通販サイトはのきなみ、帯なし画像がトップで、帯つきは、その他の画像を見ないと出ないので、最初、帯なしの表紙画像しかないかと思って、上の書店サン?のサイトを借りました。ブロックされたらそれまでで。
黒柳徹子さん推薦で、奈倉有里サンのご芳名が分かるように明記。韓国版と違って、ウクライナカラーを前面に押し出してないのは、後述する作者の姿勢とも関連すると思います。
解説によると、本書はイタリア語版とルーマニア語版もすでに出ているそうで、ドイツ語、フィンランド語の出版も予定されてるとか。イタリア語版の表紙画像はたまたま見つかったので、置いておきます。
著者名、原題、イタリア語タイトル、イタリア語の副題というレイアウトで、韓国版や日本語版とさほど変わりません。
DIARIO DI GUERRA
Una matita e un taccuino per testimoniare otto glorni nei sotteranei ucraini e la successiva fuga per la via(Google翻訳)
https://www.instagram.com/gre_ol/?hl=ja
著者のインスタが上。ロシア系で、ロシア語が母語であるため、本書はロシア語で書かれ、地名も彼女の要望でロシア語表記(カッコ内ウクライナ語併記)です。キエフ(キーウ)やハリコフ(ハルキウ)やジューコフ、リヴォフ(リヴィウ)は逆に馴染みのある表記ですが、イルピンなんか知らなかったので、イルペンとロシア語で書かれて、へっ?、って感じでした。
右は裏表紙に使われた頁68の文章。「子どもたちは爆撃を聞きながら「平和」と書いている」だそうです。このように、手書き文字で原文ぜんぶ併記なので、そっから邦訳すればいいのに、わざわざハングルから日本語にして、ロシア語の原文との整合性を奈倉有里サンのように知られた人にチェックしてもらうというまわりくどいやり方をしてるのも、本書の特徴です。訳者の方二名のうち邦人の方はハングルがご専門のようで、韓国人の方のほうはロシアの専門家とのことなので、このお二人だけでもよかった気がします。後者が解説書いてもよかったかなと。
著者は、グルベンニックサンというお名前で、グルベンニコワでない理由は分かりません。ほんとはドイツ系だからでは?と勝手に思ってもみましたが、知らない。
上はTOKYO2020男子バリボー優勝チームフランスのリベロの人で、ロシア系。グルベニコフというお名前。男子がニコフで女子がニコワがロシア語姓のお約束だと思ってますので、著者がグルベンニコワでなくグルベンニクな理由はほんとに分かりません。実は、ロシア語話者だが、ロシア語の女性形男性形の使い分けは脱ぎ捨てよう的ジェンダーフリーリュースキームーヴメントがあって、それに乗っかってる人かもしれません。
著者は、人間は民族で分けるべきでなく、行動で分けるべきと主張する人物なのでこうなっていて、だから、本書は、私がこの前に読んだ左右社の日記アンソロジーのような、抵抗のあかしとしてウクライナ語を話さなくちゃ、これまでまじめに取り組んでこなかったので、ウクライナ語の文法がアレなのがはずかしい、的文章は出ません。和解への道を長期的に塞ぐであろうと言われる、ブチャの虐殺の露見に関する記述もありません。(フェイクだと一蹴するような記述もない)
戦争とは関係ない限りでいうと、彼女の意識は、私の理解出来る範囲での捉え方では、知られた人間では、フィンランドのトーベ・ヤンソンサンみたいな感じかなと思います。国籍フィンランドのトーベ・ヤンソンサンは、おそらくアイデンティティではフィンランディアンで、国家としてのスウェーデンに忠誠を誓った人間ではないですが、母語はスウェディッシュで、しょうがいスウェーデン語を話し、それを手放さなかったという。国家、文化の力関係でいうと、どうしてもスウェーデンはフィンランドに対し優勢なので、生涯フィンランド(の小島)で暮らしていたとて、スウェーデン語で何の不自由もなく、フィンランド語を覚える必要性は露ほどもとは言わなくて、露くらいは感じたでしょうが、露以上は感じなかったかなという。そのトーベ・ヤンソンサンに似て、彼女は、ウクライナ人ではあるけれど、ロシア語話者であるというアイデンティティは揺らぐことなく、否、戦火で当然揺らいでいると思うので、たぶん、私の想像するに、今後は、自分の「内なるウクライナ」「内なるロシア」とだけ対話をし続けることになると思います。外部の、リアルロシアは、もはや目をくれる価値もない、リアルウクライナは、見ようとしても、霧の中の風景で、視界がぼやけてしまう。
男性の出国差し止めに伴ってパートナーは国内に残り、母親は、おそらく祖父母が寝たきりなので、介護のためハルキウ郊外の自宅から離れられない。彼女は子どもとともに、ワルシャワ(ホテルメルキュールが避難所という瞬間風速的な豪華さ)から、ブルガリアのソフィアへ、そして名前は出してませんが、ブルガリアのどこか、こじんまりとして、落ち着いた場所へ移っています。
ブルガリアというのがまた絶妙な場所で、キリル文字圏でロシアに中立という点で、彼女のような人が住むのにうってつけな気がします。旧ソ連でもキリル文字圏はガンガン減ってますが、ワルシャワ条約機構軍圏内ですと、旧ユーゴのセルビアと、ブルガリアくらいしかないと思います(マケドニアやスロヴェニア、ボスニア、コソボ、アルバニアは知らないです)ポーランドもチェコもスロバキアもハンガリーもルーマニアもクロアチアもラテン文字で、セルビアはけっこう熱狂的な親ロ国なので、やっぱり行くとしたらブルガリアかもねという。
逆に、ウクライナは、キリル文字圏で堂々ロシアとタメをはって、バチバチにやりあってるので、なんでロシア語っぽくしないんだようという同族嫌悪が、ふくらみにふくらんでいるのかもしれません。ジョージアやアルメニアが独自の文字に逃げた(ある意味、ヘブライ文字復活に成功したイスラエルに似てると思います)ように、ウクライナも、ラテン文字へと切り替えたら、ここまでの同族嫌悪はなかったかもしれません。
東方正教のロシア正教がウクライナ正教と分裂したのも、日本のロシア正教が、モスクワ教会がソ連に容共だった時代、あまりにいいなりはヤバいので、信徒の手に信仰を取り戻したのに似てるかもしれませんが、ウクライナとロシアは兄弟なので、兄弟で別れるのかよという。でも肉親て、仲が悪いと悪いですよね。絶交する肉親、断絶するきょうだい関係。
見本出来。『戦争日記:鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々』オリガ・グレベンニク著、渡辺麻土香訳。ロシア語監修と解説を担当しました。「わたしは民族で人を分けない。人を定義するのは民族ではなく行動だからだ」。鉛筆画の感触が伝わるような装丁です。 pic.twitter.com/8MTJZLQy8o
— 奈倉 有里 (@yurnaque) 2022年8月26日
ウクライナ関連の日記本のもう一冊は、テレビか何かで見たのがきっかけの、例のズラータサンの本です。少女の日記という時点で、あざとさ満点というふうに捉えることでもう相手が傷つくかもだからそないには言わんとこ、みたいな現時点の甘っちょろい予想が、吹っ飛ばされるんだろうなという悪寒が当たるや否や。以上
【後報】
ロシア語話者のウクライナ人の本を韓国がまず出したという点で、キョンジュ(慶州)ナザレ園とかむくげの会とか、日本の国字姓なのに韓国でもごくまれに出てき始めている苗字、例えば辻サンなどから、日本語話者の大和民族韓国人の存在をふっと思い出し、韓国の読者がその点どう思うか知りたい気もしましたが、「それとこれとはぜんぜん別の話」と韓国人から言われそうということで、思考のパンドラの箱に蓋をしました。以上蛇足。(同日)