カバー作品 風能奈々 Nana Funo「誰かの孤独な夜にもぐりこむために」"For getting into someone's lonely night" 2012 acrylic on canvas 182.0 x 227.5 cm 個人蔵 Private Collection ⒸNana Funo Courtesy of Tomio Koyama Gallery photo by Kei Okano ブックデザイン 鈴木成一デザイン室 校正 東京出版サービスセンター 巻末に「言葉を補う光を求めて ーあとがきに代えて」あり。その中に編集者の穂原俊二さんへの謝辞。それと、詳細なロシア連邦全土の地図、登場する書籍一覧あり。共和国と自治管区と地方と自治州(ユダヤのみ)とただ「アムール」とか「マガダン」とか「アストラハン」と書かれている部分、の違いは分からねど、これだけ詳細なロシア地図もなかなかないんじゃんと思います。でも、都市が書いてないので、チタもウファも、作者のナグラサンが留学してたサンクト・ペテルブルグも自分の土地勘と地図とを照らし合わせて判断せねばなりません。サンクト・ペテルブルグなら、ネヴァ河で海に面しててレニングラードだから、ここだな、みたいに。
ロシアのウクライナ侵攻関連のヤフーニュースのコメントを見てると、この本と、米原万里の本を紹介してる人がいて、後者は、ソ連時代やチェコ、プラハのロシア語コミュニティだったりするのは置いても、まあまあ読んでたですが、こっちは読んでないかったので、読んでみました。同様に踊らされてる人がどれだけいるのか、図書館リクエストが詰まっていて、一度返却して、また借りました。次に順番が回ってきたその時にもリクエストが後ろにいました。座間市はここ数年ロシアorソ連への機密漏洩かなんかで捕まった人もいるので、その辺にぎやかなのかな。
題名は頁40に登場するアレクサンドル・ブロークという帝政ロシア時代から革命直後四十歳で死んだ詩人の詩から、ちょいと単語の組み合わせをひねったもの。グーグル翻訳で詩の中心単語のロシア語を出して詩人名とアンド検索して、出て来たその単語を切り張りして読書感想の題につけました。ので、前置詞や語形変化が対応してないかもしれません。好きにしてけさい。ウクライナ語にグーグル翻訳すると、"Вечір пісня світанку."になり、ほんまにそんなちがうんけと思いました。違うんでしょう表音文字。副題はもちろん日本語からの完全なグーグル翻訳。英題も同様です。サーチでなくファインディングニモじゃないのと思わないでもないですが、自分で考えずAI任せ。
下はウクライナ語。"A"が"O"にかわってます。そんなにちがうんけ以下略
インターネットにこの詩の英訳があったので、URLを貼っておきます。
頁40のこの詩の紹介のところに、題名がないので、麻雀放浪記の「ふざけるな~」もしくは松田優作の「なんじゃこりゃあ~」となりますが、もともと題名がないような詩だったらしく、"Ante Lucem"という、「夜明け前」みたいなラテン語タイトルの連作?のいちぶ、革命前の1899年五月18日に書いたよんと、末尾にあるやつだそうです。
Я шёл к блаженству. Путь блестел (Блок) — Викитека
ロシアには詩のサイトがいくつもあって、どれ貼っていいのか分かりませんので、てきとうに幾つか貼ります。マカフィーは現時点でどれも反応しませんでしたが、今後は知りません。
https://www.culture.ru/poems/3159/ya-shel-k-blazhenstvu-put-blestel
http://slova.org.ru/blok/iashelkblazhenstvu/
https://rupoem.ru/blok/ya-shel-k.aspx
奈倉サンはこの詩人で国立ゴーリキー大学の卒論を書き、さらに東大の博士論文もこの詩人で書いたそうです。この読書感想の題名の作者名は、英語の"by"(по)が、ロシア語の文章になると、対応する名詞の語形変化で消えるかのようにグーグル翻訳では見えたので、そうしてます。ほんとにそうか知りません。
本書での記述を勝手に要約してこの詩人のなにがすごいかと云おうとすると、それは押韻の踏み方で、ふつうに踏む踏み方の逆張りで、そのリズム感がたぶんファンキーとかセクシーとかそういうことなんだと思います。玉村豊男が宝酒造と組んだ一連の出版物の中で、三枝成彰が開陳してる論に沿っていうと。
本書は、初出が未記載で、どこかウェブなどで連載されていたものをまとめたのか、単行本書き下ろしなのか、分かりません。それが唯一の難点といえば難点。でもそれは、作者でなく、イースト・プレスの編集サンが負うべき責任でありましょう。カンゼンの悪いところを見習う必要ナシ。初出、書き下ろしの記載は、たいせつな書誌情報です。
作者は語学オタク一家に生まれ、なんとなくロシア語を選択し、ロシア語を学ぶとなったら、家じゅうの家具やらなにやらにベタベタロシア語の名前を貼り付け、まちなかを歩く時も常にロシア語の朗読CDを聴きながらというふうにします。これだと、前川健一サンがタイの西洋人社会で呆れられたように、同族ナントカ主義というような抽象的観念的な言葉は覚えていても、ナベのフタというような生活用語をまるで知らないので、ふきこぼれそうだから取ってちょうだいと言われても、何のことやら分からずデクノボーのように突っ立っている、という愚を犯さないですみます。まあじゃあ例えば英語を習うとして、冷蔵庫にはレフリジエイターと書いて貼るか、フリッジと書いて貼るか、どちらを選択すべき、のように、詳細分け入ればいろいろ出てくるはずですが、そこまでは書いてません。
で、その後、ロシアに留学し、まずペテルブルグで語学を学び、友人の実家の田舎町に行ったりディスコに行くなど、留学生あるあるをして、それから文学教授のアドヴァイスで、総合大学はパンキョーとかあって薄いから、専科に行きよしということで、モスクワの国立の文学専門の単科大学?に行きます。都留文や二松学舎みたいなとこになるのでしょうか。そこで、マーシャという親友と知り合い、アントーノフ先生という、ほかの生徒に教師-ヤポンスキー生徒のカップリングでやおい小説を書かれるほど傾倒した教師と出会います。マーシャ・アッラーとマーシャはたぶん無関係。本書の大半はかなりその二人に関すること。で、卒業、帰国、そして終盤かなり唐突にドタバタウクライナとロシアの暗雲が語られ、校了です。つっぱしってるなあ。
頁159で『モスクワとモスクワっ子たち』という原題直訳で語られる中公文庫『帝政末期のモスクワ』は読んでみます。
頁234ほか、アクショーノフという人の『クリミア島』という小説には、ロシア人とウクライナ人以外にクリミアタタール人もいるためか、タタール語のヤフシ(良い)と英語のOKをかけ合わせた「ヤキ」という造語が登場します。この「ヤフシ」はウイグル語の「ヤクシ」と似てるなと思いました。それだけです。
頁118、ロシアにはカーシャ(お粥、ポリッジ)文化が強く根付いているので、パスタもアルデンテに茹で上げず、ひたすらぐだぐだに、コシのなくなるくらいまで茹でるんだとか。ゴーゴリはイタリアでアルデンテに開眼したが、友人のアクサーコフにアルデンテを振舞っても、「茹で足りない」と言われるだけだったとか。
頁113、有里サンは日仏混血ダブルのこどもの世話をする(あわせて日本語のおしゃべりの相手になる)アルバイトをするのですが、子守りバイトはニャーニャと呼ばれているそうで、ニョニャ料理とは無関係、英語のナニーの邦訳俄译露訳だと思いました。このページには、カロリーの低い食品を「罪悪感が少ない食品」と呼ぶ母国の日本語変遷紹介もされています。
頁109、マリーナ・ツヴェターエワという女流詩人ゆかりの地として、タルーサという街が出てきますが、オクラホマにもタルサという街があるので、ロシアのタルサからオクラホマに移住した人たちが同名の街を作ったのかもしれないと勝手に思いました。オクラホマのタルサは、須賀田先生のローレンス・ブロックの短編集に入ってる、雑誌未発表猟奇小説の舞台ですが、登場人物が猟奇旅行者なだけで、タルサはとばっちりです(ネタバレ)
しかしオクラホマのタルサはTulsa、ロシアのタルーサはピーなので"r"、違うのでした。
頁92、有里サンは文学大学で仏文に入るのですが、フラ語の鼻母音が出来ないそうで、それって「学校」とか「音楽」とか「来週もまた、見てくださいね、んがんぐ」とは違うのだろうかと思いました。
頁74、なんでフラ語かというと、日本語学科がなかったからだそうで、それが当たり前のように書かれているのですが、待て待て、ロシアの日本語研究は大黒屋光太夫一行にまでさかのぼる伝統があったはずじゃないの? アエロフロートでモスクワトランジット一泊した時、日本語ペラペラのオバサンが顔中糸で縫われたような顔をしてやってきて、「ミナサマをひとり20ドルでモスクワ市内観光にご招待したいと思イマス」とゆってたのを思い出します(私は参加せず。よくあさ、雪の積もった宿泊所敷地内を靴なしの靴下一枚でうろつきまわる不審な青年を見まして、ちょっと精神ガーのおもらいさんでした)
頁64、ボリショイサーカスというのは特定のサーカス団の呼称ではなく、ロシアのサーカス団が国外巡業するときはなべてボリショイサーカスとなるんだとか。私はモスクワでボリショイサーカスを見たのですが、あれはホントはナニサーカスだったんだろう。
頁60、ヴィタス「星」
頁54、アンドレイ・マカレーヴィチ「空虚な約束を」
本書のはじめのほうは、チェチェン絡みのテロや、アルメニア人を巡る殺人事件などが出ます。チェチェンも最近は、最初は当局がしかけたヤラセ説があるそうで。
頁43 2004年
「スキンヘッド」と呼ばれるロシアのネオナチが「外国人狩り」をする危険があるので、「ヒトラーの誕生日には外出を控えるように」という主旨のメールが日本領事館から届いていた。ヒトラーの誕生日にどうしてスラヴ人がアジア人狩りをしなければいけないのか皆目見当がつかなかったが、そもそも排外主義は知識や論理とは無縁だ。
頁68、ロシアでもっとも警戒すべきは警官、の記述がある箇所。警察国家の警察はコワイ。
ロシアは大国だなあ(ひとびとの意識の上で)とか、地方と首都のちがいは中国のそれより大きいんだろうなあとか、シベリア鉄道で見た田舎のロシアと、モスクワを重ねて思いました。東中野ポレポレでやってた、池谷薫NHK特集「西方に黄金夢あり ~中国脱出・モスクワ新華僑~」は見てないのですが、たぶん同じ時期にシベリア鉄道に乗ったので、駅ごとに中国人が「ピジャーカピジャーカ(毛皮)」「アンゴラアンゴラ(セーター)」「スコーリカスコーリカ(幾ら)」と窓からルーブル紙幣を握りしめて衣服を売りまくる顧客の田舎のロシア人、それを撮ってると、下からひょいっと、ジャンプしてカメラをひったくろうとしてくるあんちゃん。駅から次の駅まで乗り込んで、コンパートメントでショートの仕事をしていく娼婦(バカみたいに若い)。商人同士口論になった時に黒星持ち出した香具師がいて、部屋を飛び出して泣き崩れる阿姨。
アルコールに関しては、ソ連帝政ロシアもまた、禁酒法をときどき制定した国であったと岡山断酒会館にまつわる本*1で読みましたので、それもまた、先生に関して悔やまれることかと。なにに絶望していたのか。それは、客観的に見て、絶望に値することなのか。そして、少しは、講義や学び以外の別の方法で、肩の荷を軽くすることも、出来たのではないか。起こってしまったことは変えられませんが、今後について、さて、どういかしていくのか。以上