『尹東柱詩集 空と風と星と詩』 (岩波文庫) 読了

尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)

尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)

茨木のり子さんの下記著冊でこの詩人を知り(他の本でも読んでたかもしれませんが、たぶんだいたいすぐ忘れる)、詩集を読んでみようと思って、図書館で検索したら出てきたので読んだ本です。茨木さんの本は伊吹郷訳ですが、岩波文庫は、天下の金時鐘訳。タイトルの詩集とその他から集めた詩集ですので、そこも踏まえて、キムシジョンセレクト尹東柱詩集ということかと。

尹東柱 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B9%E6%9D%B1%E6%9F%B1
2018-06-04『ハングルへの旅』 (朝日文庫) 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180604/1528075159

金時鐘 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%99%82%E9%90%98

表紙の肖像写真は延禧専門学校卒業時の尹東柱。写真提供は共同通信社。こんな写真までアフロだったらそれはそれですごいですが、そうではなかった。

本書は対訳詩集で、訳者による邦訳とともに、ハングルの原文が記述されています。原文の出典や、年譜や評伝の参考文献は、あとがきにあります。

私むかし港区で、訳者だったか訳者に似たお名前だったか忘れましたが、表札のある邸宅の前の細い道で、仕事でやむをえず(みんなそういう)会社のハイエース停めて即通報喰らって無余地駐車でおまわりさんからきっぷ切られたことがあります。なつかしい思い出です。あれも夏だったかな。

茨木エッセーでは、なぜ尹東柱は凄いというか凄みがあるのかという点で、特高に捕まって獄死(終戦の半年前の1945/2/16)とはべっこに、その時期に、彼が皇民の国語たる日本語でなく、諺文というかハングルで吶々と詩を書き綴っていたという、その一点でほめたたえています。それは、それだけ読むと、うわべだけすらーっと読んでとくにひっかかることはないでしょうが、嫌韓の、例えば以前2ちゃんなんかで亡霊のようにフカーツしてえんえんコピられてた、かつての、諺文は女子供のナントカだどうとかという、ハングルをあざけって、唾を吐きかけて捨てるための言辞の数々がネット上で幾らでもあって、それの元ネタはどうも戦前からの脈々としたアンチ一視同仁を叩くロジックみたいなので、そういう世相があって、その中でハングルで書き続けようという生氣を保っていたのであるなら、それは確かに気骨ある、たいしたもんだ、えらい、という気持ちになります。
そして、そこに、九十近い金時鐘が今もなお、というか今だから、自らの言葉感覚を、日本語を下地とした、と頁165できちんと断り書きを入れた上で、さして厚くもない本書ですし、デジタル版下時代で容易にできうるからでしょう、ハングル原文をすべて入れて本書を出版したのだと思います。

訳164「解説に代えて―尹東柱・生と死の光芒」
年度は違いますがその尹東柱の生死を分けた二月一六日に金正日総書記も生まれていますが、その彼が支配する朝鮮民主主義人民共和国の下ででも、彼の志操の純潔性からしておそらくは生命を永らえることなどできなかったでしょう。三〇年近くも続いた軍事政権下の韓国にあっても、暴圧に与しない彼の詩精神は同じように暗く閉ざされ、生きようがないほど圧しひしがれていたに違いありません。尹東柱の詩はそのようにも、失われた国の同族の一人として誠実に生きること以外、ほかに望む何物もなかった、ひそかにも凛とした魂の発露です。

この辺訳者節満開炸裂かと。

頁167「解説に代えて―尹東柱・生と死の光芒」
(前略)厳密に言えば尹東柱は祖国を離れて異国の地に居ついた開拓民の孫であり、尹東柱の詩が織りなす自然の様相はみな、自己が生まれ育った東北満州の北間島、明東・龍井の風景、光景です。
(中略)北間島育ちの彼には、植民地下の本国もまた望郷と流離のないまざった「他国」であったのでした。尹東柱の心象風景のすべてを、本国のたたずまいにかぶせて受けとめている民族的共感からは、尹東柱の重層的な心情の葛藤は見過ごされていくばかりでしょう。

優れた批評は批評対象を語りつつ、その形式を借りて自分自身を表現している、と言ったのは今わたしですが、(そういう批評はさいていと云うしともいましょう)御大をしてこうして熱く語っているのを読むと、やっぱしゾクゾクします。

解説では、あと、新教徒の家系に生まれた、キリスト者としての尹東柱を、どこまで詩の解釈の中で比重を置くか、についてのせめぎあい等にも触れています。

ええと、で、せっかくハングル原文が収録されているので、私はハングルは意味などロクに分からず九官鳥のように読むだけですが(しかもつっかえるしリエゾン間違えるし)ほんとにせっかくなので少し見てみました。

邦訳では「プラットホーム」となる単語が二つの詩で出ますが、スペルが異なります。「看板のない街」では、「플랫포음」(頁110)「いとしい追憶」では「푸라트・폼」(頁119)ホームなんだから「ㅎ」でいいのにどっちも「ㅍ」かよ、と一瞬思いましたが、たぶん詩人の脳裏では「プラットフォーム」"platform"のままだったのであろうと。当時の日本語もまた。ハングルの"F"音については、むかし2ちゃんでよく「パイティン」と言ってたこと、あとは"HOF"を思い出すのみです。

「分かりそう」で「分からない」でも「分かった」気になれるIT用語辞典
プラットホーム
http://wa3.i-3-i.info/word13372.html
プラットホームとは (プラットホームとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

https://guidetokorea.wordpress.com/2011/08/26/the-hof/
The Hof
I’m not talking about Dustin, or Philip Seymour. I’m not paying my respects in this post to David Hasselhoff either (although I probably should be doing). Nope, a hof when Korea is concerned is a watering hole, bar, public house, stank pit, cocktail lounge, tavern, rathskeller, alehouse or saloon.

擬音。「夜」驢馬の鳴声「アーン」の原文が「아ーㅇ」赤子の泣声「アーアア」が「으ー아 아」ハングルは日本のかな文字の長音符は使わないと思ってましたが、詩人は使ったのだなと。暗中模索の時代だったのか、今でも使ってるけど私が物知らずで知らないだけなのか。

長音符 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%9F%B3%E7%AC%A6

「朝」邦訳「ヒュッ、ヒュッ、パシッ」原文「휙、휙、휙、」(頁132)バシッはどこから来たねん、みたいな。
「山林」「時計がずきんずきん胸を叩き」「時計가 자근자근 가슴을 따려」(頁132)
「胸 1」「ふー」「후ー」(頁136)←「プー/푸ー」でなく「ふー」詩人の耳には、上下の唇を擦り合わせる"fu"でなく擦り合わせない"hu"に聞こえたのかと。これは瓢箪から駒というか、数時間注力すれば、誰でも聞き分けられるようになる…と思います。私がそうだったので。

三点リーダー、「…」も多用されます。現在のハングル同様六点で使用されます。原文の底本は1955年の印刷物。肉筆もそうだったのかどうかとか、考えてしまいます。

「たそがれ」「くねくねのたくりながら 北の空へと、」「쑥쑥、꿈틀꿈틀 北쪽 하늘로、」(頁136)

「雨の降る夜」「ざーざざっ!」「솨ー 철석!」(頁126)

前述のとおり、尹東柱はカンド生まれカンド育ちです。解説頁177で、「星をかぞえる夜」という詩には「聞きなれない苗字の「満州国」の子どもたち」が顔を出すとキムシジョンは書いていて、「佩」「鏡」「玉」という名前が詩の中で出てきます。よく分かりませんが、姓でなく、詩のとおり、少女たちの名前、オウンネームではないかと思うのですが、どうでしょうか。で、原文は漢字そのままで、ハングルにルビ振るルールがなかった?かどうか忘れましたが、まあ、読み方は書いてませんでしたが、邦訳では、「佩」はペー、「鏡」キョン、「玉」はオクとハングル読みのルビが振られており、これ、異国の少女なら、満語読み(は、ないか)とか漢語読みとかの可能性もあるんでないかな、と思いました。

カンド育ちの詩人が、李朝のヤンバンとは全く異なる文脈で、漢文口語を少しく嗜んでいたとして、キムシジョンの訳にその差分があるとするなら、「雨の降る夜」の下記ではないかと思いました。

頁126(原文)
불을 밝혀 잠읏을 정성스리 여미는
三更
念願

頁58(邦訳)
明かりを灯し 寝間着の身じまいを正す
真夜中。
ひとりでに深まってゆく願い。

原文では漢字二文字二行に託されていた思いが、邦訳ではくどくどと日本語の羅列になっている気がします。中文には"念愿"という言葉はない(たぶん)し、ハングルでは念願はそのまま「염원」で使えそうなので、ここは、自国語を、漢字の響きを活かして綴った箇所だと思うのです。なので、邦訳もまた、それを尊重して訳してもよかったかと(でもそうなると漢文の弱点である、意味がヨクワカラナイままなんとなくスラスラ〜と読み飛ばす病が出てしまうかも)三更は、人によってはかみ砕いた訳をつけずとも、深夜の時間帯を表す単語である旨、理解できると思います。

三更 コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%9B%B4-513335

この後の個所で、カンナム(江南)が出て、スタイルではなく、伝説の常春の理想郷で、豆満江北岸在住の尹東柱からすると、南側のメインランドコリアをさす、と注釈がついています。三更も、「真夜中」と訳さず、そのままで注釈でもよかった気がします。中国語初級で郭沫若の子夜だかなんだかの抜粋テキストを読まされましたが、その中で、「イエ、ゲン、シェン…」"夜、更、深…"という一節があったのを思い出しました。

以上