これもコニーの
短編集
*1
の序文で
触れてた短編が
入ってたので
読んだ本。
今の版元公式に
載ってる表紙と、
異なります。
カバー:日下弘
解説:大谷圭二
(創元生息時
の浅倉久志)
(武論尊と
史村翔
みたいなもの
でしょうか)
- 作者: ジュディス・メリル,井上一夫
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1977/02
- メディア: 文庫
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<収録作品一覧(と、矢印があれば以降感想)>
「夢幻世界へ」コードウェイナー・スミス 伊藤典夫訳
"No, No, Not Rogov!" by Cordwainer Smith 1959
⇒グリッドの意味を「格子」で考えて分からず、検索して「電極」、
あっそうかと思いました。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89-3003
「思考と離れた感覚」マーク・クリフトン 井上一夫訳
"Sense from Thought Devide" by Mark Clifton 1955
頁62
シナ人は家具の配置に、とくにベッドを置くのに、地球の磁気などが科学によって発見されるずっと以前からそういう主張をしている。
⇒風水ってそういうことだったかなあ。
「マリアーナ」フリッツ・ライバー 大谷圭二訳
"Mariana" by Fritz Leiber 1960
⇒描写が液晶でなく、ブラウン管のあったまり方と思いました。
「プレニチュード」ウィル・ワーシントン 井上一夫訳
"Prenitude" by Will Worthington 1959
⇒頁121ボールサ材はバルサ材のことかと。あと、隣人が日本人のサトー老人。
「浜辺に行った日」キャロル・エムシュウィラー 伊藤典夫訳
"Day at the Beach" by Carol Emshwiller 1959
⇒頁141マグロの罐詰は、今ならツナの缶詰になりますか。
「率直フランクにいこう」ブライアン・W・オールディス 井上一夫訳
"Let's be Frank" by Brian W. Aldiss
⇒フランキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E7%A0%B2
「驚異の馬」ジョージ・バイラム 井上一夫訳
"The Wonder Horse" by George Bryan 1957
⇒麒麟のような外見と思いました。
「隠れ家」アルジス・バドリス 大谷圭二訳
"Nobody Bothers Gus" by Algis Budrys 1955
⇒レリゴーの歌詞にもbotherってあったなあと思いました。少しも寒くないわ。
「危険の報酬」ロバート・シェクリー 井上一夫訳
"The Prize of Peril" by Robert Sheckley 1958
⇒ネタバレで。知ってる素材が、最後放送事故とは思いませんでした。危機管理。
「人形使い」デーモン・ナイト 伊藤典夫訳
"The Handler" by Damon Knight 1960
⇒著者についての説明なし。
「ゴーレム」アヴラム・ディヴィッドスン 吉田誠一訳
"The Golem" by Avram Davidson 1955
頁265
(前略)「そういえば、あんたが口らしい口をきいたのは、これが初めてね。ねえ、あんた! さっきも訊いたでしょ、いつ芝を刈ってくださるのよ?」
「水曜日に、ひょっとすると火曜日に、この近所に日本人がやってくる。芝を刈るのがそいつの商売でね。わしの商売はガラス屋さ――もう廃業しちまったけれど」
「わたしと全人類とのあいだには、抜きがたい憎しみがあるのだ」と、見知らぬ男が言う。「わたしの正体を知ったら、肉と骨が――」
「そのせりふはもう聞いたよ」と、ガンバイナー氏がさえぎった。
「帝政ロシア皇帝の心のように冷たくきびしい冬のシカゴでは」と、老女が抑揚たっぷりに言う。「あんたは毎日せっせとガラスや窓枠を運んでは仕事に精出していた。ところが、陽がさんさんと降りそそぐカリフォルニアでは、芝を刈ってくれと女房に頼まれても、てんでやる気がありゃしない。その日本人とやらを呼び入れて、夕食でもこさえてもらおうかね?」
⇒日本人といえば庭師として「使える」と、
信じられていた時代が米国にありました。
「ちくたく、ちくたく、ケルアック」リチャード・ゲーマン 大谷圭二訳
"Hickory, Dickory, Kerouac" by Richard Gehman 1958
⇒ディグを、「ディッグ」と訳してるのが面白かったです。
「おやじ」にダッドとルビを振ってるのも時代かと。
頁277麻薬に陶酔していたと、無感覚にされていてと、
どちらも「ストーンド」とルビを振っていて、そりゃそうだと思いました。
ケルアックだけあって、そんな感じ。
頁276
これにはりっぱな理由があった。なにをしても、生きがいが感じられないのだ。彼はポット(「マリファナ」と「深鍋」の両方の意味にひっかけてある)をためしたこともあった。ピンとこなかった。もう一度ためしてみたが、それでもだめだった。そこでフライパン、湯わかし、濾し器、スープ用の大匙まで、片っぱしからためしてみた。台所の戸棚の中のありとあらゆるものをためしてみた。(後略)
「録夢業」アイザック・アシモフ 吉田誠一訳
"Dreaming Is a Private Thing" by Issac Asimov 1955
⇒すぐれた素材をちゃんとお店で出せる料理に仕上げる見本みたいな小説。
「公開憎悪」スティーヴ・アレン 吉田誠一訳
"The Public Hating" by Steve Allen 1955
頁316
呼売り商人どもは巧みに人込みを縫って、冷やしビールやホットドッグを売り歩いた。
⇒原文はコールドビールでしょうか。冷たいビールという言い方が日本になく、
冷やしビールと訳したのか、アメリカでもまだそれほどビールを冷蔵庫で
冷やしたりしていなかったのか、どちらなのか。
「変身」シオドア・R・コグズウェル 吉田誠一訳
"You Know Willie" by Theodore R. Cogswell 1957
⇒なんでカフカと同じ邦題にしたのか。思いつかなかったのか。
「ある晴れた日に」シャーリー・ジャクスン 吉田誠一訳
"One Ordinary Day, with Peanuts" by Shirley Jackson 1955
⇒全然関係ありませんが、セブニブンの柿の種ピーナッツわさび味が、
いつの間にかなくなっててびっくりしました。最近食べてなかったので、
気づかなかったので。このお話はモロ☆の復讐クラブ連想。
解説によると、編者ジュディス・メリルの年刊SF選集は、1955年から解説時点の、
1966年まで陸続と刊行されていましたが、邦訳は1960年版からでした。
で、それまでのは、編者自身がそれまでのだけのベストオブベストを作ったので、
そっちを邦訳刊行することにして、で、その下巻が本書です。
で、メリルのこの選集は、エヴェレット・F・ブライラーとT・E・ディクティ共編、
のちにディクティ単独の年刊選集が既にあって、それへの対抗だったとか。
出版社が縷々変わるのはアメリカならではの事情でしょうか。
ディクティのほうがサイエンスフィクションとしか銘打っていないのに対し、
後発のメリルはSF&ファンタジーにしていて、そこに意気込みを感じると、
解説にあります。初出誌も、SF誌だけでなく、一般誌、男性誌、婦人雑誌(ママ)
まで幅広く読んで拾い集めているのがメリルの強み、博覧強記だとか。
ただし、両者の選集はカブっている作品がいっこもなくて、そこはすごいとのこと。
(併せて、解説時点での、アンソロジーの重複収録ぶり、大同小異に苦言を呈してます)
ジュディス・メリル Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%AB
T. E. Dikty Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/T._E._Dikty
E. F. Bleiler Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/E._F._Bleiler
で、解説によると、この年刊SF傑作選は、
頁360
(前略)SFの枠を広げようとする試みが、巻を重ねるにしたがって先鋭化し、ついに当時のアメリカSF界の常識を越えてしまったこと、そして、それから十年たった現在、アメリカSFがメリルの求めた線に近づきつつあること、だけを書き添えておこう。
だそうです。なむあみだぶつなむあみだぶつ(仕事人の念仏の鉄)以上
【後報】
コニーが触れてるのはシャーリー・ジャクスンの、
「ある晴れた日、ピーナッツを持って」(混沌ホテルの訳文に依る)
です。コニーはしゃーりーの愉快な話とぞっとする話二つ挙げていて、
前者がここに収められている話、後者は、「くじ」
有名な話みたいですが、私は未読でしたので、検索して、なんと、
宮部みゆき御大じきじき編纂のアンソロジーに入っていたので、
いま、読んでます。
(2017/5/1)