『むくげとモーゼル』(アリス館少年少女教養文庫)読了

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51warivNEaL._SL500_.jpg高畑勲が生前映画化を試みて天安門事件で宙ぶらりんになった『国境』三部作を読む傍ら、著者のほかの本も読んでみようと思って読んだ本です。
1972年1月初版で、読んだのは1985年7月の7刷。図書館で借りた本の出版社は「アリス館」でしたが、初版の書誌情報をCiNiiや国立国会図書館サーチ、作者Wikipediaで見ると、初版時の出版社は「牧書店」となっており、CiNiiによると、

CiNii むくげとモーゼル 牧書店版
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN12669834
社名変更により第5刷(1975.3刊)以降の出版社: アリス館牧新社

となり、はてなブログで個人の方が書いておられる「古本夜話」のブログによると、牧書店がいろいろあってアリス館の旗下に入りアリス館牧新社になり、さらに「アリス館」になったとの由。その辺りは上記ブログで紹介される論創社の『震災に負けない古書ふみくら』 (出版人に聞く6) に回想として語られているとのことでした。

むくげとモーゼル (少年少女教養文庫)

むくげとモーゼル (少年少女教養文庫)

国立国会図書館サーチ むくげとモーゼル
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000796087-00
要約・抄録
戦前の京城の中学生が国境の町から満州に密出国し、間島地方の朝鮮人部落や?馬賊?や?満州国?や関東軍などの真実を知る物語。 (日本図書館協会)

震災に負けない古書ふみくら―出版人に聞く〈6〉 (出版人に聞く 6)

震災に負けない古書ふみくら―出版人に聞く〈6〉 (出版人に聞く 6)

しかたしん Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%97%E3%82%93
『国境』より、こっちのほうをアニメ化企画すればよかったのに、と思いました。こっちのほうが陰がない。主人公は京城育ちですが邦人社会出身ですのでハングルが丸出駄目雄で、それを奇異と思ってしまう現代のモノサシのほうが、多分当時は奇異だったのだろうと思います。高畑勲アーサー・ビナードに語った、コロンの植民地における日常生活とその意識は、こっちのほうが無意識度が高いと思います。でもこっちは、物語はすぐに豆満江の国境からカンドに入り、そればっかになります。

頁18
「烤羊肉カオヤンロウってのはね、羊の料理なんだ。羊の肉を薄く切ってね、薬草や山菜を入れて、タレで煮こむのさ。それを馬賊たちは、浅い馬賊なべでいためるんだ。うまいぜ。」

いま中国でカオヤンロウというと、羊の肉を金串に刺して炙り焼きして、クミンや七味をぱらぱらふりかけた料理というかスナックをさすと思います。屋台で出稼ぎなどの人がやっすい値段であきなってるので、観光地のようないちげんの不特定多数がわんさか来る場所だと、炭がどんなコークスかとか羊の肉がクズすぎないかとか見ないといけないという話も過去には聞きました。『むくげとモーゼル』に出てくるカオヤンロウは、韓国焼き肉の1ヴァージョンというか、北海道のジンギスカンというか、という気がします。この頁に、「臘八粥」の説明もあり、正月八日に食べるおかゆとあるのですが、腊月は十二月ですから、違うんじゃいかなと思って検索したらやはり違いました。旧歴十二月に食べる料理だった。

臘八粥(ロウハチガユ)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E8%87%98%E5%85%AB%E7%B2%A5-662861
臘八節 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%98%E5%85%AB%E7%AF%80

しかもルビが誤植で、「ーパーツオ」と振ってある。「ラー」やって。

あとがきに、中公新書馬賊』著者の渡辺竜策先生への謝辞があります。国境の参考文献にも同書があった。

頁25
「夜ならだいじょうぶさ。この辺から向こう岸の間島チェンタオ地方にわたって行く朝鮮人のお百姓は多いんだぜ。この茂山郡ってのは、内地の山口県より少し大きいくらいの郡なのに、米はひと粒もできない。せいぜいソバやヒエ、キビくらいだからね。暮らしに困った朝鮮人のお百姓たちは、向こう岸へ、警備隊の目をかすめては夜逃げをするんだ。」
「そんな――、馬賊や山賊がうろつきまわっているというのに――。」
「それでも、こんなやせた土地にしがみついて、日本人の地主や税務署にしぼり取られるよりはましだっていうのじゃないかなあ。向こうの方が少なくとも土地は肥えているらしいし……。」
「へええ。――将来、日本は大東亜の盟主じゃないか。朝鮮の人も日本国民だ。りっぱな大東亜の指導者じゃないか。そんな夜逃げみたいなこと、なぜするんだろう。」

別の個所に、逃げたという言い方では括れない、日本の力をバックにいろいろ蠢動した人達のことも語られますが、それより、間島と書いてカンドとハングル読みするのが、間島カンドブルースという歌などでも戦前の日本では知られた言い方だと認識していたのですが、本書では一貫して「チェンタオ」という、漢語の有気音無気音は清音濁音にあらずルールの中文発音のカタカナ表記で記されており(私が書くならジェンダオ)、戦後は中国人の国だから漢語で書いてるんだろうか、確かに初版執筆時は、文革朝鮮族もその自治を地方ナントカ主義と排撃されて民族語の使用もあれだったかもしれないが、間島は中華人民共和国延辺朝鮮族自治州ですから、中国国民を構成する56の民族のひとつである朝鮮族朝鮮語読みで記したとて、何の問題もないのに、と思いました。本書は(少数民族地方自治が弾圧された)文革終了後に改定されてないんだなと。日本人である大和民族は、中国56民族のワク外の「日僑」なので、残留孤児問題は巷間よく知られる現状の展開となったわけですが、それは蛇足。

間島問題 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C
万宝山事件 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

頁52、今でもないことはないであろう、大部屋旅社が出ます。私はこういうところで、酔った中国人の木こりで、まさに山東大漢といった感じの大男に絡まれてパチキ喰らったことがあり、そことは別の宿で、コーリャン粥の朝食付きだったので生まれて初めてコーリャン粥食べたり(そこは個室で一階食堂だったかな)、あと、一杯の洗面器のお湯で、顔を洗って髪も洗って歯を磨いて捨てる方法を教わるなどした旅社もあり、とても楽しかった思い出があります。今の方は当時よりそういう旅行の仕方の敷居は低い気もしますし、その反面、時おり報道される、公安によるスパイ容疑の邦人逮捕拘束(どう考えてもほとんどすべて冤罪と思うのですが)がどの程度なんかなあとぼんやり考えたりします。
同じページによると、当時のカンドは朝鮮銀行の鮮銀券が通用したとか。あと、同じページに南京虫が出ますが、これは、ハングルの分からない主人公も、「ピンデ」とハングルで呼んでいます。빈대。この頁は、出稼ぎや木こりや鉱夫がたむろする大部屋で、奉天の日本人中学に通ってたという日本語ぺらぺらのあやしいローカルに話しかけられるのですが、「ぼっちゃんたち」と呼びかけてくるのがよかったです。身代金目当ての誘拐の人質のことを「肉票」と呼ぶとは知りませんでした。本書のカナはルウピャオ、私が書くとロウピャオ。

ピンデトッ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%88%E3%83%83
肉票の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典
https://cjjc.weblio.jp/content/%E8%82%89%E7%A5%A8

頁60、延辺の朝鮮族邑の住人(その前の個所で偶然ケガしてるのを発見し、助ける)が木の上の枝に立って、街道筋を歩く二人の日本の旧制中学生に話しかけてくるのですが、木の上なのに、老人がパジチョゴリで少女がチマチョゴリで、老人はカッまでかぶっていて、視角的な見せ場だなあと思いました。頁69、それで主人公は父親から緊急時の止血法やらを教わっていて、柔道もやってるので、医学の心得ありということなのですが、朝鮮族の少女が彼を呼ぶさい、ハングルでも日本語でもなく、「小大夫シャオダイフウ(大夫は中国語で医者という意味。小さいお医者さん)」というあだ名で呼ばれるのが何故なんだろうと思いました。ここのルビは、語頭かそうでないかで清音または半濁音と濁音に変わるハングルルールが漢語に適用されてる気がします。実際そう聞こえると思います。
頁73、この村には牧師がいて、キリスト教があります。同じページに「コマスムミンダ(ありがとう)。」というハングル文がありますが、コーマプスムニダじゃなかったっけ、方言かしらと思いました。
頁97、旅社で日本語で話しかけてきた男は悪い馬賊だとか。二当家(副頭目)と書いてアルタンジエとルビを振ってますが、私が振るならアルダンジャ。清音濁音ルールならアルタンチヤではないかと。
頁100、村のとぼしいたくわえをすっかり略奪する遊撃隊(馬賊)が、サバリ(大きなどんぶり)についだ濁酒まっかりを飲む場面があり、うつわの単語はハングル、マッカリももちろんハングルですが、ドブロクのほうは、なぜカタカナでなくひらがな表記なのだろうと思いました。このあたりで、包頭児バオトウルとか大覧把ターランバという単語も出ます。「ヌクテの馬」といういい馬賊も出ます。ヌクテー、『国境』にも登場するのですが、何度見ても満州狼と思えず、日本アホバカ分布考の福井県の方言と思ってしまう。

『国境』には実在の人物が名前だけ結構登場するのですが、本書は、ふたりくらいです。頁89で、三・一独立運動というかバンザイ事件というかの個所で、このニュースは公式には報道されなかったそうですが、さすがに京城の日本人居留民のあいだではこっそり情報が交換されていて、世界戦争終結アメリカのウィルソン大統領が民族自決などという余計な概念を吹聴して煽ったのがいけない、というところにまずウィルソン大統領が登場します。今読んでる関川夏央『「世界」とはいやなものである』にもこの時のウィルソン大統領は登場し、日本代表が提案した人種差別撤廃条項を強硬に反対して潰した人物として紹介されます。関川説(同書頁20)によると、これが第二次世界大戦の遠因となり日本の命運を決めたんだとか。詳細説明はありません。
もうひとりがキムイルソンです。馬賊、間島、パルチザン。縮地将軍出ないわけがない。

頁105
「キム・イルソンはねえ、若いけど、主・イエスのつぎにえらい人さ。心臓が右にあるもんだから、日本軍のピストルで心臓撃たれて死ななかったとさ。虎をピストルで撃ち殺したこともあるのだとさ。――主・イエスといっしょに、まもなくわたしたちを助けにきてくださるのさ。」

情報統制のある中の噂とはイコールプロパガンダかもしれませんし、戦後ソ連の後ろ盾で現れた金日成(金聖柱)と、パルチザンのうわさとともに複数人物説まで登場して語られた、光復までのレジェンド金日成の違い等、本書はいっさい語りませんし批評しません。ここで実際に聞いたであろうセリフが一つ出るだけ。あとがきで、一年二年でなく、じっくり、おとなになってから、じっくり考えてほしいと、日中朝韓の未来について作者は嘆願していますが、その中に、このことも、含めてよいと思います。
このあたりから舞台は敦化になり、主人公は傍観者の立場へと立ち位置をシフトしてゆきます。

頁115、トイタイズ(中国式の巻きゲートル)

腿带_百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E8%85%BF%E5%B8%A6

頁174、紅槍匪

撫順襲撃事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%92%AB%E9%A0%86%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

馬賊のよみものが読みたければ檀一雄の夕陽と拳銃もありますし、横山光輝の狼の星座もあります。後者は復刊リクエストが多かった割に復刊しても売れなかったそうですが… この本はズバリタイトルが内容を示しているように、単なる馬賊ものでなく、朝鮮から馬賊を眺める視座の本です。その側面が光っています。作者が若いうちに叩きつけるように書いた感じ。主人公に医者としてのスキルがある点も、参与観察の傍観者で終わらない良さがある。キムイルソンの扱いだけむつかしいですが、ほんとに高畑勲はこっちのアニメ化を企画すればよかったのに。あとは主人公の相棒のあだなの直球さ加減をどう処理というかマスクするかです。満洲のブタは黒くてすばしこいので、そこから親友のあだなは「マンブタ」親友は国境近くの邦人牧場出身で、京城の日本人向け旧制中学に寄宿してます。

<しかたしん高畑勲関連の読書>
2018-09-01アーサー・ビナードの本『知らなかった、ぼくらの戦争』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180901/1535748923
2018-08-26『国境第2部1943年切りさかれた大陸』(大長編Lシリーズこの作家のこのテーマ)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180826/1535288801
2018-08-25『 国境第1部1939年大陸を駈ける』(大長編Lシリーズこの作家のこのテーマ)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180825/1535144166
2018-09-02『旅の友だちパングヤオ』(こみね創作児童文学・26)小学校上級から 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180902/1535857844

以上