『小説のように』"Too Much Happiness" by Alice Manro(新潮社クレスト・ブックス)Shinchosha Crest BOOKS 読了

 Illustraion by Yoshida Keiko Design by Shinchosha Book Design Division 

 ワウワウでドラマ化されるという微妙なビッグコミックオリジナルれんさいまんが(主演は有村架純)で二号連続登場の小説で、貸出中だったので、じゅんばんが来るまで待って借りて読みました。

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7/20発売号の登場頁(部分)

前にも日記に書きましたが、新潮社の公式にこの小説が出ません。

www.shinchosha.co.jp

私がそういう別世界に迷い込んだのではないことは、ウィキペディアの著者項目に、新潮クレストブックスが載っていることからも分かると思います。

アリス・マンロー - Wikipedia

Too Much Happiness (2009年) 日本語訳『小説のように』小竹由美子訳、新潮社〈新潮クレスト・ブックス〉、2010年
「次元」
「小説のように」
ウェンロック・エッジ」
「深い穴」
「遊離基」
「顔」
「女たち」
「子供の遊び」
「木」
「あまりに幸せ」

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ANNE ENRIGHT アン・エンライト[グローブ・アンド・メール] 『小説のように』はマンローの最高の短編集のひとつだ。彼女の物語はページの上でじっとしていることを拒む生きもののようである。 CREST BOOKS 新潮クレスト・ブックスは、海外の小説、ノンフィクションから、もっとも豊かな収穫を紹介するシリーズです。Crestとは、波頭、最高峰などの意。

ちゃんと私が借りた本にも、新潮社クレストブックスと書いてある。

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Alice Manro Too Much Happiness Alice Manro

(1) なぜこの小説が新潮社公式に出てないのか分からない。

(2) なぜこの小説が二号もビッグコミックオリジナルのまんがに登場したのか分からない。

(3) なぜこの小説の邦題を、収録中の別の小説 "Fiction" からとったのか分からない。"Too Much Happiness"の邦題は『あまりに幸せ』

頁54 "Fiction"

「ドラッグもアルコールもぜんぶ絶ってます」というのが、最初の面接でエディーが二人に言った言葉だった。「断酒会に入ってて、アルコール依存症から回復中なの。あたしたち、回復した、とは言わないんだ、ぜったい回復はしないから。死ぬまで回復しないの。あたしには九歳の娘がいるけど、生まれたときから父親はいないから保護者としての責任はぜんぶあたしが負ってて、ちゃんと育てようと思ってます。木工細工の技術を身につけて、自分と子供の生活を支えられるようになりたいっていうのが、あたしの望み」

世界のハルキ・ムラカミも、レイ・カーヴァーの邦訳も、日本にしかない「断酒会」とは、このミーティングの自助グループ名を訳さなかったはずです。ただし、正式名称にも訳さず、あいまいにしてたので、このようにキッパリ別の団体名にするのと、どっちがいいのかなあという。須加田さんシリーズは、ふつうに訳してます。その違いはどこから? わしゃ知らん。

頁55 "Fiction"
  コーヒーを一杯いかが、とジョイスはエディーにたずねた。

「いえ、けっこう」エディーはまたブラウスを着こんだ。「断酒会のたいていの人たちはね、まるでコーヒーで生きてるみたいなの。あたしはね、みんなに言ってやるの、なんだってひとつの悪い習慣から別の悪い習慣に移ったりすんのよ、てね」

 下は娘のほうの回想とおぼしき箇所。

 頁76 "Fiction"

 それから彼女は母親と暮らすようになり、毎晩母親に断酒会のミーティングに連れていかれた。子供の世話を頼める人がいなかったので、連れていくしかなかったのだ。断酒会にはレゴの箱があって子供が遊べるようになっていたが、彼女はレゴがあまり好きではなかった。学校でバイオリンを習いはじめてからは、子供用のバイオリンを断酒会へ持っていった。そこで弾くことはできなかったが、学校のものなのだから、いつもしっかりと持っていなければならなかったのだ。皆がうんと大きな声でしゃべりはじめると、こっそりちょっとだけ練習することもできた。

 以下後報

【後報】

最初は、断酒会とは違う団体を断酒会と訳してしまうのは、ものすごい剛腕だなと思いましたが、北米と日本の立ち位置の違いなどを鑑みると、日本の、アルコールに依存しない人などに向けた翻訳としてはかえって適当なのかもしれないと思うに至りました。社団法人。

この人の小説の特徴と、これ一冊で言い切っていいのか分かりませんが、短編なのに途中で時間の経過が大幅にあって、著者が1931年生まれの高齢ですので、思春期のきらめきや壮年期の活力から、少なくとも六十代まであっという間に作中世界がジャンプします。

そんで、年の離れた夫に0歳から三歳までのこどもをぜんぶ殺されたが、夫はびよきなのでふつうの刑務所とはちがう別な所に入っていて、ケースワーカーは会いに行っても行かなくてもと言ってくれるがときどき会いに行く主人公とか(原題"Dimension"で邦訳『次元大介とは無関係。暗くて深い川が流れているとか、「線が交わらないというよりはむしろベクトルがちがう」てなけむの巻き方と同類項

カナダもまた米国同様、離婚結婚をくり返す社会になったことでこういうメタ状態を迎えているのかという、原題「フィクション」邦題『小説のようにようにじゃないだろう、創作そのまんまと作者は言いたいんじゃないの、

主人公が、キューブリックの遺作「アイズワイドシャット」のような体験をする"Wenlock Edge"邦題同じ:下着の上に日本のキモノをガウンのように着て部屋着にする女性が出ます、

ja.wikipedia.org

深い穴』"Deep-Hole"は、こどもとピクニックに出かけ、こどもが穴に落ちて足を折って引き摺るようになって、目を離したスキかそうでないか、う~ん、と親は精神のおとしどころをあれこれするのですが、そのあいだにも息子は成長し、思春期からその後家出がちになって、青年からオッサンになった彼に住んでるところに会いに行くと、宗教なの? ヒッピーなの? 自己啓発なの? と聞いても、どれでもないようでいて何かのようでいて暖簾に腕押しという話。親の視座というか、爪でガラスをひっかくような話を、音抜きで書きましたって感じ。

デビル・ド・エッグ | サントリー レシピッタ - あなたにぴったり、お酒に合うかんたんレシピ

ja.wikipedia.org

"Free Radicals"『遊離基

kotobank.jp

wired.jp

本書頁187

「赤ワインと関係してるものよ。それが悪いもので赤ワインはそれを破壊するのか、それともそれが良いもので赤ワインはそれを増やすのか、どっちだったのか思い出せないけど」 

 フリー・ラディカルという、社会進化論みたいなエセ比喩にかかったらどう転用されるか分からない単語の厳密な理系の鄭義、否、定義が作者にはおもしろかったので、具体例でいうとこういうことでショ、と短編にまとめて見た感じの話。手術台の上でこうもり傘とミシンが出合う場面を真面目に書くとこうなります、みたいな(主人公にとってはとんでもない恐怖体験ですが)

"Face"『

スカーフェイスと書くとそれだけでネタバレ。この話も壮年期以降に幼少期思春期を振り返るのですが、いささかアレというか、センシティヴな題材なので、もう一度ひねって別の角度から衝撃を与えてもよいような。

女たち』"Some Women

これも回想。やまなしおちなしいみなし。関係ありませんが、カナダにもロンドンという地名があるそうで、かなり著者は意図的にその地名を使っています。

ロンドン (オンタリオ州) - Wikipedia

タランティーノの映画で、ニューハンプシャーレバノンが出るようなものかと。黒竜江省にも東京城(とうけいじょう)という地名があるのですが、まだあんまり創作世界で有効活用されてない気瓦斯。

レバノン (ニューハンプシャー州) - Wikipedia

東京城とは - コトバンク

www.google.com

子供の遊び』"Child's Play" これも回想もの。コーネリアスとは無関係。黒人をダーキーと呼んだり、値切るの意味でジューと言ったり、クーリーを普通に使っていたこども時代の話。「ダブル・ハウス」とか「デュプレックス」と呼ばれる家は、韓国の連立住宅のようなものだろうかと思ったりしました。検索すると、今の日本では、メゾネットという名前で、実はありふれてたりするのかな。

e-words.jp

双方向と言われると、イリッチのようだと思ってしまいます。

メゾネット - Wikipedia

(2021/8/1)

』"Wood" いい話。ひとけのない場所でのケガという非常事態を、うまく書いていると思いました。

あまりに幸せ』"Too Much Happiness" 実在のスラブ系女性数学者の話がベース。思ったより、スライド式に時空が飛びます。冒頭の一話目も、ディミトリーとかサーシャという、死んでしまう子どもの名前を見るとスラブ系で、ディメンションとトゥーマッチハッピネスが、まさにパラレルワールドの表裏一体紙一重と言いたいのだろうかと思いました。この、オンタリオ州を舞台にした小説集で、明示的に白人以外を主人公にしたものはなく、まあこの世の中にはハックルベリ・フィン黒人説がけっこうあったりするので、黒人のひとがアリス・マンローのこの小説のソフィアは黒人だろうと云うのはいいのだろうと思いますが、アリス・マンローがカナダ黒人を主人公に小説を書いたとしたら、書き方によっては、それも文化の盗用と言われるのだろうかと考え、そうした中で、同じ白人であっても、ラテンやアングロサクソンでない、スラブ系などを主人公にするのは、ギリ出来る自由度なのかもしれないと思いました。以上

(2021/8/7)