旅は風のように (PHP研究所): 1978|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
近代ナリコさんの本に出てきた人の、そこにあった本は見つからないので、他の本を借りたんだと思います。
流れている
通り過ぎている
さすらっている
風のように
旅は――
以下後報
【後報】
<目次>
プロローグ 旅と旅人
私の大和路
頁48、ザリガニのアメ煮という料理が出ます。親指ほどの小さなザリガニで、頭からぼりぼりかじれて、歯ごたえはきついが、ふしぎなうまさだとか。現在の21世紀では、検索すると、特定外来生物ということで時おり駆除してて、料理に使おうという試みもあるみたいですが、この料理は出ませんでした。雀焼きとかやってるとこなら、やれそうですが、硬すぎるのか。ソフトシェルクラブみたいに脱皮したてを狙うわけにもいかないのかな。脱皮したても硬かったりして。
蔵王の今昔
頁53、“いか餅”というおやつが出ます。ひと口餅で、笹の葉を持って食べれば、手がねばねばしないとか。「飯香餅」が語源だとか。「いが餅」とも言う、と書いてありますが、現在では、検索しても、「いが餅」でないと、烏賊飯のヒットに埋もれて、出て来ません。
山形の伝統和菓子 『稲花餅(いがもち)』 | スタッフブログ | リッチモンドホテル 山形駅前 | 公式サイト
頁54、山形はキノコが豊富と、今でとは違うかどうかという情報があり、そのついでに、戸塚文子サンが小学校にあがりたての頃、マツタケでジンマシンを起こした経験を書いています。マツタケでアレルギーなんて、初めて聞き、検索したら、カラテカの矢部太郎(自分メモ:闇営業でなく『大家さんと僕』の方の元受験生)のブログが出ました。
陸中海岸の南北
頁70、小説とは別の、実在する吉里吉里が名前だけ登場します。
益子焼のこと
頁78
そのあとで、私たちは益子の古い民家を、見せてもらった。黒びかりのする、がっしりした木組の広い台所などに、一同、感嘆の声をあげて、すでに暗くなった戸外へ出た。田んぼの中の道を、歩いていると、藁草履らしい音もないようなけはいがして、私の横に誰か、近寄ってきた。耳もとで、「あんな家を建てるにゃあ、ずいぶんヒトを泣かせてるだョ」と、小声でささやいた。おマスさんだった。
戦前、浜田邸で栗の入ったお手製がんもどきをごちそうになった話を書いています。
頁79
一行の中に、日本橋の「菊寿司」の旦那がいて、がんもどきを私に、取り分けてくれた。「菊寿司」でも、よく益子のやきものを使っていた。何かの折にもらったこの店の茶碗が二個、まだ私の手元にある。だが、店はもうない。旦那は出征し、戦死したと聞いた。人は去り、益子焼だけ、残る。
わが心の尾瀬
ふだん着の房総
頁107、港南の銭湯に数年前まであった「かじめ湯」のカジメが出て来ます。肥料や家畜のえさで、戦争末期は代用食にしたが、下痢するとか。
頁109、原始共産制を取り入れた農民運動の先駆者、大原幽学を昔取材したと書いてます。安政五年、六十二歳で幕府の圧力により自殺に追い込まれたそうで、今は記念館もあるし、農林水産省のサイトにもページがあるみたいです。
下記は女性たちのかつぎ屋の記録。
頁110
木下きおろしの行商部隊の取材は、逆に大へん愉快だった。成田線の木下駅前に、夜の明けやらぬうちから、野菜、漬物、鶏肉、玉子なんかの市が立つ。市といっても、一般の人が買うためではない。行商のおばさんたちが、余っているのを売り、不足のものを買う交換市なのだ。売るだけに来る男もいるが、品数がそろって、既定の大籠に収め、かつぎ出すのは、女たちだ。専用車を連結した列車に、整然と乗り込み、大きい籠は網棚へ、小さいのは座席の下へ、助け合って片づける。車内でも物々交換は、続いている。差額だけ、現金決済する。編物や縫い物の手は休めず、おしゃべりすることばの荒っぽく、悪たれ口なこと。陽気に毒舌を投げ合って、それが親愛のしるしなのだ。
同乗していて、私までが腹をかかえて、笑うこと、しばしだった。三河島、日暮里で、降り始め、めいめいの得意先へ向って、身体もかくれるほどの大荷物とともに、散っていった。
私も数回見たことありますが、最盛期には専用車両まであったんですね。やはり千葉の旧国鉄は、ほかと違う。
「おばちゃんたちの野菜行商」証言や歴史つづる 千葉からピーク時9000人 - 毎日新聞
頁111、銚子に下記があるとあり、今度行こうと思いました。岡山の断酒会館は遠いですが、ここなら射程距離。
頁111
銚子には世界でもめずらしい「酒ぼとけの墓」がある。台石がお膳、石塔がとっくり、笠が、盃を象かたどっている。医は仁術を、身をもっておこない、貧しい病人を助け、製品の生涯を送った酒好きの医師が、この墓の主だ。里人がこんな墓を建てて、一生独身だった先生を、とむらった。それが断酒の神様ということに変って、のんべの亭主に苦しむ女房子にょうぼこが、そっと墓前に酒を供えて、お願いすると、ごりやくがあるという。
頁115には小川芋銭が登場します。牛久の仙人と呼ばれ、酒と豆腐を愛したとか。
贋作が多く作られた作家でもある。そのため、公的機関が「小川芋銭の作品」を公費で購入する際、仮に贋作であるとすると無意味かつ税金の無駄であるため、購入の正当性や鑑定依頼先を巡ってしばしば議論になる。
奥越高原
頁129、九頭竜川のアラレガコというカジカの仲間が出て来て、天然記念物とのことなので、21世紀の今はもう食べれないかと思ったら、「生息調査」としての漁があるんだとか。獲った後食べてるのかどうか分からないので、このページのおいしそうな料理の記事は写しません。
知多の想い出
陽光とともに
やまなみハイウェイをゆく
日向高千穂
頁198、作者は船酔いしない人だそうで、船にスタビライザーが装着されておらず、食堂のテーブルに木枠をつけて動かないようにした時化の状態でも、皆勤賞で飯を食ってたそうです。ほかに誰も客が来ないと、パーサーのはからいで、うんとごちそうになれるんだとか。私も東シナ海で時化に遭ったことありますが、大浴場のお湯がざっぷんざっぷんやってて、雑魚寝の二等だか三等の部屋に、船員さんがお粥作って、配りに来てました。これでも食え、みたいな。それは勿論スタビライザーのある船です。鑑真号だから。
いとおしき島々
エピローグ 湿潤の風土
JTBに昔お勤めの人が、戸塚文子の名前を見て、アラ懐かしいわねえなんて言ってましたが、そうなのか。以上
(2019/12/7)