『スモールgの夜』(扶桑社ミステリー)読了

スモールgの夜 (扶桑社): 1996|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

Small g: A Summer Idyll (English Edition)

Small g: A Summer Idyll (English Edition)

 

ejje.weblio.jp

カバー・デザイン:小栗山雄司

写真:Ⓒアーサー・トレス/フォトニカ

パトリシア・ハイスミス最後の長編ということで、1995年2月に74歳でお亡くなりになるその前の年に出版された小説。著者の初期代表作兼同性愛小説の金字塔?『キャロル』のあとがきで、著者が直球で同性愛を描いたのは後はスモールジーだけとあったので借りました。訳者による解説「ハイスミスの行き着いた場所」収録。ずいぶんおだやかになったというか、窮地に追い込まれると人を殺すことなんかなんとも思わないリプリーらと比べると、ほんとに角の取れた幸せファンタジーです。でも本書日本語版出版時、まだ、リプリーになりたかった少年(みたいなタイトル)や、水の中のリプリー(みたいなタイトル)がまだ邦訳されてないとは思いませんでした。遺作が先になったのかと。

裏表紙

チューリッヒの郊外に〈ヤーコブス〉というビアレストランがある。ゲイの溜まり場であることから、〈スモールg〉と呼ばれるこの店が事件の舞台だ。半年前にはこの店の常連客リッキーの恋人だったピーティという青年が路上で刺殺された。犯人はいまだに分からない。次いで、リッキーの前にあらわれた美青年テディーが、店でのパーティからの帰路、何者かに暗闇のなかで殴打されるという事件が起こる……。人間の心の奥底に潜む感情を描いて追随を許さぬ名手、パトリシア・ハイスミス、最後の長編!<解説・柿沼瑛子

解説によると、ハイスミスもその一人だが、メアリー・リナールト、パトリシア・ネル・ウォレンなど、女性作家、とりわけレズビアン作家は、得てして男同士の微妙な愛情とも友情ともつかないものを描くのがうまい(訳者の持論)だそうで、それを日本のBL界に持ち込んだら、それこそ天下の暴論で、世の中大変なことになるか、意外とアッケラカンと世はすべてこともなしになるか、どっちかなと思います。魔夜峰央萩尾望都竹宮惠子評をふっと思い浮かべましたが、それは関係なし。

で、1996年に訳者があげたふたりを21世紀の現在検索しても、ぱっと出てこないのがにんともなんとも困るでござるよケニチうじでした。前者は、仏風に「ルノー」になってるし。どちらも邦訳書はありますが、日本語版ウィキペディアはありません。

Mary Renault - Wikipedia

アレクサンドロスと少年バゴアス (中央公論新社): 2005|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

若き日のアレキサンダー大王を描いた英国ロングセラー小説だそうです。

Patricia Nell Warren - Wikipedia

フロント・ランナー (第三書館): 1990|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

米陸上界と五輪を舞台にした'70年代ゲイノベルの最高峰だとか。ほんとかしら。陸上界が黒人のものになる前ってことでしょうけれど。

Category:Lesbian writers - Wikipedia

頁18、ザワークラウトザウエルクラウトと書いているのですが、その発音がスイス風なのかどうかは分かりませんでした。FORVOによると、英語ではサワークラウト、ドイツ語ではザワーカウトと言ってるように聞こえます。

Sauerkraut の発音: Sauerkraut の ドイツ語, 英語, ルクセンブルク語 の発音

頁20のアッペンツェラーは知らない単語でしたので検索したらチーズでした。朝食時に、アッペンツェラーかカプチーノのおかわりか、どちらにしますかとお店のスタッフに聞かれる場面でしたので、飲みものかと思ったのに。

アッペンツェラー - Wikipedia

頁31、主人公が個人のデザイン事務所に事務職として雇った昼酒の絶えない情緒不安定なおでぶちゃん(遅刻常習者)がおそい出勤のあと、お昼前に上目遣いにお酒嗜んでもいいか聞いてから準備する「デュボネ」という酒が分からず、濁音を半濁音に空目して、デュポンが作ってるビールかなんかかと憶測してました。濁音の"Dubonnet"で、ワインベースの食前酒用加工酒だった。事務員の名前がマチルダならぬマティルデなのですが、スイス風の発音だろうかとか、ハイスミスが自己を投影してないだろうかとか思いました。

デュボネ - Wikipedia

頁73のピルスナー・ウァクヴェルは、ピルスナーさえ分かれば後はブランド名だろうからどうでもいいやと思ったのですが、念のため検索すると、日本では「ピルスナー・ウルケル」という名前で通っているが、現地では、ウァクヴォルという感じの発音なんだとか。ゲーテ。しかもチェコビール。スイスと関係ない。

ピルスナー・ウルケル - Wikipedia

Urquell の発音: Urquell の ドイツ語 の発音

頁252のグーラッシュも、意味忘れたけど、表記するならグラーシュじゃなかったっけ、と検索すると、ハンガリーではグヤーシュ、ドイツオーストリアスイスではグーラッシュなんだとか。私の覚えてるグラーシュこそイカサマ発音だった。

グヤーシュ - Wikipedia

頁264、ハイネケンそれともホプフェンペルレ?と聞いてるからにはホプフェンペルレもビールと推測しますが、これは検索で何も出ませんでした。

 で、まあ、スモール爺がどんなゲイ小説かというと。

頁113

(前略)「警察だ、あけなさい」の声。

 リッキーは内心、ちぢみあがった。また尋問されるのか? ちょっぴりだが飲んでいるし、パジャマとガウンという格好では無防備すぎる。リッキーはドアをあけた。

 背の低い、ブロンドっぽい髪の男がほほえみかけている。さっきリッキーに違反カードを渡した警官だったが、今はふつうの服装だった。「やあ。はいっていいかい?」

 なんだ、これは? だがリッキーはうすうす感づいていた。けれどもまだ用心して、きちんと対応した。「どうぞ、こちらへ」リッキーは静かに言って、開いたままのアパートメントのドアのほうへ案内する。

「けっこう大きな住まいだな」警官はなかにはいると、そう言った。「フレディーといいます」彼はまだにこにこしている。見たところ三十五歳ぐらい。けっしてハンサムとは言えない。ごくふつう。

「フレディー」リッキーはくりかえした。

(中略)

「あんたは若い男の子を好むようだが、あのあたりで何をやってたのかな、ええ?」警官は明らかに本題にとりかかっている。彼はブルーのズボンの後ろのポケットから折りたたんだ紙きれをひっぱりだすと、にやにやしながらそれを破いた。「あなたの違反カードだ。ひーひー! はっはっ!」彼は本当におかしくてたまらないようだ。「どうなの――あんた、やりたいんだろう?」彼は両腕をひろげてリッキーのほうへ近づいてきた。

 やってみるか、とリッキーは思う。これは罠ではなかった。(中略)おれは今夜、ほかの何をやりたかったというんだ? 警官がここにいる、男が。「ひとつだけ――ぼくはHIVが陽性だ――だから――」

「おれもだ」

「だが、コンドームをつかう」

「おれもそうする」

 十分もたたないうちに、(中略)ふたりは横になった。リッキーは低いベッドのほうが性的興奮をそそると考えている。(後略)

 「だが」は「だから」の誤植じゃいかと思うのですが、どないだ。ボヘミアンラプソディの監督ふたりのうちどっちかがこれ読んでたのか、あるいは、実在マーキュリーのラストパートナーの話は欧州では有名でハイスミスもそれを知っていたのか、とも思います。リッキーが速度違反でキップ切られたとこは、その手の商売してる少年が拾える場所という設定で、発病してないけどプラスの中年おっさんリッキーがうろうろするとか、やっぱ性欲抑えられるかどうかとかがちがうよもうこわいと思いました。リッキーはちょくちょく朝起きると拾った少年がサイフごと消えてるとかがあって、にもかかわらず懲りなかった自分がフレディ以下略と回想するのですが、少年の方からしたら嗜虐趣味とか組織のしととかの中年にひっかかるリスクが常にあるわけで、そんな抑圧がないと生きていけないというのもどうかと思う。

そんなオッサンを動かすのがだんだん面倒になったのか、ハイスミスはおぼこいはたちそこそこの娘ルイーザを主人公にシフトさせてゆきます。家族とかステップファーザーが酷い性暴力状態からルイーザを救い出したレナーテは、反ゲイの旗手みたいな感じでねちねち生きているおばあさんで、リッキーを狡猾に罠にかけたり、ルイーザに近づく男を警戒してルイーザを囲い込んだりしてます。レストラン仲間の分析では「抑圧された隠れレズ」かもしれないとのこと(頁181)今で言うLGBTをめぐるネトウヨ論争みたいなものが、ジュネーブだかチュリッヒだかの郊外のレストランとその近所のアパート街で蠢くというストーリー。

この小説はリッキーとルイーザふたりがダブル主人公ですが(最初はリッキーひとりだったが、ルイーザの存在感が増して動かしづらい中年男のリッキーを喰った)ルイーザが何故か滑稽だと思っている訛りがシャフハウゼンの訛りだそうで(頁515)しかし検索してもよく分かりませんでした。

シャフハウゼン - Wikipedia

頁495 レナーテが遺言で、マーキュリーの拝火教徒みたく火葬を望んでいて、そうなることについての場面。

「考えたんだけど」ヴェーラが言う。「わたしは火葬にされるのはいやだわ。そのほうが場所をとらないとか、そういうことは全部わかってるけど、やっぱり埋めてほしいと思うわ」

「もちろん、死んだあとでね」

 そこで二人は笑いだし、くすくす笑ってから、(以下略)

 私はLGBTの"B"に偏見があるのですが、性欲の鬼的な男性の"B"でなく、女性の"B"、どっちにも告られて、性に未分化、みたいな描き方で、それもまた純潔、みたいに描かれると、小説だからいっかー、と思ってしまいました。これがハイスミス最晩年の、本人も意識してなかった境地。以上