『キャロル』(河出文庫)読了

 ふとパトリシア・ハイスミスを検索して、読んでないので借りました。読んだのは2016年2月の三刷。本書は1948年に着想され、サンフランシスコ講和会議と同年の1951年に脱稿、翌年クレア・モーガン名義で"The Price of Salt"のタイトルで刊行の由。旧約聖書の塩の柱とも、ロシアで新婚のふたりを囃す時に使う「苦いぞ苦いぞっ」"горько!горько!"とも関係はなかろうと。

キャロル (河出文庫)

キャロル (河出文庫)

 

 レビューや感想を漁ると、パトリシアハイスミスだから読んだという人よりも、2016年の映画の原作だから読んだという人が多いようでした。私は映画未見です。

映画『キャロル』公式サイト

www.youtube.com

由緒正しい百合小説というか、直球でいうとレズビアンの恋愛小説です。訳者は訳者あとがきでレズビアン小説翻訳ワークショップメンバーともうひとかたに謝辞を呈しています。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/816o8rbRnIL.jpg私はというと、不案内どころか、まったく知らない世界で、ここまでイメージの違う邦訳の表紙と映画のポスターとのあいだで戸惑うばかり。

カバーデザイン◎川名潤(prigraphics)

カバー装画◎Automat by Edward HopperⒸFrancis G.Mayer / Corbis / amanaimages

カバーフォーマット◎佐々木暁

本書にはふたりのほかに、キャロルの元ナントカのアビー、それからミセス・ロビチェクが登場します。いつか老いたその後の人生を象徴させるキャラらしいのですが、表紙見て、ロビチェクかと思った。あんまり、キャロルとは思えなかった。八歳の娘がいる年なので、そう思えばキャロルなんですが、どうもなんとも。主人公のテレーズは19歳という設定なので、ちがう。アビーは、くびれもなければ胸もない、すとんとした体型をしている(頁126)そうなので、これもやはり違う。そうなると、キャロルかなあと。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71R11AF2dTL._SL1061_.jpg訳者はハイスミスの八千ページに及ぶ膨大な日記と、それを整理したアンドリュー・ウィルソンの評伝"Beautiful Shadow"を挙げ、ハイスミスがどういうふうにそうだったのかを簡単に紹介していて、それによると、手の届かない相手を望み、それをモノにし、手に入れてしまうと自分のほうが飽きてしまう繰り返しだそうで、それで恋愛体質と言われても、タチ悪いし豪腕ぽいと思いました。それだから恋仇役のアビーの描写がしどいのかと。アビーがいたからキャロルが出来て、キャロルがクリスマス商戦のデパートに行くとテレーズがいた。ブライアン・シンガーボヘミアン・ラプソディで、フレディ・マーキュリーが男性用トイレの前でいきずりの男とすれ違うシーンのように、同類項は鬼太郎アンテナがビビビと立って分かる感じです。経験がなくても。だから恋愛小説なのか。

 しかし、男性間のイメージでもって女性間を捉えようとすると、かなり無理があるかな、という、その無理、先入観を引き剥がしながら読む教養小説でした。読み終わる頃には、女性同士ってこういうものなんだーと、分かったような気になれる小説です。びっくりした。以下後報

【後報】

Carol (film) - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/10/Carol_film_poster.jpg左は北米向けポスター。テレーズの表情がサプライズで、寛解ではない。

私はこの小説を、自分がまだ読んだことのないパトリシア・ハイスミスのサスペンス小説だと思って借りたので、恋愛小説とは意外でした。そして、ハイスミス本人についても、初めて知りました。

Patricia Highsmith - Wikipedia

毎度のことなんですが、日本語版ウィキペディアは、作家の私生活、ひととなりについて書くことに慎重で、作品は作品それ自体で判断されるべきという思想がそこにはあるように思います。それに対し英語版は、包み隠さず最大あまさず作家の病歴や嗜癖、セックスについても書きこんでゆくので、今回、それを読んで初めて、上記の伝記作成者が、ハイスミスアルコール依存症者認定していたと知りました。医者でもないのに(ボソッ さほどの入院歴もないようですし、日本だと、潜在的~とか、予備軍とか、プレアルコホリックという言い方になるように、私には思えます。鬱は、そこより前に、誰それの発言からの引用ということなしに、記されており、トラブルメーカーであることはやはりアンドリュー・ウィルソンによる「彼女を一言であらわすなら?」評によっています。

The Price of Salt - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/1f/PriceOfSalt.JPG左は、ウィキペディアにあった、最初に刊行されたプライスオブソルトの表紙。紙ナプキンにはインクがにじむから、塩を撒いて塩文字。塩曼荼羅。お清め。盛り塩。以羊選妃。

私はハイスミスリプリー・シリーズが好きで、しかしトム・リプリーをホモだと感じたことはあまりなかったので、ジュード・ロウが出て来るほうの映画のリプリーには驚いたものでした。アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」は、イタリアでデカいツラしてる裕福なアメリカ人批判に的をしぼって描いてるので、そっちの面白さがあります。妊娠して身を投げる女の子かわいそう、とかの展開は、1999年のリプリーからは出てきそうにない。ホモを前面に出すことと引き換えに、何かを失った映画が「リプリー」なのかも。あと、「マタンゴ」(未見)は「太陽がいっぱい」のパロディと聞いてます。さらに、黒い聖母を流す儀礼の場面を見て、媽祖とか、河川部ですと二郎真君を流す儀礼と酷似してると思っています。で、デニス・ホッパーヴィム・ヴェンダースの「アメリカの友人」が素晴らしくて、原作の舞台フランスをドイツに置き換えただけなのにこの骨太さはなんだ、とのけそったものです。知ってはいたけどヴィム・ヴェンダースみたいなシャレオツ監督の映画だし、いいやと見てなかったのですが、知人が激賞していたので見て、同感でした。マルコヴィッチのは私の人生の暗黒季に重なるので見てないのかなと思いましたが(確か、水の中のリプリーかなんかの訳者あとがきで、特報扱いで、製作決定が報じられていたはず)日本未公開だそうで。マルコヴィッチなのに未公開って、よっぽどですね。猫も杓子も配給会社になる前の時代の話なのか。

https://www.amazon.com/Price-Salt-Patricia-Highsmith-ebook/dp/B004RCNW4I

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/518LN6SjhnL.jpgあと、リプリーというと、シガニー・ウィーバーがエイリアンで演じたリプリーも有名なので、せめてスペルは違っててくれと思うのですが、どちらも"Repley"だそうで、めんどくせえと思います。プリプリは岸谷五郎が。

話を戻すと、リプリーは奥さんとなかむつまじくフランスで暮らしていて、最初の話で殺人をして米国の金持ちをペテンにかけて半永久的に仕送りが送られてくるので、ほぼ働かず生きていける身分で、時たまヘタな絵を描き、奥さんと軽く飲んで、運転して、社交界に顔を出して生きてます。欧州に生きる米国人という点ではハイスミスと同じで、ハイスミスは著述業ですから、毎日定時出社であくせく働いてないという点ではリプリーと同じ。で、『キャロル』で、キャロルにテレーズをとられてしまう青年リチャードは、家業の石油販売業だかなんだかの経営をいずれ継ぐのですが、運命に抵抗というかモラトリアムで絵を描いてゲージツを気取ってるのですが、才能がないことは自他ともに認めているので、いずれ家業を継ぐんだけど、だけどまだ表向きはそれを認めていない状態です。トム・リプリーのように、人を殺すことを何とも思っていないのに常識人という分裂した人間にならなければ、ヘタな絵を描いてだけ生きることは不可能と、ハイスミスは判断してるのか。

左はキンドルの英語版プライスオブソルト表紙。オーディオブックがプライスレスなのですが、何故なんだろか。

f:id:stantsiya_iriya:20190221194742j:plain

Audiobook $0.00

Carol (1990 edition) | Open Library

https://covers.openlibrary.org/b/id/7913188-M.jpg私はトム・リプリーと彼の奥さんとの関係がわりと好きで、有閑貴族というか、金の心配をする必要がない無憂人間だけがもちうる余裕と、相手への思いやりと無関心がものすごいなーと思ってたのですが、作者がレズビアンとは思ってなかったです。どういう思いで二人を構築したんだろう。

左は、UK A.D.1990ver.の表紙。

この小説は、ちゃんと書いてるわけではないのですが、男性が考える、射精がない場合、何を以て性交渉を終了させるのか? という疑問に対し、暗黙知の描写で、①「つかれたからやめる」②「ねむいからやめる」③「あきたからやめる」④「相手がいやがったりめんどくさがったり気が乗らなくなったからやめる」なんだろうなと感じることが出来ました。ただ、お互い相手をリスペクトするだけのお行儀のよい関係ばかりではないことはハイスミスが支配するタイプっぽいのを見ても分かるので、④は微妙。そういうのは性差ないのかも。人間だもの。みつを。

BBC Radio 4 - 15 Minute Drama, Carol, Episode 1

https://ichef.bbci.co.uk/images/ic/640x360/p02cry2j.jpg左はBBC放送のラジオドラマのポッドキャストかなんかのページの絵。ソーリー!カレントエピソードはノットアベイラブルだよっ、と書いてあるので、聴けないのかなと思います。カレントってなんだっけ?カレントフォルダのカレントだよ、とリナックスが教えてましたが、そもそもそれが分かんないんだよっ、オマエの言うカーネルカダフィカーネルと同じ意味だとか、"HALT"コマンドはハングリーアングリーロンリータイアードの頭文字をくっつけたわけでないとか、そういうのもう困るんだよとLinux評議会に云いに行こうかとは思いませんでした。

http://dl9fvu4r30qs1.cloudfront.net/34/bc/1bd0d17244de8deab122ffee405c/carol-poster.jpg左は、イタリア語版の表紙と同じもの。日本のアマゾンにも画像有るのですが、アダルト商品扱いで、18才以上でっすとウェブ上で宣誓しないとエンター出来ないのでそこから貼るのはよしています。日本語版や英語版はPG12ですらないのに、日本人がそうそう読めないイタリア語版がアダルト商品扱いとはこれいかに。

テレーズは、クリスマス商戦の閒臨時雇いで百貨店で働いてますが、舞台芸術家(妹尾河童みたいな人かと)志望で、専門学校みたいなとこで教育は受けたのですが、実際の実務経験はありません。19歳。父親は早逝していて、その父親がチェコスロバキア系で、ベリヴェットはそちらの苗字を、ちょいと英語風にアレンジしたものだそうですが(頁69)(頁166では、ベリヴァーと呼ばれ、訂正してます。"t"を発音しない苗字に間違えられるということは、フランス人と思われた?)、ハイスミスチェコスロバキアに不案内なのでそういう予防線を張っているのかもと思いました。チェコスロバキアかは、1951年、朝鮮戦争のさなかに、誰が将来同国がほとんどいさかうことなく平和里に分離するとは予想出来たでしょうかということで、明らかにされていません。父親が早逝していて、ピアニストの母親は彼女をほとんど顧みず、修道院だか寄宿学校だかに押し込んでいます。だいたいその境遇は小説的にはファザコンの伏線で、パパみたいな男性が現われると年の差婚になるわけですが、学校にシスター・アリシアという憧憬の対象がいて、月面宙返りしてるので、それがこの小説を頭で理解するよすがの一環になっています。

https://www.amazon.co.jp/Carol-Patricia-Highsmith/dp/1408808978

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51HuoqPFbDL._SX327_BO1,204,203,200_.jpg左は、上のUKと同じ会社の2010年版表紙。だんだん、河出文庫版の表紙に近づいてきたなと。

しかし、テレーズのスペル、"Therese Belivet"、"Therese"は、私のように英語に不慣れな人間にとっては、There, These, There're, There's, そのどれかかと思って読み進めようとし、いや、そのどれでもなーい、と頭を抱えてしまいそうになるスペルです。せめてアールがエルになっていてくれれば。

リチャードはセムコ "Semco" という苗字で、ニューヨークのロシア系です。誰の本でしたか、N.Y.の公園のベンチは、昼間はロシア系のお年寄りの日向ぼっこでいっぱいだとか。ほんとかどうか、いつの時代か。アメリカのラシアンコミュニティーというと、先ごろデジタルリマスターされたディア・ハンター冒頭の結婚式場面が有名でしょうか。関川夏央が「月はどっちに出ている」冒頭の在日コリアン結婚式場面を評する際引き合いに出していた。でもディア・ハンターは地方の話なので、ビッグアップルエスニック・ソサイアティはもう少し洗練されてるのかも。

www.youtube.com

https://www.amazon.es/Price-Salt-Carol-Patricia-Highsmith/dp/0486800296

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41dtYfr5JdL._SX322_BO1,204,203,200_.jpg左はスペイン語版表紙。かなり河出文庫に近いかと。でも、実写とイラストの違いというよりは、店内でコート着て帽子を深くかぶっているのに胸元が深く開いていて、脚もストッキング穿いてない素足で、あったかい飲みものを手に持っている河出文庫には負けます。タバコ手に腕組みって、別に追いこまれてるわけでも疲労が蓄積されてるわけでもないですよね。

リチャードとテレーズは、幾度かセックスを試してるのですが、どうも身体の相性が悪い感じです。作者も、結婚出来るようになれるよう精神療法を受けていたそうで、その時だかなんだかのヌード写真が流出して、私も検索で見れましたが、いやーなんというか。テレーズの前彼のアンジェロ・ロッシはブルーワーカーで、名前からイタリア系と分かりますし、イタリア男が暴力振るうというのは半ばアメリカ社会の定説ですので(スパイク・リーのジャングル・フィーバーでも、黒人と寝た女性が父親と兄たちからずぼんから外した革ベルトでビシバシ、やられまっせえの場面があって、それを白人女性たちが見ながらぼそっと、アメリカの父親って、ほんとにこうなのよとくちぐちにゆってました)テレーズは前彼の関係が何かトラウマになってるみたいですが、かといって「ぼくは待つよ」と言いながらフラレてしまうリチャード、草食系の紳士に対してだと、相手がグイグイ押してこないのをいいことに、逃げます。そしてリチャードは爪が汚いそうで(頁43)作者と主人公的には致命的だったのかと。

https://www.amazon.com/Carol-by-Patricia-Highsmith/dp/B01K3IDU78

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41EuriE-OML.jpg左はペンギンブックス版表紙。河出文庫の表紙がこうなるのか、こうだったことを回想したり妄想したりするのが河出文庫の表紙なのか。

リチャードがテレーズに固執する理由は即座に透けて見えました。情けなかったです。我が身も痛い。ラシアンコミュニティで結婚相手を見つけるのはプライドが許さないししがらみもヤダ、チェコスロバキアなら同じスラブ系だし、係累縁者がいないなら口出しするうるさいのもいないってことだから自分色に染められるかもしれない。おおかたそんな理由だろうと。

キャロルの苗字のエアド(旦那の姓ですが)は "Aird" と書くそうで、ユダヤ人かなーと根拠なく考えてましたが、スットコランドが故地だそうです。

Ard (surname) - Wikipedia

このお話はレズビアンの恋愛小説ですが、ハイスミスなのでサスペンス要素も盛り込まれていて、アブノーマルな性癖を裁判官に訴えれば親権争いは有利になるし、オオヤケになるのを恐れればキャロルは裁判になる前に和解で親権の主張を取り下げるやもしれん、探偵がふたりの旅行を尾行しますよ~、盗聴もなんもありありで。という展開がサンフランシスコ講和条約朝鮮戦争のさなかに描かれるわけです。

www.google.com

https://my.dish.com/customer/images/payperview/dynamicload/A-Christmas-Carol_SQ.jpg二人の旅路をだいたいで追ってみた地図が上。経由地の数に上限があるので、一部削除してあります。コロラド・スプリングスの近くのデンバーでテレーズは免許取ってますが、経由地数オーバーでデンバーはカットしてます。ソルトレークシティで探偵が網貼ってるので、その少し前でぐるっと曲がっています。第二部でいきなり旅行編になるかと思いきや、冷めたテレーズとイキるリチャードの口論がけっこう続いて、なかなか旅行に出発しません。と思っていると、いつの間にか旅行していて、本物のペンシルバニアの味のハムやソーセージが食べたければこの村の隣の店に行ってごらん、みたいな親切なカントリーおじさんの世界が始まってます。旅の終わりも唐突で、キャロルは親権争いほぼ全面敗北するわけですが、そのため先行して帰宅し、テレーズはスーフォールズで短期間事務職見つけて週貸しの部屋見つけて暫く待ってから飛行機で帰ります。車は陸送してもらうはずですが、手続きや受け取りの場面は省略されます。ダンドリのところどころが説明なく省略されるのもハイスミス節。日本が主権回復した頃に女性ドライバーが合衆国横断百合旅行してるんだから家畜人ヤプーも吃驚です。

Patricia Highsmith’s Forbidden Love | The New Yorker

https://media.newyorker.com/photos/5909724f2179605b11ad7c4a/master/w_813,c_limit/151130_r27351.jpg若き日のハイスミス

 この小説はただのレズビアン小説でなく、レズビアン恋愛小説です。レズビアンがキャラのひとりとして登場するだけなら、最近読んだ韓国の『フィフティー・ピープル』にもレズビアンルームシェアする相手に、自分がLGBTである旨を打ち明けようか迷う話がありました。でも別にその話の主人公は、ノンケの相手に恋心を抱いていたりするわけじゃないです。『キャロル』は、終盤、キャロルが不安定になって、逢うのを拒んだり逢っても安定しなくなったりと並走して、サブキャラが輝き出したり、魅力的な新キャラが登場したりします。少女漫画そのまんま。リチャードのツレの、筋肉が発達してるので、軽く肩を摑まれただけで彼我の圧倒的な戦力差に骨抜きにされそうな男と二人きりの時間が一定ありそうになり、自分で自分がアレでヤヴァい、しっかりするのよ私、的な場面。相手がやはり草食系なので助かってます。ハイスミスのような、征服欲の権化の野獣だったら、今ごろはその男のいい奥さんで、若い頃は同性に疑似恋愛的な感情を抱いてたこともあったわね…なんて、赤ちゃんあやしながら空と洗濯物を見上げてたかもしれません。相手の野獣がリチャードに殴られそうになって「ちゃうねんて、あれはあいつから誘ってきたんやって、ほんまやって、こんなことウソついてなんになるねん」とウソついてる場面は、少女漫画なのでないでしょうと。

The Price of Salt (Carol) eBook by Patricia Highsmith - 9781936456543 | Rakuten Kobo

https://kbimages1-a.akamaihd.net/be7d6457-72a7-42dc-9294-00034ff7a29d/353/569/90/False/the-price-of-salt-carol.jpgイラスト入りバージョンだとかの表紙。こんなキャロルは嫌だ、の大喜利みたい。

恋のライバルはオトコだけでなく、テレーズは登場時の19歳から二歳歳とって21歳にななって、もうネンネではなくなってるわけですが、有名女優の出る芝居に関わって、オーラ出まくりの有名女優(キャロルよりぜんぜん若い)にパーティで出会って、妖怪アンテナビビビ、女優もまたそうであった、視線と視線が絡み合うわけです。矢沢あいの『NANA』も、一巻の途中までしか読みませんでしたが、JKに手をつける地方都市のリーマン、車持ってるだけが取り柄の男と別れたJKの主人公が歌姫NANAに会います、という展開でした。リチャードからキャロル飛ばして女優に行っても話として成立するわけです。

 作者のもとに週二回から三回、十通から十五通届いた手紙の多くが、物語のハッピーエンドに勇気づけられた、ありがとう幸福な結末にしてくれて、と書いていたそうで、教訓的に、同性愛は破滅するとか真実の異性愛に救済されるとかの結末になってないのはそうなんですが、かといって二人の前途は楽観視出来るものではないのにねえ、とは訳者の弁。私が思うに、これは、テレーズをキャロルのもとに帰してくれてありがとう、そういう展開にしてくれてありがとう、ってことではないかと。損得考えたら、女優に行ったほうが、絶対人脈とか金銭とか経験とかすべていいですもん。いつか捨てられるかもしれないが、上流社会への進出の足掛かりと、キャロルよりもっとゴージャスな新彼女を得るチャンスがあったテレーズが、キャロルを選ぶ理由があるのか。ネンネでなくなった大人のテレーズがキャロルを選ぶ理由がどこにあるのか。ハイスミスは、どの結末にするか相当悩んだそうですが、ファンタジーであるこの結末は、ファンレターを出させるほどある種の読者たちの心を打った。その数百万部近く。

https://blackwells.co.uk/bookshop/product/Carol-by-Patricia-Highsmith-author/9780747554004

https://blackwells.co.uk/jacket/l/9780747554004.jpg2003年版表紙。

キャロルの描写で気になったのが、前半、食事をほとんど取らず、昼から飲んでしまう場面。最初にふたりが昼食を取るレストランでも、まず砂糖抜きのオールドファッションドを注文しています(頁64)初めてキャロル邸で昼食のお招きに預かる場面でも、クランベリーソースをかけたコールドチキンのスライス(白切鸡かな)グリーンオリーブと白セロリ添えのメニューですが、キャロルはほとんど手をつけず、ウイスキーを水道水で割って飲んでます(頁89)頁127の朝食場面では、キャロルではなくアビーですが、準備するだけして、席についたらまずタバコ。頁205では、寝酒がてらビリー・ホリデーのイージー・リビングを聴く。頁227では、テレーズが、キャロルが帰ってしまったら、自分はもらったベンゼドリンを三錠ぜんぶ飲むかも、と言ってます。とまれ、登場時は食べないで昼酒も飲むキャラだったキャロルが、途中からはまあまあ食べるようになりました。

cocktailrecipe.suntory.co.jp

www.youtube.com

kotobank.jp

頁374

わたしは保守的なほうではないけれど、ひとりで飲むと一杯のお酒で三杯分の酔いがまわるのを知っていた?

第64回 『キャロル』 パトリシア・ハイスミス | *東京大人の読書会* BCBG BOOK PARTY

上記2016年早春の読書会ページで下記の写真を見つけたのですが、URLを写せたのは下記のサイトからでした。

10 Best Patricia Highsmith Books

https://www.publishersweekly.com/images/cached/ARTICLE_PHOTO/photo/000/000/026/26530-v1-265x.JPGこれも若い頃のハイスミス

ハイスミス自身のお酒の問題は英語版ウィキペディアに書いてありました。それとは関係なく、『キャロル』の冒頭は、実際にハイスミスがごく初期、小説で身を立てる前にクリスマス商戦のデパートでバイトしてた時の話から霊感を得ています。実際にビビビと来る女性が買い物に来て、送品伝票の住所を見てハイスミスは数回ストーカーというか、その人の家を探して漫遊してたと。

鮮明にその家などは覚えているそうです。

で、伝記はその伝説のキャロルモデル女性についても調べた上書いているそうです。キャサリーン・センという、金髪の富裕層のマダムで、社交界の花形で、満ち足りて怖いもの知らずの女性だったが、アルコール依存症で入退院を繰り返し、ガス自殺したそうです。レズビアンだったかどうかは書いてません。多分違うんでしょう。小説前半の、食べずに飲む姿は、若き日のハイスミスが観察したミューズ、キャサリーン・センの姿だったのかもしれません。そして、作者は、小説の中で後半、女神を自由に旅行させて、飲食もある程度させた。物語のなかで、現実のその女性は昇華されたのだと。

センって、アマルティア・センと同姓だなと思いましたが、まさかインド人ではないだろうと。

アマルティア・セン - Wikipedia

河出文庫の表紙は誰が誰を待っているのか、あるいは待ってはいず、ひとりなのか。ファンレターを送った一人一人が物語の結末に希望を見出したのは何故なのか。レズビアンの恋愛小説を読むのは初めてでしたが、読めてよかった。以上

(2019/2/21)