「サンマデモクラシー」"SAMMA DEMOCRACY" 劇場鑑賞

私が西表島で砂糖黍刈りの農業アルバイトでひとシーズンを過ごしていた時、共同食堂のある日の夕食メニューがサンマだったわけです。ところがそれが一匹まるまる素揚げしたものだったので、あぶらっこいサンマをさらに揚げてしまうとは、沖縄おそるべし、やはり大和と中華料理の中間に位置する料理群と見て間違いなかろう、と勝手な判断をくだそうとしてしまいました(その予兆として、お昼のお弁当のギョーザが毎回必ず揚げギョーザだった)ところがあにはからんや、共同食堂のオバチャン(オバァというには若いので、ジモティネイティヴならネーネーとでも呼ぶのでしょうが、私らには分からなかった)が言うには、サンマなんか料理したことなくて、見たことない魚で、したっけとりあえず鍋で揚げてみたさあ、みたいな話で、秋刀魚を一匹まるまる(半分等に切らずに)揚げられる鍋があること自体、やはり沖縄は以下略

で、私の中で、沖縄は亜熱帯なので、主に北日本で水揚げされるサンマはほとんど食卓に上らないのだろうな、という認識が出来ていたです。ところが、こういう映画が登場し、あまりに不思議なので観ました。さんま、食べてたデスカ?うるまのヒト? 沖縄庶民の味方サンマに関税がかかり、しかも関税リストに秋刀魚は載ってないことから、輸入鮮魚商が関税無効、徴税金返還を訴えたという映画です。

沖縄でのサンマ食の歴史はやはり古くなく、マグロ漁船へのマグロのエサ用に糸満に輸入されたサンマを、食用として業者が裁き始めたのが沖縄秋刀魚食の始まりだそうです。糸満と先島はぜんぜんちがいますので、西表にサンマ調理したことない人がいても不思議じゃない。私の体験とこの映画のテーゼに整合性が見出せた時点で、あとはもうどうでもよくなりましたので、少し寝てしまいました。原告ウシさんが裁判に勝ったのかどうか、勝ったとして、現在の日元で七千万エソに当たる納付金は返還されたのかどうか、すべては闇のままです。

f:id:stantsiya_iriya:20210916215209j:plain

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

『サンマデモクラシー』公式ホームページ

www.youtube.com

石垣の池上永一の秋刀魚観も聞いてみたい気がします。公式のコメントには出てこない。

www.youtube.com

いちおうこの映画は天声人語にも出てくるくらいの映画のはずですが、レビューもロクになく、天声人語提灯記事にも思えてきます。提灯記事書くなら、夕刊の文化面に書けばいいのに。夕刊デスクに却下された編集委員が往生際悪く天声人語を使ったのか。朝九時十五分からの上映で、観客は安定の五人。昨夜の「ベイビーわるきゅーれ」は四十人でしたので、ずいぶん差がついたなと。

www.asahi.com

それで寝てたら、ラッパとかトラとかはいいのですが、カメジローが出てきて、私はカメジロー映画観てないのですが、もう二本もやってるはずなので、ここでもまたしてもカメジローなのか、そんなにネタかぶりしていいのか、前のカメジローと今回は監督や制作がちがっているはずで、今回は沖縄テレビなのですが、そんな、晩年の田村隆一が、エッセーの途中に過去の自分のエッセーの引用をえんえん埋め込んで手抜きかつ原稿料稼ぎをしたのを読んでるような気分になりました。

出来上がりさぁ、何故沖縄なんですか? それはねー、というファブルの嫁は置いといて、トップ当選なのに当選無効にされた、しかもそれ狙いうちの法改正までされて、というあたりで、ふと、民主派が当選無効になった香港の、中国との関係みたい、と思ったです。そうすると、次には預金封鎖という、りんご日報のジミー・ライが中国にやられた手が登場し、琉球政府の裁判でなく、米国の裁判を受けさせられたというくだりでも、それって抗議デモがまず撤廃を要求してたやつじゃん、香港人の裁判をすきに大陸で行なえるようにする法施行阻止。

ので、せっかく金門クラブが出てくることだし、サンフランシスコで裁判受けるのかしら、ひょっとしたら、アルカイダの戦闘員のように、アメリカがキューバの一角を占拠して営んでるグアンタナモで裁判受けるのかもしれないな、と思っていたのですが、なんのことはない、軍政府のほうの裁判ってだけで、沖縄で裁判受けるんだとか。

そうなるともう、軍政府第3代高等弁務官キャラウェイのせりふ、"Autonomy is myth."も、”一国两制是神话“ に置き換えられるブラックユーモア。香港にあてはまらないのは、「異民族統治」という、カメジロー等のスローガンの単語くらいかなあ、と思いましたが、その後、香港も本土派は自らを英漢のハイブリッド民族と捉えていて、中国人と自らは異なる存在としてたはず、と思い至りました。習近平のキンペーチャンはこの映画観て勉強したのでしょうか。

オートノミー - Wikipedia

冒頭で糸満の漁業の大変さ、朝四時にサバニが漁から戻ると、タライを頭に載せて行商する女性たちが魚の奪い合いをする、という記述の個所で、うーん、キビ狩りも、一日三トン刈れねば男でないさあ、みたいな、暗黙のノルマがあって、むかしはそれこそ、熱帯の地獄のような人間の能力の限界ギリギリまでこきつかってしぼりとる、人頭税のおそろしさ、だったのだろうか、と思ってから、検索して、人頭税はやいまと宮古だけの話で、本島はなかったさぁ、ともう一度頭に焼き付け直しました。しっかしよー、最近の本島の研究だと、琉球王朝が先島住民に課した人頭税は、人頭税的な税だったけども人頭税イコールではなかったさぁ、というのがあるらしいさぁ。人は加害者的な立場になったら考えることは一緒さぁ、とまで言ったらいいすぎさぁ。

ryukyushimpo.jp

yaimatime.com

民主は「民(たみ)が主(あるじ)」ではなく、「民(たみ)と主(あるじ)」さぁ、と終わりのほうで誰かが言ってますが、うまいこと言った感だけが残ります。

アメリカ世に奄美に育った人が、島では革靴を履いてない男なんかおらんかったが、大和に来たらワラジで育った者がいて唖然とした、などの証言も聞いてますので、まあそこはいろいろだろうなってことで。

関税対象の各品目を見ていて、ナマコがあったので、そういえば先島の汽水域のナマコは有毒なので誰も取らなかったな~と思い出しました。毒がある、取るなと言われました。そんで、あまし沖縄でナマコ食べるという認識ないので、関税ゼロだったら右から左へ、台湾香港などの当時の中華圏に流して三角貿易してたんだろうなと。そういうのを阻止する意味で関税があったんじゃないの、なぜ関税があったのか、説明尽してないと思いました。イセエビも品目で、タイの島でイセエビ見たことあったので、沖縄でも取れるんじゃないのと思いました。

メジローの子孫の事務所にジュゴンのポスターが貼ってあって、そういえばジュゴンも危機だけど、動きがにぶくてとってもオイシイので、食べられて食べられて(移住ナイチャーも大好き)絶滅寸前のヤシガニのほうはどうなったろうと思いました。絶滅したのだろうか。私は生存競争に負けて、ありつけませんでした、ヤシガニ

エンドロールで、スペシャルサンクス:さいよういちみたく出てて、むかし一瞬だけチェ・ヤンイルと読ませてからまたさいよういちに戻った崔洋一サンは、この映画で何をしたのだろうかと思いました。反共同盟の一員である韓国は、しかしこの映画1㍉も出ません。

ウシさんはせごどんに似てると思いましたが、沖縄でそう言ったら、正直すぎると怒られるでしょうか。サツマデモクラシー。

沖縄本島で秋刀魚が食べられていると分かったのはいいですが、ではどうやって食べていたのか、がちっとも分かりませんでした。やはり焼き魚なんですかね。にんじんしりしり、ポークイリチー、タコライスの如く、じゅうらい沖縄になかった食材の奇抜なアレンジがあれば面白かったのですが、作り手にはその辺の視点がないようで、調理する場面はありません。

古田足日赤旗に連載した『宿題ひきうけ株式会社』『進め、ぼくらの海賊旗』には、サンマを家族四人で分けて食べる児童が、一匹丸ごと食べてみたいと夢を語る場面があり、詩は実際にその境遇の児童が讀んだ詩でした。実際には学童年齢の子に一匹だと多すぎる気がします。汁ものに根菜の煮物、葉物のおしたしなど副菜が充実してれば、三分の一でも十分かと。

昨今はサンマ高級魚になってしまい、安く買えるのは腹に寄生虫のポツポツ穴があるのばかりで、品質には影響ないとはいうものの、やっぱなんか嫌で、買いませんですが、そういうところも、この映画は描写してません。手に余ったか、脱線と思ったか。以上

【後報】

もちろん、現代の中国統治下の香港と、かつての米国統治下の沖縄には相違点があって、言論の自由が前者は保持されず、後者はあったのでこうして執筆活動や記録が残っているということが言えます。たぶん。

(2021/9/21)

【後報】

『宿題ひきうけ株式会社』の当該箇所は下記。2001年の「新・名作の愛蔵版」を参照しましたが、ここは1996年の改定後の変わってません。

頁120

 ――そうだ。きょうは帰ったら、ミノルのやつにお説教してやらなくっちゃ。「三年生にもなって、サンマ一ぴき手に入れる方法も知らないなんて何だ」ってどなってやろう。

 きのうの夜、ヨシダ君は、こんど三年生になった弟が学校で書いた詩を見て腹をたてたのだった。こんな詩だった。

 

   ぼくはさんまを食べたい

   まるまる一ぴき食べたい

   そう思った、つばがわいた

 

 ヨシダ君とこは家族が多いし、収入は少ない。だから、晩飯のおかずにつくサンマはたいてい四分の一なのだ。一本ずつみんなにつくなどということは絶対ない。

 この詩を書いた紙がへやのなかに落ちていた。それをひろいあげ、読んでみて、母親は青くなっておこった。

「ミノル。これは何だい。うちのはじさらしのようなことを書いて、サンマ一本買ってやれないなんて、人にわかったら、どうするんだい」

 だが、そのときもうミノルはおしいれのなかで寝ていた。ヨシダ君は母親の手から紙をひったくって自分も読んでみた。

「じっさい、サンマ一本食べたことないんだから、しかたがないよ。おれも二年生くらいのときには食べたかったよ」

 ヨシダ君にそういわれて、母親はだまった。ヨシダ君は新聞配達の給料を毎月母親にわたしているから、家のなかでも発言権がある。

 でも、ヨシダ君もミノルに腹をたてたのだ。母親がいうように”はじさらし”なことを書いたからではない。

 ――食べたけりゃ、泣きごとならべずに手に入れる。

 これがヨシダ君の主張なのだ。そして、三年生にもなれば、サンマ一本買う金ぐらいなら、いくらでも手に入れる方法がある。一日廃品回収の手つだいをしてやってもいいし、近所となりの買い物をしてやってもよい。

(以下略)

サンマの量詞が「一本二本」かどうかはさておいて。1996年の改定は、あくまでアイヌに関する「春告げ鳥」の差し替えのみだったようです。なにがどう差別で、差し替えでスッキリしたのかどうか、あとがき読んでもさっぱりでした。というか、そのアオリをくらってか、ここのサンマの詩は、実際に小学生が新聞に投稿した詩だったはずですが、その旨の注記が改訂新版では消えています。せっかちでそそっかしい人は、何かを指摘されて直す際、ほぼ必ず別のミスをする。

(2021/9/24)