母ともっちゃん (岩波書店): 2001|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
カット・松平修文
2001年のこの本なら、大阪中華学校で日本語を教えたこともあり、現代歌人協会訪中団として三度胡耀邦時代の中国を訪れている著者の、天安門に関する繰り言のひとつも読めるだろうかと思って借りた本。いやー、ないですね。中国に関する記載もありません。どこかに、「梅」は中国語の「梅mei」から来ているという説もある、てな記述があったくらい。メイと読むのは北京語で、潮州とか福建では「ぶぁい」と読むと、確かボーダン『タイからの手紙』冨田竹二郎訳のルビにあった気がしますばい。梅雨前線ばい。
それでは時事ネタはないかというと、頁79『警鐘』は阪神淡路大震災の時の千里ニュータウンの自宅の揺れだし、頁166『蛍狩り』は、上九一色村の報道から、そのあたりに住んだ時の思い出の話。いやあ、1998年『トルファンの絹』にあった、朦朧派など、中国詩人への熱い思いは何処へ。朦朧派とロン・モンロウは一切関係ありません。
頁83『小田切秀雄先生の思い出』は、処女歌集出版後の批判の数々に対し(お騒がせ学園闘争を正当化するなとか)オダギリせんせいは熱いエールを送ってくれ、文学と社会の結びつきを大切に考えておられたセンセイのご冥福をお祈りします、という随筆で、社会との結びつきを大切にするなら、これくらいのおおごとなトピックは書いてもいいんじゃいかなと思いました。
もっとも、パートナーと暮らしていた埼玉の家に植えたアカンサスという花が、土屋文明という先生からの分植の分植だそうですが、そのころはまったく咲かず、別れて何年もしてから、パートナーから咲いたとだけ連絡があり、見に行きたいけど行けない、という頁46『アカンサスの花穂』など読むと、中国とも、いったん切れるともう絶対ガン無視かもしれないと思いました。そういうことであるなら、理由は政治でなく、留学生の身元保証人になったらバックレられたとかトラブルが起こったとか後足で砂かけられたとかそんなとこかもしれないな、と思いました。身近な出来事をばかにしてはいけないと思います。
初出は、だいたい1999年か2000年の新聞。ひとつだけ1995年。ふたつだけ1997年。1998からの連載アリ。載せてる新聞も、読売、中日、日経、朝日、神戸、産経と多彩です。
桜が和歌史の中で時めくようになるのは『古今和歌集』以後で、万葉集にいちばん登場する花は萩、という、2021年9月18日の天声人語みたいな記事がありました。頁39。
ちょっと変わった話だと思ったのが、『父とキムチと』
頁155
あんたとこ、なんで朝鮮漬、すんの。あのとき私にそうきいた少女の咎めるような一種異様な表情が忘れられない。あんたとこ、日本人やろ。少女はそんなことも言った。その言葉の深い意味は、当時の私にはわからなかった。母に尋ねてみたが、ウチは引き揚げ者やからね、と答えてくれるだけであった。
安岡章太郎でしたか、梶山季之でしたか、かつての半島都市部の社宅の給料取りや戸建ての官吏などの日本人子弟は、母親が現地食を不衛生だとして、子らに与えないよう気を配り、買い食いなどはもってのほかorこっそりだったと、書いていたのを思い出しました。道浦家は、日本人のほとんどいない環境だったのでしょうか。それにしても、大量に唐辛子を必要とするし、手はヒリヒリするしなので、環境が変わってもキムチを毎年手作りしようとは、なかなか思わないと思います。私も中国にぬか床もってこうか考えたことがありましたが、やめる以前に、そこまで長期間住まなかった。
そんな本です。以上