『季節の森の物語』"Seasonal Forest Stories" by Motoko Michiura 読了

季節の森の物語 (朝日新聞社): 2000|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

季節の森の物語 : [録音資料] (オフィス・コア): 2000|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

装幀――神田昇和

初出は「RONZA」転じて「論座」1997年4月号~2000年3・4月号

あとがきあり

この本は2000年の出版なので、80年代に大阪中華学校で日本語を教え、現代歌人協会訪中団で三度中国を訪れたもっちゃんのしとの天安門事件絡みの感想が読めるかなあと思って借りました。なかった。

最初の話が司馬遼太郎の菜の花忌で、タナカツが訳したモンゴル詩人の詩が、街道を行く・モンゴル紀行に出てくることが分かる上に、もっちゃんのしとにとって忘れられない菜の花とは、早春のころに上海から杭の杭州に旅した時車窓から見えた菜の花畑だったという記述を読むことが出来ました。ソウデスカ。私が忘れられない中国の菜の花というと、実は盧溝橋に行った時が菜の花の季節で、一面菜の花でした。ここで演習とか交戦とか野ぐそとかしてたんだなあと。何両編成なのか、えんえん途切れない貨物列車が走ってましたが、昔のこととて、ふみきり渋滞になるほど車が止まってませんでした。

同じ話で、「うめ」梅の語源が漢語のmei、メイなる珍説が読めました。ここだったのか。それだと、うめの音読み「ばい」に近い音「ぶあい」が中国南方に残っていること(Ⓒ『タイからの手紙』ボーダン、冨田竹二郎訳)と矛盾してくるので、私としては眉唾です。中国ネタはここまで。最初の話のみ。

頁40、デカンショ節は、デカルトショーペンハウエルをプラスしてもじった、学士サマをからかう歌ともっちゃんのしとは信じていたのですが、実はデカンショは出稼ぎの意味の、丹波杜氏を指し示す歌だとか。

頁47、阪神淡路大震災の思い出。

本は凶器 本本本本本本本本本本本 本の雪崩

頁64、須賀敦子ユルスナールの靴』が出てくるので、読んでみます。まだ須賀敦子さんは読んだことない。以前神奈川近代文学館の展示会見損ねて、それで縁がない感じ。(いや、一冊読んでました)

頁68、1995年ウクライナキエフから何度かチェルノブイリに行った時の思い出。

頁130、永山則夫死刑囚死刑執行についてのエッセー。

あとがきでは、地下鉄サリン事件や神戸少年殺害事件にも触れています。

いやー、これだけあっても、天安門事件出ないんだな。もう私の中では、この人のかつての配偶者の書き方を見るに、事件の衝撃より、誰かの身元保証人になってヒドい目にあったとか、身元保証人を断って不快な罵詈雑言浴びたとか、そんなことで中国訪問を封印したのではないかと勝手に思ってるので、いいんですけど、でも、教師時代の生徒との交流や朦朧派紹介の記事が続けられないというのは、少しさみしいです。以上