『和僑 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人』読了

 読んだのはハードカバーですが、表紙は同じです。写真は著者撮影。装丁は國枝達也という角川書店装丁室の人。この本も、何故か図書館の経済書コーナーにあり、中村哲ペシャワール会の用水路開拓の本を借りたさいに、『島国チャイニーズ』ともども借りました。現代社会を題材にしたルポは常に劣化との戦いですが、私は下記に記す第六章をメインに読みましたので、2012年の情報でぜんぜんだいじょうぶです。

bunshun.jp

本書によると、「和僑」ということばはファンキー末吉が使い始めたそうで、作者はあえて触れてないのだと思いますが、それだと、194x年以降日本人がたくさんコロ島から日本に送還された時、「日僑」と呼ばれてたわけなので、「日僑」でええやんわざわざ「和僑」みてような造語作らんでもええやんちう議論もあろうかと思います。大家族(棒 中国を構成する民族の一員としては、朝鮮族や京族(ベトナム人)オロス族(ロシア人)のように五十六の民族に加えてもらえなかった日本人、加わってれば残留孤児残留婦人問題などは、まったく違った展開を見せたことでしょう。中国公民の問題となるので。「日」でなく「和」にすると、大和民族だけに特化した呼称になる気もしますが、それは考え過ぎというものか。

手に取って、ぱらぱらめくって、読んでみようと思ったのは、第六章があったからです。第一章と第七章がバックパッカー崩れ?青年が、そのままレンアイ絡みで南方少数民族地帯に居着いてしまうケース、第二章三章が"日本AV妹"の肩書でマカオ等で華々しく短期出稼ぎする風俗嬢のケース、第四章が上海で現地志向でない駐在が作る日本人高級眷村、第五章がその絡みも少しある、日本人組長の「組」第六章は、首都でありながら邦人人口が上海の三分の一以下の北京で、「日中友好」関連の業務に従事してきた異なる世代の二人の女性。私は前世紀末一度、北京の友誼賓館というところの公寓というかアパートというか招待所というかコテージというかみたいなところに各国人士にまじって住む邦人たちを見て、文筆業とか肩書を聞いてもまるでピンとこず、いったいこの邦人たちは何者なんだろうとずっと思っていたことがあります。以下後報。

【後報】

第一章は、雲南だか貴州だかの少数民族地帯にひそむ2ちゃんねらーVIPPER)をあぶりだせ!!的実話。現地で同じ日本人という気安さからか、まだ遭ってないのにヴァーチャルともだちですよみたいな自己紹介したのが本人の耳に入って、取材拒否されるまで。著者は2ちゃんの中国絡みでいうとどのへんの立ち位置なのか、水谷尚子について語ったりすればもっと分かったのにと思いました。

頁195

 現在の中華人民共和国に、「日中間の歴史問題」についてこれ以上の謝罪を重ねるべきかはさて措き、日中戦争は日本の対中政策としては明らかな判断ミスだ。関係者の責任は問われるべきだろう。

第二章三章の海を渡る風俗嬢の記事は、なんでもっとそういう人が増えないのかの疑問が分かりやすく解消される記事になってました。現地に着いてから「話が違う!」のトラブルの実例が、それを自力で切り抜けられるタフな女性から語られ、みなそうはいかないだろーと読者は思う。あと、多国籍軍の控室の劣悪な環境。ベトナム人インドネシア人も白人もいるので多国籍軍。中国人は待機中ずっと何か口に入れてるそうで、そういう匂いとゴミが散乱してて、で、狭いとこにすし詰めなんだとか。町田のふつうのタイマッサージ(エッチじゃない。書道教室と同じビル)が中国人雇ったら乗っ取られたその後、ずっと無駄話と何か食べる音ばっかりしてたという話を思い出しました。

で、あと、風俗嬢の話は、彼女が実は既婚者(こどもはいない)であることを作者が見抜き、そうでもないとメンタルをしっかり保ちつつこの生活は出来ない、と結論付けるあたりがよかったです。ここで、作者見直した。もちろん旦那は稼げない職業(だからヒモではないがニョーボの仕事黙認)だそうで、マルセ太郎かしらと思いました。

第四章は上海の駐在村というか、駐在向けゲーテッドシティ。マンション内のコンセントの口の形は中国の三口でなく日本の二つ口で、電圧も中国の220Vでなく日本の100Vというところがまず笑いました。そこまで中国を意識させないのかと。というか、そこをちゃんと文章にする作者は分かってる。ネット環境も、一般は海外接続がブロックされ、センシティヴなキーワードは情報が出てこないのに対し、駐在村マンションでは、外国人の多い五つ星ホテルがこの規制運用の対象外になっているのと同じ扱いで、日本と同じようにネットがつかえるんだとか(頁152)彼らの子弟の通う上海日本人学校はいまやバンコクを抜いて世界最大の日本人学校で、アメリカの駐在は子弟を現地学校に通わせるので日本人学校は閑古鳥なのに、アジアでは一旗あげたい貧乏アジア自営業組以外はみな日本人学校に行くんだとか。「島国チャイニーズ」に出て来るような、日本で高等教育を受けて日本企業で働いてた中国人が3.11と原発で日本から逃げてきて、上海で働かなならん場合、やっぱ子弟は日本人学校にいかすとかあって、へーと思いました。そういうこともあるかなと。こんな話読んだ後で「島国チャイニーズ」の中華同文学校のくだり読み返すも吉。日本人も通いたがる中華学校、ちう記事でしたか。で、駐在の子にキラキラネームは見られないんだとか。しつけはしっかりやってるとか。中華学校も、日本の小中が崩壊してるのをしり目に、掃除とかしっかりやらせていた。で、上海日本人学校の校歌の作詞は、陳舜臣でした。生島治郎、残念。

作者は現在の上海の邦人状況は、戦前の「会社派」「土着派」の構造とよく似ているとしています。プライド、政治意識の面で特に。それはさておき、中国てなもんや商社の人が、日本メーカーが中国にガラケーを売ろうとして失敗し続けて誰も責任をとらなかったのは、あれなんなん?みたいなネット記事を書いていて、まさにそういう人たちが駐在マンションに住んでいたんだろうなと思いました。月三十万日元は、会社丸抱えでないと払えない。自営や中小の駐在(っても幹部クラスしか中小は駐在しない)はもう少し下のランク以下になるそうです。

で、一度反日暴動とかデモとかになると、こういう邦人天国はどうなるんかいなと思いまして、その答えの一助が、第五章、上海に日本の組をそのまま作って(構成員は全員中国人)組長になった日本人の話です。広域暴力団のそこそこのクラスの人が偽装結婚したら嫁の実家が上海の黒社会で、偽装がほんまの結婚になって、で、上海で、この範囲でこういうことだったらしてもええ、みたいなお墨付きをもらってるとか。舎弟は大連とかにも組を作ろうとしたが、自分の目の届かないところは信用できないので許さなかったとか、地元公安にショバ代払うより自分通したほうが全然安くつくとか、そういう話。駐在向け高級マンションは、その地域の何か中国人のお金をもらう幹部みたいな人に、みかじめ料払ってるんだろうなと思いました。この組長は地元公安幹部にコネもつ黑社会「五星紅旗の代紋を背負ったやくざ」(頁216)に血縁があってこその地位なので、別の日本人が受け継ぐとかは、この話のかぎりではなさそうだと思いました。上海で白手起家で飲食業営んでる邦人の店にふたりで行ったら、作者は帰り際、あの人と知りあいなんですか…と店主に言われ、それからよそよそしくなったそうです。やっぱそういうものか。

で、この章は、作者が誘惑に負けて削れなかった、このヤクザの人がきんきろう、キム・ヒロと同じ刑務所にいた時のエピソードがいっぱいあって、面白いけどここに書かれても~と思いました。

第六章は首都なのに上海より邦人が少ない北京で、日中友好をやってた邦人ふたり。一人は、ネトウヨと同じ主張をする中国脅威論者に転向した傘寿。で、この人が、中国を好きな理由が、伝統とか文化とかでなく、革命後の共産中国が好きだったというくだりで、あーこんなだからピンインのカタカナ読みになるわけだわと思いました。日中共産党が論争してる時に中国を指示したから除名というか反党分子のレッテルをはられたそうで、そうまでして中国を支持してきて、今は中国脅威論のアジテーター。田中角栄の訪問と日中国交回復には、中国に裏切られた気がしたそうです。

頁257

「ううん……。どこが好きだったんだろうねえ。やっぱり、共産主義だったからかもねえ」

 過去の彼女は、中華料理や中国建築が好きだったわけでも、書画や漢詩四書五経が好きだったわけでもなかった。

 ただただ純粋な思いで、毛沢東思想と共産主義を愛していたのである。 

 作者はこの手合いでなく中国好きということを証明するために、頁24の「はじめに」の時点で、葉公好龍という故事をまず紹介しており、その故事の出典が前漢の劉向(りゅうきょう)の「新序」という書物で、劉向もりゅうこうでなくりゅうきょうと読むけれども、葉公もようこうでなく「しょうこう」と読むとしています。私は「ようこう」と読んでました。しかもそんな故事知らないし。

この章で、作者は、日中友好協会の歴史に触れていて、中国側は一貫して政府の外交畑出身の党員が占めてきて、全員日本語ぺらぺらで、プロパガンダの専門要員ばかりであったのに対し(友好協会職員や役職が領事職と入れ替わる例が多く、いかにも民間と公職の区別がない社会主義国家っぽい)日本は当初は内山完造が理事長で、保守財界、不肖カワバタや谷崎まんじまで巻き込んだ組織だったのが、そんへえ・おおへえ死去後、急速に左傾化し、日中共産党が激突して北京の日共が紅衛兵に襲われたあの時代、友好協会も分裂して後ろに「(正統)」をつけるのとそうでないのがありまんた、としていて、そんなんで対等な関係が築けると思ったはんにゃろか、としています。東亜同文書院霞山会。せめて人名の読み方だけは、改革開放後来日した留学生に、日本語の音読みにしてちょ、と言ってほしかった。

中国に夢を紡いだ日々―さらば「日中友好」

中国に夢を紡いだ日々―さらば「日中友好」

 

 頁260

 長島さんの著書の後半の文章は、二〇〇〇年代になってから書かれたものだ。彼女はそこで、一般的には右派的とされる『産経新聞』の報道を盛んに引用し、中国側の南京大虐殺の被害者数の捏造に憤り、江沢民反日政策や日本政府による対中ODAの垂れ流しにも憤り、著書の刊行前年に発生した毒ギョーザ事件と、長野市内でのフリーチベット運動家と中国人留学生との衝突事件にも怒りを露わにしている。

 さらにこの日の取材中にも、会話の内容が現代の中国事情におよぶと、とたんに「中国人の日本への移民反対」「日本は中国の自治区にされる」「中国人が日本の土地を買いあさっている」といった言葉が、彼女の口からどんどん飛び出した。

「……それが、現在のあなたが見つけた正義なんですか?」

 私が尋ねると、「そうよ」と返事をされた。

この後の部分で、作者は作者なりに皮膚感覚で覚えた、「中国とは何か」論を展開しているのですが、それはそれとして、この本、中国の人名地名を、ほとんどピンインのカタカナ表記で記しているのですが、ここで、リュウ・シャオポーだけ、劉暁波(りゅうぎょうは)と書いていて、はっとしました。魯迅もルオシュン、郭沫若もグオモールオと、過去の人物であっても、当代史ならピンイン読みのルビを振ってるのに、なぜこのノーベル賞の人権活動家の人だけ日本語の音読みなのかと。校閲チェック漏れでしょうか。ガクー

さいごの章は、一章で取材拒否された元バックパッカーというか、少数民族と結婚して、年の半分は日本で土木の自営の実家で出稼ぎ、半分は嫁の実家で農家みたいなこと、をして暮らしてる日本人壮年と、「やー漏れもねらーでDQN」みたいな感じで意気投合して取材に成功する話。私は、サニ族って、イ族とは別の民族かと思ってましたが、イ族のなかのサニ人とかノス人とかがバンバン出てきて、そうなんだーと思いました。この壮年は、ダーリーズではないそうです。書いてないけど。田舎の雑技団に奴隷として売られた女の子を助けたりとか、そういう武勇談があって、で、作者は、この壮年が、ほぼ消費税以外日本では税金払ってないのを、うらやましーとしています。栗原康かと思った。絶対、後で中国の社会保障に恐怖感覚えるて。あるいは家族誰か中国の大病院で高額治療になって、保険も未成熟でコネもないとこんなにおとろしーのかーと思う。作者も、留学生崩れというか、その辺は身体感覚として分かっているので、だからこそそういう生活に踏み切れないのに、それをやすやすと越境する壮年(越境当時青年)を描いてみたいと思ったのだとありありと分かります。このへん、日本で稼いで帰った中国人がガンになって、稼いだ金ぜんぶ病院にみついでマイナスになって助からなかったとか聞いた人も同じ感想あると思う。

 作者は最近、8964なる天安門事件の論文で賞とったとか。よかったですねと思います。最初は、本書で説明してる「土着組」一旗組を無責任に持ち上げているアントレプレナー的な、日経BPダイヤモンド社的な本かと思ったのですが、著者はわきまえていて、それの失敗例も見過ぎているので書きたくないし、逆に駐在村とか知らないので知りたかったと書いていて、同感しました。だから、そこと、現地在住日中友好人士のくだりが光っていた。駐在というと、駐在の奥さんと不倫しておこずかいもらってたという、起業予定のボクシングやってる青年に逢ったくらいです。そういう些末な陥穽は本書にはありません。以上

(2019/4/9)