『螢降る惑星ほし』読了

 エイミ・タンの小説『私は生まれる見知らぬ大地で』邦訳の訳者あとがきに、協力者として登場する、その時点で売り出し中の在日中国人の作家さん。知らなかったので、読みました。

蛍降る惑星(ほし)

蛍降る惑星(ほし)

 

叶青(东京国际交流集团董事长)_百度百科

東京国際交流学院(tokyo international exchange college)

ウィキペディアがないので百度を見ましたが、百度では現在何故か米国籍になってるんですね、この人。理事長を務められている東京国際交流学院公式では、葉山青子さんになってました。

 日本語版版権代理:株式会社 イメージライフ 編集協力:株式会社 桂樹社グループ 装丁 谷口広樹 第一話 螢火虫 第二話 ダンスホール 第三話 雪 第四話 十七歳の地図 第五話 桜、風、桜花樹 あとがきあり。

謝辞が、イメージライフ社社長夫妻、角川書店各位、同じく角川の野生時代編集、文章指南をした桂樹社社長ら、日中友好協会関連、カネボウ顧問など、妹、尾崎豊(逝去後)タルコフスキーに捧げられています。大杉。

第一話から第四話までが書き下ろしで、第五話だけが野生時代1995年12月号掲載「螢のように雪のように」を改題。映画「恋する惑星」は1994年で、本書はその二年も後なので、別にそんなに意識して改題したわけでもないでしょうと。デビュー作の短編一作野生時代に載せて、すぐ未発表作品ひっくるめて、それっと単行本になるというのも出来杉な話ですが、連載分の原稿料払わなくていいというメリットもあるだろうと。

カバー折の著者プロフィール。写真はマスクしておきます。

葉 青(ようせい)
本名 叶イエ 青チン。
カブシジ基地生まれ、
中国少数民族
1989年より中国作家協会会員。
1992年上海復旦大学文学部大学院終了後、
日本に留学。
経営学を勉強するかたわら、
執筆活動を行っている。
日本に在住。
著書「别样的叶子」。
他に「中国当代中青年作家 抒情詩選」などに
作品が掲載されている。
また、
テレビドラマの脚本も手がけている。

撮影/長野正隆

 長野正隆さんという方は存じ上げませんが、お弟子さんだったとか、この方に師事したとかいうカメラマンの人が検索で出ました。カブシジ基地ってどこだよと思いました。

次の著書、1998年に読売新聞社から出した『慟哭のリング』のプロフィール。

葉青(よう・せい)
作家。中国、少数民族の出身。幼時からモスクワでバレエを、軍事基地で特殊訓練を受けて育つ。復旦大学文学部大学院で文芸を学び、中国文壇で詩、小説、ドラマ脚本、エッセーなどを発表してきた。香港でのファッション誌ライターやモデルを経て来日。現在、東大大学院で学びながら執筆やボランティアなど多方面で活躍。女子プロレスをこよなく愛する。日本語の作品は『螢降る惑星』『花の影』(ともに角川書店)。中国作家協会会員。

 カブシジ基地って軍事基地なんかなあ、と。どの民族なのか、ここでも明記されていません。香港経由で来日したこと、東大院生になったことが分かります。

2004年の三作目『首狩り龍』毎日新聞社刊のプロフィール。

 葉 青 よう・せい
中国少数民族出身。1991年、上海復旦大学卒業。中国文壇で詩、小説、ドラマ脚本、エッセーなどを発表してきた。来日後、東京大学大学院に入学。現在は作家、新聞・雑誌記者、教育者として幅広い活動を展開している。中国作家協会会員。東京国際交流学院、新宿国際交流学院、泰山東京国際交流学校、海外留学センターの各理事長を務める。
小説(日本語)に『蛍降る惑星(ほし)』(角川書店)、『慟哭のリング』(読売新聞社)、『花の影』(陳凱歌監督の映画作品のノベライズ)がある。
これまでの主な連載に「サンデー毎日」エッセー、「東京新聞」コラム、「SWITCH」エッセーふう小説、女子プロレス専門誌「Lady'sゴング」エッセーなど。
主なボランティア活動。救援CD「光、愛」を企画制作し、売上金を被災地に寄付。「葉青希望小学校」を山東省と黒龍江省に寄贈(現在4校目を進行中、5校目まで計画有り)。国際交流会のメンバーとして、日本の老人ホームを定期訪問。その他、テレビ朝日のコメンテーター、フジテレビ「日本文化探訪」などに出演。現在、自伝小説を執筆中(NTT出版より刊行予定)。『慟哭のリング』のアニメーション制作にも携わっている。

 実業家としての華々しい活動が分かります。民族はここでも書かれてませんが、黒竜江省に学校作ってるということで、西太后のイェホナラ(赫那拉)氏なのか、なーと。NTT出版の自伝は、未刊のようです。

なぜこういうふうにくどくど書いてるかと言うと、格闘技を題材にした二作目三作目はともかく、復旦大学の日本人留学生群像がかなりの部分を占めるこの連作を、作者単独で書いたとはちょっと考えにくいので、それでだらだら公開された範囲の作者像を追ってるです。

野生時代に載った五作目は半分くらい詩なので、北島じゃないですが、まあ分かる気もしますし、あとがきも、唐突にタルコフスキーとか出すので、作者の個性があるんだろうなと思います。五作目にダダダッと各キャラの眠りみたいな各一行描写があって、連作として読むと分かるけど、野生時代に載ったこれだけ読まされる読者はチンプンカンプンだったろうと思います。というか、林虹とか張春桜とか、四話までに出てたっけ?と今でもアタマひねってます。ホントはもっといろんな短編があったのを、薄い単行本にするために、削ったんじゃないかと。で、第五話が、1989年6月4日の朝で終わるのですが、これはこけおどしというか、ハッタリというか、第四話「十七歳の地図」は天安門事件直後の九月の新学期の復旦大学から始まる話で、天安門の影響がほとんど上海に及ばず、留学生もあんまし帰国しないし、新しい留学生もバンバン来るし、校内もそんなピリピリしてない(学習活動とかそういう描写がない)という、貴重な記録?が書かれており、その話の次で、1989年6月4日の朝終わる話を書かれてもって感じ。

以下各話感想。

「第一話 螢火虫」は、珍しく日本人に悪いイメージを持たない、若くて美しく貧しい上海娘が、日夜復旦大学(同済大学ではなかった)の留学生寮の周りをうろついて、"互相学习"やらするが、お望みの企業派遣のエリートは別の女性に目移りして、デブ色キチガイに強引にモノにされ、日本に行けることは行けたが、なんか死んでしまう、という話。横溝正史『真珠郎』は蛍を口に含んで発光しますが、彼女は上海郊外の川岸と日本の田舎で群舞する蛍の光芒の中に消えてゆきます。

作者のクセですが、なぜか作者は淮海路に「ホアハイルー」とルビを振るんですね。ここだけ気になりました。日本だと、ワイハイルーで通ってるので。"里弄"にはリーロンとルビ振ってるので、上海語知らないわけはないはず。でも、虹口は戦前の日本人みたくホンキュウと呼ばず、戦後の普通話読みの「ホンコウ」としてます(頁51など)ので、「ホアハイルー」も、それでかな。

www.wwdjapan.com

学生寮の周りをウロウロして海外雄飛をゲットしようと目論む人の有名談としては、成功後北京に救急車を寄付しまくった、李春平という人が、幹部子弟の地位を利用して外資系ホテルのロビーをうろうろしまくって、アメリカの大女優(不明)をゲットした話が有名ですが、その陰にはチャレンジャーたちの屍が累々であると。

李春平 (中国富豪慈善家)百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E6%9D%8E%E6%98%A5%E5%B9%B3/3593572

http://image.sciencenet.cn/album/201310/20/224859iq0essp38qn2rs0s.jpg
科学网 2013-10-20 23:04
北京国际马拉松比赛随手拍
http://blog.sciencenet.cn/blog-40615-734549.html

http://img1.gtimg.com/news/pics/hv1/67/83/865/56267857.jpg
腾讯新闻 2011年09月19日13:54
北京红十字会999急救中心更新30辆救护车
http://news.qq.com/a/20110919/000992.htm

でまあ、このヒロインが何故日本人に惡感情がないかと言うと、胡耀邦が日本に甘かったから、ではなく、淪陥区時代に父親が一人の日本軍人に親切にしてもらったから、その軍人は、国籍や民族で人を見ず、人柄を重視する人だった、そうで。文革期にそんなこと言っても誰も信じちゃくれません。

ヒロインの誕生日に、企業派遣高給取り留学生は立派な包装紙でくるんだ十元のペン立てをヒロインに贈ります。その後、ヒロインは外資系ホテルで行われた、企業留学生の誕生日パーティーで(その頃沿海部分に留学する資本主義国留学生は誕生パーティーをホテルでやってたと聞いたことあるのを、本書で思い出しました)、二百元もする瑪瑙のネクタイピンとカフスボタンをプレゼントとして企業派遣留学生に贈ります。ここは、その順番含め、とてもよい気づきだと思いました。重荷に感じただろうな、貨幣価値の異なる相手に、プレゼントは気持ちが大切、と不言実行で示したつもりがこういう答礼されると。

この話にカオローランというスウェーデン人が出るのですが、これ、漢字名だろうと。カールグレンがカオレンハンみたいなもので。

「第二話 ダンスホール」は、これはさえない日本人私費留学生と、白人留学生の間を渡り歩きすぎて悪い評判が決定稿の中国人女学生の話。ソ連人からも慰み者扱いされているという。でもかわいくてひかれるところがあるという設定。

頁101

 昼過ぎに起きた小堀は、カーテンのかかっていない窓から外を眺めていた。新しく越してきた一号楼の五階の部屋だ。

 小運動場で、留学生たちがバレーボールの試合をやっていた。高い塀の向こうには日本人留学生たちが「スミ田川」と名付けた真っ黒な川が流れ、一艘のボロ船が遡って行く。

 左手の対岸に五階建ての今にも崩れそうな公団アパートが見える。雑居する各室のベランダにはさまざまな人生がかいま見えた。ある部屋では腰の曲がった老婆が洗濯物を干し、片手のじいさんが太極拳をしている。また、知恵遅れらしい青年が小鳥の世話をし、籐椅子に座ったままの中年女が笑いながらこっちを見ている。希望にあふれた少女が空を見上げ、一匹の猫が塀を駆けていく。

 右手には遠く工場が見え、昼休みなのだろう、手をつないだ二人の女工員が笑顔で散歩している。さらに向こうには人間たちのうごめく街がある。

小堀さんは留学費用親持ちのモラトリアムです。最初の年はそれまで働いて貯めた金をはたいたが、延長分は泣きつく以外方法がなかった。帰国して働いて金貯めてまた来れば、って、思うけど、それって来ないというか来れないというか、身を持って実感しました、私は。

頁103

 燕のいう舞庁は、五角場ウージャオチャンから外灘に向かう路線バスで行ける。四平路スーヒンルーに面した同済トンヂー大学一帯は同済新村と呼ばれる地区で、舞庁は国営石材公司の中にあった。国が若者たちのために倉庫を改造して造ったものだった。毎週土曜日だけ、ダンスパーティを開催しているという。

 入場料が二元五角と少し高めだが、設備も新しく整っていたため、いつも入りきれないくらい人であふれるという話は小堀も聞いたことがあった。ダフ屋まで出るという。

スーンルーをスーンルーと書いてたので写しましたが、二元五角は貴重な記録だと思い返しました。一万円が三百数十元くらいの時代でしょうか。外貨兌換券も勿論登場します。人民元との交換レート(闇)が、私の聞いた話だと、天安門事件後は高騰したはずなので(二倍くらいいったとか行かないとか)、この小説はそこまで高いレートでないので、フーンと思いました。というより、FECでないと支払えない外資系ホテルの喫茶店とかがバンバン出てくるので、流石沿海部分と思いました。いやそんなん考えたこともなかった。

兌換元 - Wikipedia

チェンジマネーも出ます。でもウイグルマジックは出ません。そのへんが旅行者、バックパッカーと留学生の違いなんですよね。

この小堀さんは、プートンホワでシャオジュエになるのですが、「堀」という字はあまり中国で馴染みがないので、同音の「小決」と呼ばれます(頁111)いやーこういうの懐かしいなーと。だから、日本に来てる中国人だけピンインのカタカナで読んで、中国に行く日本人を日本語読みしないシステムはおかしいと言うんですよ。相互でなければ。作者は、「ようせい」なのでそのルールに沿っています。正しい。

頁136、この話で既にオザキが出ますが、官話で「ウェイチーフォン」と呼ばれています。そんなにホザキ有名だったかなあ。浜崎あゆみがビンチーブーメイなのは知ってましたが。

北京の語言は五道口ウーダオコウにあるわけで、復旦大学が五角場にあるのと似てると思いました。そして上海と友好都市の横浜の神奈川大学神大は六角橋ろっかくばしにありますよと。北京で有象無象の私費留学生はまず語言(北京語言学院、現北京語言文化大学)という受け皿に行くわけで、ベイダー、北大、北京大学清華大学なんかちょくで行けないわけですが、拝金主義の上海は、復旦大学みたいな頂点でも私費の語学留學生をバンバン受け入れて、留学生楼みたいな半治外法権租界でちやほやしてたんだなあと。

そういえば、標準語で語尾だけ関西になる大阪人と、この若さでこのコテコテはないやろ~という神戸人の会話があり、たぶん作者は関西弁ネイティヴではないだろうけど、物書きを志す者として、チャレンジしたんだなと思いかけて、いやいや作者は後天的に日本語を学習した中国人女性やおまへんか、と思い直し、で、やっぱ、百歩引いて考えても、リアル「風間」と葉青さんの合作ではないかな~、この連作は、と思いました。

「第三話 雪」は、中曽根民活留学生十万人計画に基づいた、私費就学生哀歌。テレビドラマになった「東京の上海人」より、もうちょっとひどい。売春と覚せい剤が出るから。二話と三話で、一段上から世界を眺める「風間」というキャラが出て、それと、最初の一話で企業留学生を横からかっさらう出身成分のいい美人中国人が、会話するのが五話です。この話で風間が就学生を気にかける理由の部分を忘れました。この頃はまだ大陸からの中国人は新参者で数も少なく、台湾系と香港系のパシリをさせられる描写が相次ぎます。時代を切り取った。残留孤児の二世三世との交流もまだですし、悪名高い福州もまだ登場していない。

「第四話 十七歳の地図」は、ファンキー末吉原作漫画「北京的夏」の上海版というか。黒豹のドントブレイクマイハートのかわりに、尾崎豊のあいらーびゅーを歌うという。主人公は農村から来た、戸口がないというか、故郷でも黒孩子で、何故か留学生御用達の蘭州拉麺店の小僧さんです。上海だと、イスラム教徒じゃないんだな~、小僧さん。麺の量をサンリャン、スーリャンで注文してますが、これ、私、分からないです。蘭州も上海に来ればそうなるのか。肉マシマシをジャーロウ(加肉)と言って注文するのですが、それは逆に本書にはない。

この小説の日本人留学生を巡る環境で、現在と一番異なるのは、韓国人留学生の在不在です。天安門事件から一年やそこらの時点では、中韓国交正常化してないので、中国に韓国人留学生はいないです。北朝鮮だけ。北朝鮮の留学生は本書でも登場しますが、帰国後刺されるの確実みたいな、アウトロー。資本主義に精神汚染されつつも、祖国でもうまくやらなければ、と固く誓っている人です。韓国人が登場して、多数派になって、日本人なんかメじゃないくらい団体行動して、メシ炊きのオモニを街中の朝鮮族社会を歩き回ってスカウトして雇ってメシ代浮かせてかつ韓国と同じ食生活を享受して、みたいになる前の留学生社会が、本書で描かれています。

まだ書くことはあるように思いますが、とりいそぎ上げます。以上

【後報】

・蘭州牛肉麺蘭州拉麺は違うらしいのですが、あまり考えても仕方ないかと。

・上海植物園に桜の木があることはほとんど知られていない、という記述が数ヶ所あります。一本くらいしかないという。現在の状況を検索すると、ソメイヨシノがばんばか植わっているそうです。「上海植物園 桜花」で検索すると邦人のブログが、"上海植物园 樱花"で検索するとあちらの消息が出ます。

goo.gl

上海植物园即将进入“樱花七日”最佳观赏期 - 上海市绿化和市容管理局

http://lhsr.sh.gov.cn/sites/ShanghaiGreen/dyn/ViewCon.ashx?ctgId=66020e42-f1c9-46ed-b454-6a1a086169fb&infId=2f44e77c-9298-44f1-8b0a-a3566e8ad50f

「第四話 十七歳の地図」は、拉麺屋の住み込み小僧で故郷でも黒孩子の主人公が、豫園で"吃钙"(乞食)に五元をめぐむと、それがその辺の乞食組織の元締めで、お返しに五十元を懐にねじこまれてヤサにつれてかれてコジキ組織の一員にされそうになって、走って逃げる場面があります。また、主人公の病気がちの弟(これも黒孩子)がなくなった時、そもそも出生届けのない黒孩子のなきがらを火葬してくれる闇の業者が出て、値段交渉なんかの場面もあるのですが、これも貴重な描写と思いました。本来土葬なので、遺体を故郷に陸送して葬れればいちばんいいのですが、くにの親もそんなカネがない。黄浦江だかどこだか、作者は戦後の人で上海人ではないので、ザホという地名は知らないみたいですが、そっちのきれなところに勝手に散骨する。

1980年代の上海の(おもに日本人)留学生を巡る状況を残した、よい記録だと思いました。これが忘れ去られてゆくのも、せんないことで、さびしいことです。mixiの上海留学生コミュや、いくつかのブログで本書は取り上げられてるみたいですが、ここにも、残しておきます。以上

(2019/8/25)

【後報】

上海にもいたことのある北京化した無錫人に聞いたのですが、麺条では、三両四両とは頼まないとか。餃子や包子ならそう頼むけれど、とのこと。う~ん。

(2019/8/29)

【後報】

 下記は1984年、糧票がないと外食も出来ない時代の中国ルポですが、南京でめん類の屋台をハシゴする場面で、確かに二両単位で注文しています。配給がその単位だったからとか。してみると螢降る星の牛肉麺もありかと思い返しました。

鉄の胃袋中国漫遊 (平凡社ライブラリー)
 

 (2019/9/25)