『慟哭のリング rolling!jump!flash!』読了

 ブックデザイナー 石井一夫デザイン室 フォトグラファー TFK スペシャルアドバイザー 藤崎明雄 

「フォトグラファー」とわざわざ書いてありますが、著者近影以外写真はないので、それを明記したんだと思います。作者は前書も、著者近影のカメラマンを明記してました。

慟哭のリング

慟哭のリング

 

 エィミ・タンの小説の中国語単語の解析というか、北京官話読みのルビ振りに協力した作家さんの日本語小説二作目。

残留孤児二世が女子プロに入門する話。

と書くと、先行する井田真木子のルボ『プロレス少女伝説』『小蓮の恋人』と関わったりしてるのかな、と思ってみたり、スポーツライターの田中館哲彦という人が、同名の小説を1984年に恒文社から出しているので(ただしその人のWikipediaの著作一覧には出ていない)、本書奥付には「慟哭のリング」としか書いてないのですが、カバーや中表紙に書いてある英語単語を老婆心ながら附記してみました、とか、そういう、内容の感想以前に書くことが少しある本です。

あとがきがあって、前作もそうですが、あとがきの文章が、いちばんこの葉青という人の素の文章ではないかと思われます。編集者のみならず、出版社の本部長まで謝辞の対象にしているのは、中国的な礼儀と思います。三省堂の人の名前も見えるのですが、何故かはよく分かりません。それと東大の担当教官、おそらく華人関係の企業か団体の方、留学生関連の団体の方、そして肉親が謝辞の対象です。

あとがきで、前作は中国での出版も願っていたが、中国は日本ほど自由でないので、諸々の問題を指摘されて、出来なかったとあります。この小説も中国での出版を望んでいるが、それよりも、女子プロという題材なので、日本の読者に読んでほしいとあります。前作は八十年代復旦大学留学生交流秘話がメインで、上海の話で北京は特に関係ないのですが(一部、あるキャラの婚約者のエリート商社マンが、既に中文ぺらぺらなのに、ニューヨークから北京に留学に来ようとする不思議な展開があるくらい)天安門事件に触れずんば良識派にあらず、みたいな当時の空気を反映もしてるので、そりゃ大陸では出せないだろうと思いました。台湾や香港では出せると思いますが、復旦大学の日本人留学生の話に誰が関心あるかという点で、弱かったのかもしれません。台湾人や香港人の留学生扱いの学生も上海にはいて、外貨兌換券生活だったはずですが、登場しないし。

四百頁近い大作なのに、あとがきで、プロレスは八百長か格闘技なのかについて触れていて、武道館の北斗晶神取忍戦のセコンドについた門下生たちを例証にして私見をものしています。こんな感じで手探りで日本文化のひとつである日本の女子プロを描いているかというと、やはりそんなことはなく、本文は練れています。

井田真木子 - Wikipedia

田中舘哲彦 - Wikipedia

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図書館本の常で背焼け。作者プロフィールは下記に置きました。

『螢降る惑星ほし』読了 - Stantsiya_Iriya

以下後報

【後報】

本文の日本語は練れていて、会話の九州方言もばっちり、来日して数年くらいの残留孤児の日本語のたどたどしい部分まできれいに写しとっていて、结结巴巴的日语とでもいうのでしょうか、それと地道的日語の違いが理解出来るのだなと。冒頭は女子プロ担当のスポーツ記者が取材するところから始まり、そのスポーツ記者は大陸浪人バックパッカー?)を経て現職に潜り込んだと説明されています。

中盤、高野秀行の山手線内のガイジンアパートもびっくりな、多国籍アパートが青葉台にあって、そこに主人公たちが住むのですが、ここにひとりだけ、作家志望の若い日本人男性がいることになっていて、誰が書いたか勘ぐりたい人には、いちおう痕跡が残してある体裁になっています。青葉台は、若葉台なんかに比べて、かなり早期に開発された横浜郊外なので、山崎洋子の小説でも、老朽化住宅でアンドロギュヌスの麗人が養父を介護したりしてます。今はそうした区画も金利の関係で、建て替えが終盤な気がします。

この、前作で留学生だったり風間だったりした影の人物は、後半消えます。詰め込み過ぎて、そこまで語るスペースがなくなった。なにしろ、主人公の日本血統の説明からして、多くの引き上げ混乱時の置き去りや譲渡と異なり、徴用日本人、自らの意志で八路に協力した看護婦や薬品関係のビジネスマンとかのストーリーなので、構築も大変、読んで理解する方も大変です。実際の女子プロレスに、こんな数奇な運命の残留日本人がいたのかどうか。

で、彼女はハルピン郊外育ちで、長春八極拳を老師から学ぶ逸材なのですが、泥の河みたく、船上生活者の朝鮮族少年のテコンドー使いと交流と深めたりします。この伏線は、ラスト回収されないので(主人公は別の男性と結ばれる)ネタバレですが、書いておきます。少年の父親(跆拳道の達人で故人)は、白水輝バイスエイフイと漢語読みされるのですが、ここでの「水」の発音が"shui"でなく"sui"である点に、ニヤリとしない人はいないと思います。で、長春八極拳の老師は趙老師なのですが、頁71に陳老師という人も登場してしかも他界して、陳老師が誰なのかさっぱり分かりませんでした。

で、紅華(主人公の名前、ホンホワって、わたしとしては発音しづらいです)は横浜に来て、帰国子女や外国人子弟を集めた実験的公立小学校に行くのですが、残留孤児が少ない時期でもあり、華人子弟の二つの中国を巡る争いなのか、広東と米国華裔の戦いなのか、に巻き込まれます。これ、今はなき、外語短大のあたりの話かなあと思いました。岡村の河岸段丘の上の方。下の方は、岡村天神とゆずの看板と、私が好きな銭湯。

hamarepo.com

その後紅華は残留孤児の母親が体を壊して透析生活なこともあって、施設に入り、レスラー志望の黒人とのハーフの少女と知り合います。この辺からのちに同期生となる少女たちの紹介が始まり、アイドル崩れ、在日コリアン(のちにこれも在日コリアンの先輩と、總聯對民團で不仲となる。'80年代)ルチャ・リブレのほうで成功した在メキシコ日本人とメキシカンのダブルの少女、イタリアと日本のハーフ、女子プロレスラーにナリタイデースと単身乗り込んできたアメリカ人、片腕の華人ベトナム難民少女、反則試合で柔道界を出てきてしまった少女、空手ほか有段者の少女、と、多彩な顔ぶれを出します。これがいれかわりたちかわり、それぞれライフストーリーとその進捗があるもんだから、もうこれ書き切るだけでせい一杯で、抒情とか、なかなかつけられないです。そういう文章があっても、読者が消化不良で感動しない。情報量大杉。

またそこに先輩レスラーそれぞれのストーリーもあるわけでしょう。すぐ練習さぼるお菓子好きの意志軟弱な落ちこぼれの先輩への、実家の応援がすごいとか、実際取材するとあれもこれもと面白い話が山盛りなんでしょうが、いやー多い。

そのわりに、入団者が脱走したりやめたりする理由のナンバーワン、いじめに関して、具体的な事例や描写が一個も書いてないです。ヒールより、ベビーフェイスの中堅どころや二年三年目の選手が危ないというかおとろしいとは書いてあるのですが、あまりに当たり前なのか、中国でもよくあることだからか、具体的な描写は一個もありません。

で、後半は、無事是名馬の反対の、頸椎損傷やら首から下が動かないやら半月板損傷やら、とにかく技をかけられて受けてのスポーツならではの、ケガや後遺症をかいくぐってぼろぼろになりながらスターダムを目指していくという、文字の羅列をただ読まされてゆく展開になります。作者がゾーンにでも入ったのか、あまり雑念を書き込むスペースがない感じでした。連載してない書き下ろし小説だと思うので、山田風太郎のように、各章プロットをきちんと作ったのでしょうけれど、頭にあることを升目に移してゆくだけで精一杯だったのだろうと思います。

頁145、団体のエースの入場歌が「ソルベーの歌」となってますが、ソルベーではないかと。頁344、私、あなたを信じてる、を中国語で言ってるのですが、"我信你ウオシアンシニイ"ではなく、同音だけれども声調が違う"我信你"の誤植だろうと。我想信你って、なんだ。手紙でも出したいのか。私が借りた本は、誰かが日本語の誤植ぜんぶシャーペンでチェックしてあったのですが、上記二点は、外来語と漢語だからか、漏れてたので、ここに記しておきます。

作者はこれの次の作品の作者近況で、これのアニメ化についても触れてますが、検索しても出てこないので、立ち消えなのかもしれません。以上

(2019/8/31)