作品集には、ホントウはこの話の前に、80年代日系女性がホームレス白人女性と、ふとショッピングモールか何かでことばを交わす話、『地階に住むご婦人』"UNDERGROUND LADY"が入っているのですが、こっちの感想を先に書きます。
Primary Source : Amerasia Journal 13.2 (1986-87) : 21-28.
八十年代に書かれてますが、それ以前の、かつての日系ライフの回想のひとつと考えてよい小説。南カリフォルニアの日系農場の14歳少女と弟が、赤ちゃんが生まれててんてこまいの母親から頼まれた父親の車に乗って、大都会ロサンゼルスのリトル・トーキョーに行く話。
(1) 所謂少女萌要素。
A: 主人公チサトはほんとうは西のサンタモニカ方面へドライブして海に行きたかったのに、関取が日本から巡業に来てるというので、父親が翻意してリトル・トーキョーに行くことになり、かなりぷりぷりしてます。父親が機嫌取りにエスキモー・パイを買って与えるのですが、異議申し立てのつもりか、あまり口をつけないので、溶けだしたチョコレートが、スカートに染みを作ってしまいます。
B: チサトは海に行くつもりだったので、服の下に水着を着こんでいて、初夏の五月のカリフォーニアですので、汗ばみだします。
P116
The car was hot and Chisato began to perspire --no way to remove her bathing suit -- so she got out and leaned against the side of the door.
頁273
車のなかは暑くて、チサトは汗をかきはじめた。水着を脱ぐこともできず、車からでてドアに寄りかかった。
C: 父親と弟は相撲を見に行ってしまい、ニシ・ホンガンジ "Nishi-Hongwanji" の南のセントラル・アヴェニューに路駐した車で、チサトはひとり残ってぶらぶらしてるのですが、そこへ、二人の白人男性 "a pair of white men" から声をかけられます。スーツを着てますがあまり清潔そうでなく、ひとりは松葉杖をついて、片足がありません。彼女はふたりが傷痍軍人なのだろうかと考えます。
P118
"Here, honey, " said the taller man. He handed her some coins and, not knowing what else to do, she took them.
頁276
「ほら、可愛い子ちゃん」と背の高い方の男の人がいって、何枚かのコインをチサトに手渡した。チサトはどうしたらいいかわからなくて、コインを受け取った。
チサトは自分がかわいいから二人に声をかけられた("because she was cute")と思っていたので、小銭を恵まれるという予想外の展開に動揺します。
P119
But as soon as she finished singing, she felt kind of sick at the stomach again, as though she had done something horribly wrong. She shouldn't have taken the money from the two men, she thought -- she was the one who should have given them money, if she'd had any.
頁278
でも、歌い終わると、おなかのあたりがなんだか気持ち悪くなった。なんだかとても悪いことをしたみたい。二人の男の人からお金を受け取るべきじゃなかったわ――とチサトは思った。もしお金を少しでももっていたら、私の方が、あの人たちにお金をあげるべきだったんだわ。
(2) チサトのお腹が痛いのは思春期の少女云々とは無関係に、オリエンタル少女が、(おそらく戦場で)負傷した白人からお金をバクシーシされる事例というのは、なんなんだろうと思います。チサトは自身の日系人性をつゆほども疑ってませんが、80年代に発表されたこの小説を読む読者はもはや、第二次世界大戦に限定して、米国が介入したアジアの戦争を考えるわけにはいかなくなっています。朝鮮戦争なのかもしれませんし、ベトナム戦争かもしれない。チサトがふたりの傷痍軍人から、どの民族として見られていたのかは、語られませんし、読後少し経ってから、そういえばと考える人がいるかもしれないレベル。私はここはすごく印象に残りました。ギブミーチョコレートとか、キャンプのやっちゃばに鶏や七面鳥の丸焼きがほとんど手つかずで捨てられてようものなら、もう目の色変えてかっさらってた時代ももちろんあったわけですが(先祖に聞いた話)それでもこの戦争は、開戦の詔勅をしてふつうに正々堂々と始めた戦争ですから、国力はぬきにして、フィフティフィフティの対等の立場の戦争で、あわれんだりあわれまれたりするいわれはないと思うからです。アルゼンチンがフォークランド紛争の件でイギリスから憐れまれたがると思う人がいるだろうか。それだから、ふたりのおそらく裕福でない白人男性が、どの戦争を念頭において、チサトにお金をあげたのか、またそこに贖罪の意味はあったのかどうか(ということはアポロジャイズに値する悪さをしたのかどうか)、すごく心に残りました。
(3) "China-meshi" 父母は海でなく相撲見物を勧めるにあたり、リトルトーキョーなら「チャイナ・メシ」が楽しめるとそそのかします。チサトはその手に乗りませんが、弟のシュウゾウは簡単に篭絡されます。
頁269
「チャイナ・メシはおいしそうだなあ。あのチャーシューとアーモンド・ダックが大好きなんだ!」
P115
"China-meshi sounds good. I love that chashu and almond duck!"
「支那飯」でなく「チャイナめし」となってるのは、1946年7月の日本文部省通達に米国日系人社会が準じたわけでもないと思います。澎湃としてわきおこった自然発生的なスラングだと思うのですが、しかし面白いです。山崎まさよしは「中華料理はイケるかい」と、この数十年後に歌いましたが、小津安二郎の映画「秋刀魚の味」で東野英二郎が演じる、かつての恩師が転職して「チャン料」の親爺やってる場面とはまた別に、そのころ、海の向こうでは「チャイナめし」に日系人少年がしたなめずりしていたという。子どもが、好きなものをアイライクでなくアイラブと表現してるのを見ると、なんだかうれしくなります。
アーモンド・ダックは、飴色の北京ダックのことかと思いましたが、検索すると、別の広東料理が出ます。〈窝烧鸡鸭〉
(4) その他単語について。チサトは学校で友人たちから "Cheese" と呼ばれており、教師まで "Cute little dimpled Cheese" 「可愛い小さなえくぼのチーズ」と呼ぶわ(オザケンでもないのに)意地の悪い子は "Is that like Swiss Cheese?" と言って周りと笑ったりします。邦訳ではこういう時彼女はアッカンベーをしているのですが、原文を読んで、そういう反撃をしてる表現なのか分かりませんでした。弟の修造、否シュウゾウは食い意地がはってるので、兄弟げんかは下記のごとし。
P120
"Fatso, Fatso, Shooz is a Fatso!" chanted Chisato.
"Cheese, Cheese, big fat Cheese!" he retorted.
松岡きっこ、否、シュウゾウはシューズになって、で、私は、"fatso" をファットソーと読まずファッツォと読んで、イタリア語かと思ったのですが、そうでなく、英語でした(侮蔑的表現らしいです)
左の「休めるたり」は誤記と思います。
それで、日本語ですと、マッパの青年がホテルの部屋から助けを求めて逃げて全力疾走する、日系社会今年のバカ受け珍ニュースのくだりで、"absolutely naked"を"mappadaka"「マッパダカ」の英訳にして、"Tasukete"「タスケテ!」をヘルプミーでなく、"Save me!" と訳してるのが目を引きました。
あと、帰路、父親は乱暴運転の対向車を避けようとして街灯にぶつかるのですが、その件について、自分が海をチョイスしなかったのが悪かったんだ、海を選ぶべきだったんだ、と、父親は日本人的に? 運命を表明し、その際、「イイバチ」"Ii-bachi" と言っていて、これはおそらく「いい罰(があたったん)だ」と言っているのだろうと思いましたが、ヒサエさんの日本語のふるさと西日本は、「バッチこーい」的な「バチ」の使い方もあるそうで、そうなると私の知らない、「好かんたこ」「いやいやぼくはいいだこ」Ⓒ町蔵的言い回しで、「ばち好かん」「いやいやぼくはいいバチ」というような日本語もあるのかしらと思いました。
だいたい日本語はイタリックなのですが、人名地名以外で、"Sumo"だけイタリック体になってなくて、それだけ英語圏でも知られたことばなのかしらと思いました。そのわりに、原文では邦訳よりぜんぜん使用頻度が低くて、多くはただ定冠詞をつけただけの"The wrestlers" と書かれてます。邦訳はそれを「相撲取り」と訳す。
チサトが歌ったのは"the Cream of Wheat song" で、ニューヨークの子ども向けラジオ番組のコマーシャルで流れる歌なのかなと思いました。
そのラジオ番組では、もうひとり、Albert Alleyという名前が出ますが、検索で出ませんでした。
この小説は最後にもう一度、邦人少女が白人の傷痍軍人から投げ銭をもらう意味を問いかけて、終わります。おそらく誰かの実話であろうだけに、その意味を私も知りたいです。
ヒサエ・ヤマモト作品集 : 「十七文字」ほか十八編 (南雲堂フェニックス): 2008|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
以上