装幀 宮下佳子 ウチダさんの写真は、ひくまの出版のリンコ三部作やトパーズへの旅の著者写真に比べると、当たり前ですが若い写真。年代別にパートが分かれているのですが、なぜか目次なし。
写真花嫁 (学芸書林): 1990|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
訳者の中山庸子さんは、1947年生まれで同志社卒で、1970年から十年間スウェーデンに滞在してストックホルム大学を卒業した、「フェミニズム・宗教・平和の会」会員だそうです。同姓同名のイラストレーターの人とはべつじん。
ヒサエ・ヤマモトさんの短編集もまだ読み終わっていないのですが、まだ図書館にヨシコ・ウチダさんの本があったので、借りました。この本は、高校生以上対象ということで、これまで読んだ児童書より上の年齢層を読者として想定しているようですが、ヤングアダルト向けとでも言ったらいいのか、随所に、若いでんな、さかってまんなという熱い記述があります。あとがき時点では、カリフォルニア大学のアジア系亜米利加人女性研究コースのテキストとして使われていたとか。
訳者あとがきに學藝書林編集部磯部朋子さんへの謝辞あり。
有名でインパクトのある固有名詞がタイトルなので、同名の作品がけっこうあるようです。90年代にアメリカで工藤夕貴主演でつくられた映画は、ヨシコ・ウチダ小説とは関係ないようです。
下記は作者名がウェード式のマンダリン表記なので、たぶん中国系の人の「写真花嫁」⇒カルカッタの客家の〈照片儿新娘〉ドキュメントでした。前にNHKで福建省の円楼の番組を見てたら、マダガスカルと客家同士で通婚してたのを思い出します。
下は、写真花嫁の聞き取り調査などの学術書。
下は、韓国の人が書いた写真花嫁です。チョン・セラン『シソンから、』にも朝鮮戦争時の写真花嫁が出てくるので、いるという知識はありました。
同じ本が、扇子の表紙だったり、チマチョゴリの表紙だったりしてます。
この、イ・グミという人の小説は、原題は「알로하, 나의 엄마들」(アロハ、ウチのオンマたち?)だそうで、英訳でなんしかそんなことになってしまったようです。
이금이 작가 인터뷰_알로하, 나의 엄마들 - 온라인 도서ㆍ체육 -집콕문화생활-문화포털
この韓国の作家さんは、韓国が嫌いな人が読まずに燃料として消費しそうな邦訳もありました。
ここまで調べてやっと出るヨシコ・ウチダさんの写真花嫁。ペーパーバック版と図書館用ハードカバーがあるようで、電子版はまだないようです。
主人公は中京だったか、京都府だったか。ほかにも京都府のひとが出る気がします。ほかの本のように九州は出ません。今気がつきましたが、沖縄の人が出てくる話は、ヒサエ・ヤマモトさんでも、ヨシコ・ウチダさんでも、まだ読んでない気がします。
上記は表紙の一部に書かれた、冒頭箇所の原文。歴史本でなく、小説なので、じめじめした暗い話でもないです。しかし、後半、えっ、それはさすがにストーリーとして盛りすぎじゃね、と、アメリカに忖度して思ってしまったりします。
ジュブナイルというか、ヤングアダルトとしての要素が楽しい小説で、写真花嫁と言えば花婿の写真と現物の落差に幻滅するものと相場が決まってますが、そこにすかさず花婿の友人の遊び人、ジゴロが現れて、ウブい花嫁のハートをかっさらってゆく、のが前半の見どころ。
花婿:年長。トレエンの斎藤さん的にハゲ。金歯あり。よろず屋をいとなむ自営業者。
ジゴロ:マイカー持ち。貯金無し。職業転々。初めて教会に訪れたはたちそこそこの主人公をロックオン、ひたすら熱視線をそそぐ。原文がどうなってるか知りたくもある、全せりふ関西弁のひと。
てのひらぎゅっとにぎられたりします。ドキドキがとまらない。亭主は独善的だわ冴えないわなので、浮気駆け落ちは秒読みかと思われ、でも夫の子を妊娠しちゃったし、この話はどうするんだと読者が勝手に困惑する展開になりますが、ネタバレで、世界的なパンデミックでケリがつきます。スペイン風邪。新井英樹『愛しのアイリーン』は、フィリピーナの嫁と安田顕の相克の物語に、終盤、ヴィザ持ちの既婚フィリピーナを甘言で連れ去ってフィリピンパブに売り飛ばす女衒が現れてさあ大変、というマンガでしたが、この小説はそうはなりませんでした。
その後は、カムカムエブリデイの脚本家も読んで参考にしたわけでもないでしょうが、ジョースター家の血統ならぬ、母娘二代の相互問わず語りストーリーに移行します。娘さんはひとり遊びが得意だったのが、大学に進学する頃には、ニセイの男子たちにモテモテになり、しかし、選ぶのはヨセフ・カンテリという白人の研究者、大学講師です。白人ですが移民の子ということで、ジョセフでなくヨセフなので、ドイツ人かしらと思いましたが、カンテリ"Cantelli"はイタリア系の姓だそうで、そうなるとヨセフでなくジュゼッペでよかっぺ、ということになるので、スイス人かなあくらいに思っときました。
この、ヨセフとメアリーのぐんずほぐれつ、というか、母親のハナ(写真花嫁)が、なんであと一年大学卒業を待てないのっ!ムキー!そんなに早く種付けしてインカ帝国、と怒髪天を衝くくらいのくだりも、面白いです。母親の若き日の、愛のない(その時は)夫との初夜、プラトニックを越えなくてヨカッタデスネのジゴロとの恋と、見事に対照をなしている。
頁169、娘のメアリー(母親はマーちゃんと呼ぶ)が、ピクニックの際、ママがつくったチキンを「上品に音をたてないで静かに食べている」という一文。さりげなく、どこからアメリカナイズされていくかが分かる描写。
頁241、以前は亭主が仲をあやしんで焼いた神学生のちに神父さんが、強制収容でてんやわんやのパニック状態の一家を訪ね、落ち着くためにお茶を飲む場面で、「お茶をズズッとすすった」と書いてあるのも、原文を想像してニヤリ。私はおとついもペルー料理屋でスープを音を立てないで飲みましたよ。"sluuuuuurrrrrrrp"
頁171「ビルマひげそり」の連作野立て看板が出てくるので検索したら、合衆国的に有名な歴史だったようです。
スミソニアン博物館公式に記述があった。
頁189、出生時に死んだメアリーより前のこどものお墓にお墓参りする場面。日本人は生まれた時に死んだ子もお墓に刻みますが、中国人はしない気がします。するかもしれませんが、しない気がする。いや、日本もどうだろう。
悪名高い日系人の強制収用について、英語ではエバキュエーションと言う、と書かれていて、"evacuation"だと、今の日本の災害避難場所なんかはふつうに"Evacuation Area"と書かれているわけで、まあ今はそれを強制収容デスヨ、ケシカランデス、という人もいまいと思いました。
広域避難場所 EVACUATION AREA 米軍上瀬谷通信隊一帯 NAVY KAMISEYA COMMUNICATIONS UNIT - Stantsiya_Iriya
あまり考えてませんでしたが、「ディザスター」「テンポラリー」「セーフティー」などの単語をくっつけてるエバキュエーションエリアは、日系人の強制収用などにも使われた単語であることを知った上で、いろいろ工夫してるのかもしれません。
災害時避難場所 Disaster Evacuation Shelter 市場小学校 Ichiba Elementary School - Stantsiya_Iriya
広域避難場所 Safety evacuation area 風車公園 綾瀬市 - Stantsiya_Iriya
頁275
この国が日系米人に対してやっていることは恥ずべきことだという判断があり、さらにはかつて二人に疑惑を抱いたことに対しても恥ずかしく思っていたので、エレン・デイビスは日系米人にできるだけの援助をしようという目的で組織されたある市民グループに加わっていた。
個人として助ける人たちがいただけでなく、組織もあったんですね。
頁298に「ノーノーボーイズ」に言及するくだりがあります。
第1回 「ノーノー・ボーイ」とは何か - ディスカバー・ニッケイ
天皇への忠誠を捨てられるか(Q27)、二世部隊として戦地に向かうか(Q28)、の質問二項に、ともに「ノー」と答えた青年たちのことだそうで、青年たちのみならず、キリスト教徒含めた、すべての日系人は前者の質問に震え上がったそうです。踏み絵だ。
この小説も、反日感情の高まりとともに、銃社会アメリカで撃ち殺される日系人、強制収容所で脱走しようとしたと誤認されて射殺される日系人が出ます。どちらも、かなり核心的なキャラなので、いやーこれ白人が読んでどう思うんだろうと思いました。「かなしいけど、これ、戦争なのよね」とか言ってFAならいいんですが、正義の合衆国のメ~ンがこのような不祥事を起こすわけがない、フェイクであると言い出す人もいるかなあ。確かに、収容所で射殺されるのは主人公のハズなので、ドラマの劇的な展開目当てに盛ったなとは思います。
ヨシコ・ウチダさんの本はあと一冊読んでみます。さいごのは天下の岩波書店刊行。さて。以上