『人びとの季節』"People's season" by Ryuichiro Utsumi 読了

谷口ジロー作品集に、この人が原作の話が入っていたのでその原作本を読み、その時検索して、本書に収められている『相棒』という話も、教科書に載っていると知り、それで読みました。

人びとの季節 (PHP研究所): 1990|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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装幀―川上成夫 装画―古川タク 1995年にPHP文庫化 あとがきあり 月刊「PHP」1989年1月号から1990年12月号まで連載された作品をまとめたもの。

内海隆一郎 - Wikipedia

あとがき

「いっぺんに幸せになるなんてことは、あり得ねえだろ。そんなら、ちょっとずつ何度も幸せになっているほかねえじゃねえか」

 と、和菓子屋のおじいさんも言います。

だからなのかどうか、「これでホントに幸せなの? 微妙…」てなエピソードも多く収められています。商店街で見聞きした実話ベースだからそうなるのか。もしくは、最初の「人びと」本からここまで矢継ぎ早に『人びとの岸辺』『人びとの旅路』『人びとの情景』と送り出し、これが通算五冊目(PHPからは二冊目)になるので、そうなるとやっぱりハイペースなので薄くなるのか、と思いました。

最初に読んだ「人びと」は、時折箸休めというか、口直しというか、うれしい終わり方でない話も入っていましたが、こちらはそういうのはなく、しかし、とりとめのなさ感は増しています。

教科書に載っている話は、オチが、いささか、ご都合主義じゃいかと思いました。そして、今のガソリンスタンド業界が直面している問題を、誰かがどう書いているのかも少し、気になります。

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2011年には、地下の燃料貯蔵タンクからの流出事故を防ぐため、消防法が改正されています。流出対策を施すと500万円から800万円の出費になり、地下貯蔵タンクの入換工事まで実施すれば3000万円から4000万円を要します。

前半が「夫婦の会話」と題されたパートで、郊外一戸建て住宅やマンション住まい、あるいは個人商店を営む中年夫婦のものがたりが断片的に語られていきます。私が前回読んだ最初の「人びと」本は作者の実生活ベースでしたので、配偶者も、子ども(思春期の娘さん)で固定なのですが、ここではもうばらばら、多種多様なので、特に娘さんの固定的な反応がなくなって、話ごとに子どもがどう出るか分からなかったです。また、1990年の本ですが、すでにして、誰が介護をするかという問題で、親が子どもの家をたらいまわしになる話が、一篇ならず登場します。

頁30、「確り(しっかり)」という漢字と送り仮名が登場し、へえと思いましたが、IMEでも一発変換出来ました。なんで「どん兵衛(べえ)」が出来なくて確りが出来るんだろう。

頁73、息子の離婚時に母方に引き取られ、再婚後音信の途絶えた孫を想う老夫婦が、孫からの手紙?で彼が出場すると思われる自転車のモトクロス会場に行きます。そんな競技が突然出て驚きました。孫なら、知らない競技でも会場を調べて会いに行くんだなあ。

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後半は「人びとの季節」と題されたパートで、どっちかというと、働く人びとの、その業種業種に特化した話が多い印象ですが、さいごのほうは、それもごっちゃです。

最初の話『兄の暮らし』は、給料取りの息子夫婦との同居生活を嫌って、簡易旅館住みで瓦職人の仕事に精を出す老人を、これも給料取りだったが定年退社の弟が訪ねる話。木賃宿が新宿の、新宿高校のそばのあそこという設定なので、懐かしく読みました。銭湯に行く場面がありますが、当時は近くにあったのかなあ。今だと、いちばん近くても、千駄ヶ谷まで行く形になるように思います。簡易旅館自体が、インバウンド向けになったんだかどうなったんだか。

現役であってももう69なので、弟(65)とひさかたぶりに会っても、一杯やらず、風呂入って早寝するからあいそなしでわりいな、と別れる場面が、妙によかったです。社会に、仕事に、そして自分に誠実であれ。

次の八百屋の話と、その次の畳屋の話もよかったです。ことに畳屋は、私自身もうあまりその仕事をよく理解していないので、かつての畳屋の仕事の仕方が事細かに記されていて、よかった。

頁139

 畳表は新しいのを張って二年、裏返して二年という具合に、普通は四年に一度張り替える。時期は盆暮れか節句か七五三のころで、畳屋の書き入れどきとなる。

今そんなことしたら破産します。破産はおおげさですが、そうとうな出費が続くことは確か。

それで、畳屋さんは、畳を上げる前に、家具の移動もひとりでやって(コツがある)庭に作業台を置いて、そこで畳の張替え作業をします。古い畳表を剥ぎ取り、新しい畳表を、張る。「張る」と書いてますが、初期のドカベンにもあるように、畳針で「縫う」のだろうと思って見たり。

そういうふうに、お仕事です!シリーズが続くのかと思いきや、恍惚老人が幼少期の友達に再会する話や、工場のじゅうような戦力である某アラサー女子が選んだお相手は、みたいな話や、父親の再婚相手ぜんぶを母と慕う女性の話(父親は特に慕われない)など、前半と似たような感じになって、終わります。はーとうぉーみんぐ第一作に比べると、やっぱり幸せも小粒というか、歯にものが挟まったような感じだが、強いていえばやっぱりハッピーなのかなあ、という話が多く、そんなに盛った幸せ話ばっかり作っても、読者はお見通しだろうからこれでいいんだい、という作者の主張が見えるようです。でも読者は意外にそんな、お見通しじゃないので、もっと不自然に盛ったり、強引に溢れるばかりの過剰な多幸感を押し付けても、すんなり受けてしまう気もします。でもそういう現実を見るのがイヤなのかもしれません。以上