『1984年に生まれて』《生于一九八四》郝景芳 "Born in 1984" chapter 14. by Hao Jingfang 第十四章 読了

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 ある晩、母と二人でニュース番組を見ながら食事をし、(略)母が豆のさやを剥くのを手伝った。母は枝豆を剥いて翌日の昼に肉と一緒に炒めたおかずを作ろうとしていた。(略)母も私もしばらく黙って手を動かしていた。のんびりと時間の感覚がなくなった雰囲気の中、私たち二人はこの静かな一時を大切に愛しんでいた。

 ニュースが終わるとテレビでは特定の人物を語るドキュメント番組が始まった。『感動中国』※2*1に似た編集で、そこでは親孝行者が紹介される。選ばれる人物それぞれが貧困や病気、失業といった悲惨な状況にあって、それらを耐え忍び、従順に受け入れ、無私無欲の精神を見せるのである。そこで語られるエピソードには確かに美しく感動的な部分もあったが、いかんせんうまくつくられた語り物の域を出なかった。大舞台ときらきら輝くライト、司会者のお世辞と観衆の機械的な拍手にどうしても昔の『烈女伝』や『孝子伝』を想起してしまうのだった。

「こういう良い話をもっとたくさん放送すべきだねえ」母は眼尻に涙を光らせながら感動したように言った。「お母さんの考え方は古すぎるって思ってるんでしょ、でもね、社会はいつも暗い面ばかりじゃないからねえ。インターネットには暗い話が多すぎるし、陰湿で暗い面だけ載せるから、悪いことばかりを教えることになるのよ。明るいことを宣伝したっていいじゃない。明るいことを宣伝してはじめて社会のプラス面が促進されるはずでしょ」

「お母さん、メディアは宣伝じゃなくて真実を報道するもの」私は言った。「明るい面と暗い面、両方が確かにあるでしょ」

「それだって明るい面を主に取り上げるのが正しいんじゃない?」母が言った。「暗いことばっかり報道していたら、社会がますます暗くなっていくじゃない」

 私は下を向いて豆のさやを剥き続けた。母は電子掲示板やある種の言論を禁ずることに賛成する方なのだ。社会が明るいことに満ちていて、向上心と正義でいっぱいのひまわりのエネルギーで満ちていてほしい。たとえそれが新聞やテレビの中だけであったとしても、とこんな風に真面目に願っているのだ。真実は明るさには及ばない、のである。けれどもこの時私はこんな話で言い争いたくなかった。決着のつかない議論になるから。どちらも自分の態度を変えることはありえない。この議論は私たち二人の違いを示すものだったが、それももう決定的な要素ではなくなっていた。私は話題を変え、母の健康について、血糖値や足の浮腫、食事や薬について話し始めた。豆がだんだんと少なくなり、金属の盆のつるつるした底が見え始めた。少し残念だった。(略)

別にふたりがモリカケ問題や増税メガネイシューを話し合ってるわけではないので、その点日中似てるよねと感じるのはちがうと思います。そのいっぽう、フェイクニュースに関しても、西側と竹のカーテンの向こうでは、だいぶ様相がちがうので、それも同列には論じられない。

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 冬の到来とともに、河水が凍り始めた。(略)

 私は水辺に静かに座って氷が水に溶け、青草の細くとがった先が泥土の(略)

 私は初めて心の底から安らぎを感じた。

別に主人公は死ぬわけじゃありません。以上

*1:※2 中国中央テレビCCTV)で毎年「元宵節」(陰暦一月十五日)前後に放送され、各界の著名人を紹介するドキュメント番組。二〇〇三年に始まる