『落日 ―とかく家族は』(コレクション 中国同時代小説 8)収録三作品のうち、『落日』=原題 読了

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あたしは家族のために尽くしてきた。それなのに― 

祖母が殺虫剤を飲んで病院に運ばれた。「いっそ、死んでくれたほうがいい……」と考えた二人の息子と大勢の孫たちは、漠とした殺意とそれぞれの打算を胸に、祖母を火葬場へと運ぶ。意識をとり戻した祖母が目にしたものは――。冷たく醒めた筆致が描きだす、倫理観の欠落した人間たちの群れ。他に、作者の家族史「父のなかの祖父」など中編2編を収録。

同時代を生きる日本の読者の向けられる、10人の隣人たちの声。

「鐘山」一九九〇年第六期発表。テキストは2004年群衆出版社版。仏訳と伊訳が出てるとのこと。もう一度書きますが、勉誠出版のこの本は2012年に出ているわけで、原書と邦訳に四半世紀マイナス三年の時差があるのに、「同時代」を唄ってしまうのはどうかと思います。

《落日》と聞いて吉田拓郎を思い浮かべる中国人はあまりいないと思います。サントリーウーロン茶の、"我的头发,长到肩旁"♬の原曲を唄った人と言っても、あまり認識がないのでは。ビリビリが見つかったので置いときますが、いつまであるんだか草

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私としては、2004年反日アジアカップ決勝が中国対日本に決まった際、中国各地の足球迷と北京っ子のあいだでかわされたアオリ文句、"去工体,看<日落>!"が忘れられません。毎試合ブーイングを浴びた日本代表がそれに屈せず、毎試合劇的な展開の上勝利し、重慶から済南を経て、北京工人体育場まで駆け上がり、ラスボスサポーターから「工人スタジアムに行って、日没、日本の敗戦を見届けよう!」と動員令がかけられるとは、なんたる光栄かと胸熱もいいとこでした。あの辺はかつてインチキブランド市場があったりして、土地勘のある在京邦人も多いはず。結果は皆さんご存知のように、爽やか893の神の手ゴールなどで日本が勝利したわけですが、今考えると、あの頃は、今よりはまだフェアだったのかもしれません、何かが。

AFCアジアカップ2004 - Wikipedia

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落日 : とかく家族は (勉誠出版): 2012|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

冒頭のエリオットの詩は、岩波文庫の『四つの四重奏』の邦訳に依ったとか。

なんで殺虫剤飲んだかというと、住宅事情が主要因で、そのへんの家族の相克と、仮死状態なのに、頼み込まれてうっかり死亡証明書いてしまった女医側のストーリーが平行して進みます。

頁158に出て来る食べ物、面窝,油条,炒面,烧梅包子,米粑粑,豆皮,糊米酒の検索結果。

麺窩 - Wikipedia

これはザギンの店にあったような。ヨウティアオ(ゆじょう)とヤキソバはバーミヤンにもあるものなので割愛。

烧梅 - 维基百科,自由的百科全书

武漢ではシューイでなくイなんだなと。〈烧梅包子〉四文字だと検索結果ははかばかしくなく、新疆の昌吉回族自治州昌吉市の北京南路と烏伊西路、亜中巷に挟まれた一角、金穂大廈という建物の北側に烧梅包子店があると、大衆点評というサイトで出たくらいです。

Google マップ

下はミーバーバーの画像検索結果。いちおう、武漢でしばりました。

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豆皮は文春に、レッカン麺とともに記事がありました。キムイルソンも食べたんだとか。

bunshun.jp

下記は英語版。

Doupi - Wikipedia

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20200217/20200217203847.jpg

これはザギンの武漢料理レストランの豆皮(左)と麺窩。右はマヨネーズをつけて食べてねということで、小鉢にマヨマヨが入ってます。

糊米酒は、何故か湖北省人民政府公式サイトにレシピと写真がありました。またこうしてリンクしてはてなが攻撃される(という事実があるか知りません)

https://www.hubei.gov.cn/jmct/hbfood/wh_9016/201207/t20120726_1594384.shtml

頁321

彼の口笛はとてもきれいで音程も正確だった。彼が吹いたのは日本映画「人間の証明森村誠一の同名小説の映画化〉の中の「麦わら帽子の歌」〈「人間の証明」の中でジョー山中が歌った〉だ。ただ気侭に吹いているだけで何の考えもなかったが、そのメロディーは鞭のように丁如龍のこころを打ちすえた。

(略)

「言い出したのは俺だ。でもあんたは長男だ。決定権はあんただろ? もしもだよ、中国が雲南ユインナンと広西クワンシーベトナム人に明け渡すと言い出す人がいてだ、中国政府が同意したとする。言い出した人と同意した人のどちらが間違ってると思う?」

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頁337

 丁如虎はこころの底から喜びを感じた。ふーっと息を吐くと、部屋から大きな鉄製のバケツを二つ持ち出し、共同洗い場に行って水を入れた。彼は帰宅が早いとよくそうするのだ。彼は先ず台所内の水瓶をいっぱいにし、それから戸口の空き地にくまなく水を打った。太陽はすでに随分傾き、向かい側の家の影が少しずつ丁如虎の家の戸口にかかってくる。そうであっても、地面は相変わらずとても熱いのだ。丁如虎がバケツの水をまくと、周囲にぱっと埃が広がり、熱気が上る。耳を傾けて聞いていると、熱い鍋に水を加えたときのようなジージーという音がする。丁如虎は少なくとも五杯分のバケルの水を撒いて、ようやく熱気をさますことができた。夏に入ってから、丁如虎は一家して屋外で眠ることにしていた。漢口の夏は皮が剥がれるような熱さである。丁如虎の家のような安普請では、風は入らず熱気が部屋に満ちるから、もしそんな部屋で漢口の七月の夜を一晩でも過ごすと、例外なく蒸し風呂に入ったように茹であがってしまう。そこで、丁如虎は毎年夏になると星の光の下で眠るのだ。

 丁如虎はことのほか気分がよかった。水を撒いてから、竹のベッドや木のベッドを一つ一つ、たった今水を撒いた場所に並べた。それはやり手慣れたことだった。もし並べるのが遅くなると、誰かに場所を占領されてしまう。丁如虎一家は老若あわせて七人だから、狭い場所ではだめなのだ。

トルファンウイグルも暑いので夜は外にベッド出して寝ますが、葡萄棚の中庭ですし、ほとんど雨も降らないので、長江三大かまどの一つの武漢とは比べられないです。

頁291

 街はまだ賑やかだったが、裏通りはすでに静まり返っていた。今はもう皆が寝ているのだ。外に出されたベッドは様々な形で、一つ一つ連なって遠く路地の最後まで続いている。月光と街灯が融和し、その光の下で安眠する人びとは、まるでひとりひとりが眠る屍のように丁如虎の目にうつった。(略)ほとんどくっついて寝返りをうち、竹のベッドと板のベッドのギシギシという音が、漢口の夏の夜に彩りを添え、ある種の独特な雰囲気を醸しだしていた。

以下後報