武漢日記のファンファン大佐の、我が国で出ている唯一の単行本。読んだのは三月初旬。
よりによってベルマーレカラーの表紙。
https://bensei.jp/index.php?main_page=product_info&products_id=100089
版元はアマゾンやってませんので、何故かやってる直販で買うが吉。アマゾンで出てくる勉誠出版の本は、中古品の出品みたいです。とはいえ、紀伊国屋や八重洲ブックセンター、誠品書店といったレベルだと本書も棚にありますので、そういうところで買うも𠮷。三省堂は棚にはなかったかな。私は本屋クラブに頼んで一週間出荷の動きが見られなかったのでキャンセルしましたが、たまたまなのか、なんなのか、よく分かりません。
落日 : とかく家族は (勉誠出版): 2012|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
https://www.bookoffonline.co.jp/old/0016874090
帯裏。「国」の「ヽ」を「☆」にするなど、ちいさな遊びが見られて楽しいです。装丁 水橋真奈美(ヒロ工房)
物語を読むとき、その話の書かれた時代背景、状況を知った上で併せて読み解くか、あくまでその話を独立した、時代を超越した単体として読むかで、読み方に二通りあるとすれば、私は前者をとりますので、この本に収録された小説三編、いずれも'90年代初頭に発表ですので、「同時代」とは言えないんじゃん、と思いました。初版の2012年から廿年も前なので。
以下収録作品。
『待ち伏せ』原題《埋伏》「江南」誌一九九五年第一期発表。1997年映画化。黄建新&楊亜洲監督。主演:馮鞏 おそらく邦訳テキストは〈新時期争鳴文学叢書〉から。
『父のなかの祖父』原題《祖父在父親心中》「上海文学」一九九〇年第四期発表。邦訳テキストは2005年長江文芸出版社『方方作品精選』で、そのほか、一部、初出など参照とのこと。
『落日』原題同じ。「後」は簡体字があるので、「落」にも簡体字があるような気になりますが、ありまへんだ。「鐘山」一九九〇年第六期発表。テキストは2004年群衆出版社版。仏訳と伊訳が出てるとのこと。
解説によると、それ以外に、《武昌城》2011年/中國華語文學メディア大賞受賞(大作だとか)、1986年発表の《白夢》(改革開放後もかつて右派と呼ばれたレッテルに怯える人々を描く)以降の「白三部作」、1987年『風景』(漢口の京広鉄道沿いに実在する河南バラックというスラムの、僅か十三平米の小屋に十人兄弟が育つ物語)、1992年《一唱三嘆》(『落日』のテーマ継承)、2000年《一九五七-一九六六 烏泥湖年譜》(『父のなかの祖父』などファミリーヒストリーの集大成)などがあるとか。本書収録作品に何をどういう意図で選んだかは理解可能ですが、やはり「同時代」ではないんじゃんという気瓦斯。90年代の鄧小平江沢民中国と、21世紀に入ってから、特に北京五輪以降、胡錦濤習近平GDP世界二位ボーシーライ追放少子高齢化産児制限撤廃中国とでは、違うと思います。
作者は'80年代後半から'90年代前半までの作品が、新写実主義小説のカテゴリーで評価され、同ジャンルに、池莉《煩悩人生》1987年、劉垣《狗日的糧食》1986年、劉震雲《一地鷄毛》1991年などがあり、今は亡き早稲田文学の「季刊中国現代小説」に邦訳が載ったとか。この季刊誌は使命を終えて休刊したのかと思ってましたが、やっぱり、「そこを見れば邦訳がある」集約地としての意味は大きかったのかな、と思います。逆に、ここにないものが漏れてしまう、視野に入らず、中国文学のクリティークがなされてしまう危惧がある気がします。しかしなにしろ、中国の出版点数が飛躍的に増大したので、とても追い切れないというか、パンク状態というか。衛慧が禁書という話題性だけで邦訳されたり、韓寒のデビュー作《三重県》否《三重門》の邦訳がサンマーク出版から『上海ビート』の邦題で出たりして、それがミレニアム前後で、その後。
デビュー作は《“大篷車〟上》1981年。訳者解説は、いちずに「一八八一年」の誤植を堅持しています。文革終焉期に成人した作者の肉体労働時代(下放はされなかったようです)体験を大学入学後、短編に仕立てたとか。
モーパッサンの影響を受けた甘めの小説で、後年作者自身が「単純で幼稚」と批評してるとか。解説によると、1986年の《白夢》から、もう一歩踏み込んだ、庶民の生活が描けるようになったそうです。
訳者の渡辺新一さんという方は、1946年生まれで、都立大の院を出て中央大学商学部の名誉教授だとか。都立大の中国畑、佐竹靖彦先生とかしか知らないので、システムでなく人に頼って消滅したかと思ってましたが、現在でもバリバリですね、流石。
中央大商学部で中文で教授、のポストについては、この人はそこまでいけたけれども、独立行政法人になってからの後進はいないかも。京都府立医大でドイツ語教えてフリーメーソンの本書いた人もいるくらいなので、昔はいろいろいけたのでしょうけれど、今は。
左は本書の本文の最初のページ。〈民主〉min2zhu3が「ミンチュー」〈隊〉dui4が「トイ」、〈建国〉jian4guo2が「チエンクオ」だったので、いきなりガックリきました。『武漢日記』では新しいルビルールが採用されていたので、これもそれだったらいいなと思っていましたが、《luori》時点では、有気音無気音は清音濁音にあらずルール。新しいルビなら、「ミンジュー」「ドゥイ」「ジェングオ」のように濁音で無気音の一部を表記しているはずなので、残念閔子騫。武漢日記を共訳した飯塚容という人は、このシリーズで韓東の小説を訳していて、そっちは新しいルビルールだといいなと思いました。
左は、邱永漢の〈邱〉に「テュイ」というルビを振っていて、ピンインではqiu1チゥですので、これどっから来たんだろうと思いました。「ㄅㄆㄇㄈ」ボポモフォからカナ振ると、そうなるんかな。
下は『待ち伏せ』映画のワンカット。この少し後には、北京五輪花火監督も「キープ・クール」を撮ってたりして、そういう時代のふいんきを備えた映画な気がしますが、見たことありません。
相声演员、小品演员演电影,常常会成灾难现场,而冯巩却是个反例|埋伏影评|埋伏评分
私はもう、中国人の人名は、韓国人のような、族譜に準じて、代ごとに同じ字を使うような真似はしてないと思っていたのですが、大佐の小説の登場人物はバンバンそういうルールをかましていて、おどろきます。この小説でも、最近腕のよい職人ではあったがさして功績があるわけでもないある男が突然管理職に取り立てられ、奴の部屋にあった金庸の小説に「田景森ティエンチンセン」という名前が書いてあり、訊いてみると朋友だという。書記の妻の名は田景林ティエンチンリンで、妻の兄が田景木ティエンチンムー。田景森はおそらく書記の妻の兄弟で、ある男はそのラーグワンシー〈拉关系〉で出世したに違いない、という名推理が登場します。頁033。
VHSビデオが中国の家庭にろくろく普及しないうちに、VCDが急速に広まった時代のはずで、室内でカーテンを閉めてAV鑑賞して密告されて失脚以下略
ほかのふたつの小説は、また日を改めてあげます。まだ感想なんも書いてません。とりいそぎ、以上。
【後報】
頁024
一般的にいえば、幹部の息子の嫁は幹部本人より指導者ぶっているもので、警備課にきた女もそうだった。何かあるときは出勤せず、何もないときはいつも人前に出ていた。だが、彼女を相手にする者はいなかった。
この嫁はもともと県城の人間で、幹部が市に栄転したのに伴って、息子ともどもやってきたが、仕事に見合う能力がなく、どこにも働き場所がなかったので、工場がおしつけられ、工場は警備課に押し付けたそうです。主人公の葉民主は、ほかにもヤリマンの女の陰口を本人の耳に入るよう喋ってしまい、それでうだつがチョット…になり、以降口は災いのもとで慎んでるとか。この時代、何かしたら見返りのお礼として、「一卓五百元の料理に茅台一瓶」というセリフが出ます。頁023。葉民主はアニメ好きという設定で、聖闘士星矢の単語が出るのですが、訳者が原典に当たらなかったので、「天馬流星拳」(正しくはペガサス流星拳)「星雲チェーン」(正しくは星雲にルビを振って、ネビュラチェーン)という珍妙な訳をしています。頁035
(2021/5/2)