『幾たびもペドロ』"TANTAS VECES PEDRO"(La pasión según San Pedro Balbuena que fue tantas veces Pedro, y que nunca pudo negar a nadie)(幾たびもペドロとなり、誰をも決して拒めなかった聖ペドロ・バルブエナによる受難)por Alfredp Bryce Echenique ブライス=エチェニケ(ラテンアメリカの文学 18)集英社 読了

ペルー文学におけるポスト・ジョサ世代の代表格ということでしたので、読んでみたのですが、飛んでもハップン歩いて十五分、その手は桑名の焼き蛤でした。

幾たびもペドロ (集英社): 1983|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

●シリーズ編集委員 篠田一士鼓直|桑名一博 ●装幀 菊地信義

訳者野谷サンによる解説でも、ペルーの傷痕文学ともいえる、インディヘニスモ小説の頂点としてアルゲダスが現れ、戦う作家としてジョサが登場したとあり、アウトラインにまちがいはないのですが、巨匠のあとには小物が乱立し、本格のあとにはパロディ旋風が吹き荒れる、と言った定説もまた、人類史に普遍的にみられる現象だった、を確認するだけにも思えます。

es.wikipedia.org

ブライスヘッドふたたびサンは、カルロス・ゴスンサンがブラジルなのかレバノンなのかフランスなのか的、一種コスモポリタンな上流世界の一員であるのと同様に、ペルーの寡頭支配階級(ロシア語のオリガルヒはよく聞きますが、スペイン語でもオルガルキと呼ぶそうで、さすがファシストフランコに対抗して敗れ去った人民戦線つながり)に属する銀行家に生まれ、母方はペルーなんだけどスコットランドの貴族の出身で、大統領も輩出した家系だったとか。仏政府の助成金で渡仏し、のちゲーテ・インスティテュートやグッゲンハイムのスカラシップも受けて伊独を転々とし、そのうち作家として名をなします。

本作の主人公ペドロはアメリカやフランス、イタリアの女性陣を惑わすおかしなペルーの作家サンで、書けず苦しみ酒浸りで、しかし母性本能をくすぐるのか、どこでも女性を口説き落とすことにかけてはラテン野郎の風上で、作者と違って、奨学金などは受けておらず、富裕層の母親からの仕送りに頼り切って欧州デカダンライフを満喫しています。バロン薩摩のようだ。

頁205

(略)そしてクロディーヌが彼に、なぜ微笑んでいるのかと訊くと、自分は世にもまれな門外不出なパパラッツィなのだと説明した。ぼくの心は君の写真を千枚近くも撮ったよ、一瞬一瞬を写真として永久に残してあることに君は気がついちゃいないけれどね。クロディーヌは彼の胸を優しく撫で、

「こんな風にどきどきいうカメラは初めてだわ」と彼女は言った。

「それは、バカチョンじゃないことの証明にすぎない。(後略)」

エチェニーケ(と、ペルー料理店の人は伸ばしてはっちょんした)サンはフランス留学中巴里祭五月革命パリ・コミューンに出っくわしたそうで、本書にもその影響はどぎつく表れます。アメリカ人の恋人は19世紀から抜け出してきたようなペルーの作家センセイとの堕落した生活と決別し、メキシコのクエルナバカで民衆の生活に寄り添って生き、そこで何かを生み出そうとするのですが、作家バカ先生は彼女を追いかけてメキシコ入りし、メヒコをMEXICOと書かずMEJICOを書くようなレベル(頁56)で彼女を不幸のどん底に突き落とします。そうじゃない、ペドロ、そうじゃないのよ。

イタリア人の彼女に至っては、毛沢東を熱烈に崇拝するマオイストで、しかしなにが毛沢東毛沢東たらしめているかの詳細を特に知ってるわけではなく、スタイルとして熱烈に模倣してるだけです。それでいいのかいやよくない。白猫も黒猫も鼠を捕まえる猫が良い猫だ、という鄧小平の有名なセリフを聞くこともめっきり少なくなった昨今、みなさん如何おすごしですか。風邪などひかぬよう、あったかくしておすごしください。

Tantas veces Pedro - Wikipedia, la enciclopedia libre

www.youtube.com

おもしろいのですが、本書の電子版は見つからず、朗読動画がかんたんに出ます。そういうのも文化ですね。黙読よりリスニング。ブライスヘッドふたたびサンの邦訳はほかにもうふたつ、『パラカスでジミーと』と『リナーレス夫妻に会うまで』という短編が同じ野谷サンの手で訳されているようで、これらの原書も(古書以外では)朗読動画しか見つかりませんでした。

www.youtube.com

www.youtube.com

野谷サンは、ジョサの短編集の邦訳(共訳ですが)ではそうでもなかったのに、本書ではくだらない、すぐにすたれてしまう流行語の言い回しをちょこちょこ使っていて、そこは良くないと思いました。巻頭言「ぐーたら」頁15「君はナウい女」しかし、頁61などの「ノータリン」はよかったです。

頁144

「君がそんなに可愛いなんて今まで気がつかなかったよ、セリーヌ

「お黙り、ノータリン」

頁33、マット・グロッソにはイパネマのアホ娘なんかいない、という箇所はよかったです。ブラジルが出て来るのはここくらいかな。日本が出るのは、頁63〈ヒロシマ、モナムール〉ジュテームでなくモナムール。頁18、ペルーの米料理に匹敵するのを作れたのは、中国人とベトナム人だけという記述があり、そこに日本人が(韓国人もタイ人もですが)入って来ないのはどうしてか、エチェニーケサンに問いただしたいです。

ペルーの首都リマの中心地。小説の主人公ペドロは、このリマの街角で一枚の美少女の写真を拾う

口絵のリマの写真。撮影者未記載。ペルーの写真はこれだけ。舞台が国外なので、ほかの写真はパリコミューンとかカリフォーニアのユーシーエルエーのバークレー校とか、そんなん。原書が1977年で、邦訳が1983年なので、この写真はその頃のリマです。JALのオフィスが映っているので、JALのリマ事務所を検索して、その住所をストビューで出したのが下記。2022年。移転してなければ(現存はしてません)同じ場所のはず。

maps.app.goo.gl

[http://:title]

現在はちょっとショボい高速の高架があって、JALのオフィスがあった場所には、"YŌGASHI"というパティシエ店が見えます。ウィンドーには「菓子」という漢字。この漢字を"guozi"と北京語で読んでも"这不是汉语,日语吧"です。リマのカフェでカルドガジーナやソパクリオージョをすするのはYOASOBIで、ジャルの事務所跡地で営んでるのはYŌGASHI。

本書はあまりにくだらないので消化不良で、これだけでエチェニーケサン、ブライスヘッドふたたびサンを語れそうもないので、『パラカスでジミーと』『リナーレス夫妻と出会うまで』も読んでみます。以上