『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』"The Book of Escape. Connecting The Road to West, or to East."「序章」「第二章 先人たちの亡命行 パウ・カザルスとヴァルター・ベンヤミンの足跡」Prologue and Chapter 2. "The exile of predecessors. Footprints of Pau Casals and Walter Benjamin." by MAEKAWA SANEYUKI 前川仁之 読了

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序章について言うと、サマリ、アジェンダ今北産業を書かねばという想いが強すぎたのか、逃亡逃亡逃亡、金科玉条のように書きすぎという印象を持ちました。私の感想では、前川サンは逃亡者でなく、逃亡を助ける人なので。

また、さいたまへの原発避難についてここに唐突に記述が挿入されています。「たまたま国内の避難にとどまったので受け入れ先との摩擦は少なかったものの」(頁3)これは異論もあろうかと思います。横浜でもいじめがあったと聞きましたし、加須ほかではもっと、いろいろ。2ちゃんのサッカー板ですら「焼け太り」なんてことばが飛び交ってましたしね。ただ、それを世界規模の難民問題の中で比較してしまうと、少ない方に入るのかもしれません。間奏曲と第四章にも3.11は出ます。

最近、ほかの方のブログで、ペルー人が、ペルーには自殺ということばがないと言ったけれど、調べるとスペイン語にも自殺ということばはある、だが自殺者ランキングでペルーは下位なので、そこから見ると日本の自殺者数は突出しているということなのではないか、という日記があり、私はそこのコメントに、ホセ・マリア・アルゲダスというインディヘナ作家の自殺例をあげ、彼の自殺理由がラティフンディウム制(大土地所有制)の支配者、コンキスタドーレス・スペイン人と、農奴のようにあえぐインディオメスティソムラートたちとの相克にあったことを書きました。返答は、ペルー社会にも内在する問題がないではないという話ではなく、日本のほうが自殺者数が多いという結論は変わらないというものでした。お互いの論点のポイントがちがうので、そこはしかたない。

それでいうと、ヴァルター・ベンヤミンサンも自殺なのですが、最近は暗殺説があるそうで、しかし本書の登場人物は、逆に遺書が出たせいで暗殺説を取り下げたりしています。

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ナチスの追っ手から逃亡中ピレネーの山中で服毒自殺を遂げたとされてきたが、近年暗殺説もあらわれ、いまだ真相は不明

そういう話で私が思い出すのはふたつ。(1)日本の憲兵隊に終戦時殺されたスマトラの郁達夫。(2)愛新覚羅溥傑の長女慧生さんと大久保武道さんが伊豆山中で拳銃自殺したとされる「天城山心中」事件。彼女が死の直前、本国から赴任した中華学校舎監のふしだらさなどを告発しようとしていたと彼女の日記で読んでから、私はずっともやもやしています。

序章でも、非戦論者として、主戦論再武装軍拡に対し、「負けた時のことを考えないのだろうか」と言ってますが(頁4)「負けてよかった」(©「秋刀魚の味」の笠智衆のせりふ)対米戦の記憶が強すぎるんだと思います。負けたことで、日本はアメリカナイズされた、民主主義と物質文化のよい国になった。ソ連に占領されないでよかったという。それに、ほんとに蹂躙されるんなら、それこそ逃げるしかないですしね。今日本で、ウクライナと西側が負けた時のことを考えて行動している鈴木宗男サンなんか、前川サン的にはどうなんでしょう。

二章は、若くないのを自覚した時代の自転車旅行記ですが、ライターとしてネタづくりでやったわけでもないようで、そこは高野秀行サンとちがうと思いました。

高野秀行サンを出したのは、ただただの自転車旅行記でもむろんいいんですが、そこで資料文献を豊富に読み込んで厳選された内容を開陳したり、語学力を駆使してツボ的な会話を引き出してくれると、あーやっぱプロの旅行記はいいわあ、と幸せな気分にさせてくれるからです。本書でも、郷土史家とやり合う場面などは、やっぱおもしろかった。たとえその時は発表するアテがなくても、シロウトが現地をひっかきまわして「何様やねん」と言われるよりは、プロが名刺残して帰った方がいい。

fuite huida

表紙(部分)エフがフラ語、エッチがスペイン語。ウイダと読むんでしょうか。意味はどっちも「逃亡」

ビッグコミックコリジナル『前科者』読書会に出て来た本です。以上