『その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち』 (シリーズ ケアをひらく)読了

その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)

その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)

市立図書館はこんな本まであるんですね。
先日医療関係の方が講演か何かで勧められてた本。
厚いが、活字が読みやすいサイズで多色刷りなせいもあって、
さくさく読めます。というか、引きこまれる。
まったく余談ですが、
医学関係の本は書店のマージンが一般書の半分くらいなので、
(一般書が八掛けなら医学書は九掛け)
かつて琵琶湖のほうの図書館がその年の購入図書一括入札をやった時、
人文関係の書店でその見積りを作成した私は、
普段取引のない、専門外かつ利の薄い医学書が多くて、
お付き合いのアリバイ入札参加でなんでこんな目に、
と泣いた思い出があります。
落札したら大赤字のハラキリ価格で入札しましたが、
大手の取次とはゼロ六個単位で差がつくような、
箸にも棒にもかからぬ結果で終わりました。
裂かれた仕入れ時間が痛かった。
またまた余談ですが、アマゾンの、
「この商品を見た後に買っているのは?」
に出てくるこの本にも引かれる。
驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

以下後報。
【後報】
といっても、こういった専門書に書けることはそんなになく、
その辺の人や家族が「中間施設ってなんですか?」という中間施設について、
私も勿論中間施設と病院とデイケアはまかぜの違いが分かっていないわけで、
そういった人に直感的に理解頂くための本のひとつ、という形で読みました。

頁051「こんな人に相談しちゃダメ」が、まずよかった。

頁061「回復とは回復しつづけること」分かるけどもや、と思い、
またそこで、終りの無い人生やプログラムにいらっと来るのかもしれませんが、
頁064[大問題から小問題へ進む」頁067「そこからなぜか不満が出てくる」で、
あー誰でもイラっと来るんだな、と落ち着きました。

あの人はミーティングで同じ話しかしない、などと言っちゃいけないわけですが、
なぜかと言うのが、頁112「同じ話を心の中で落ちるまで話せ」で分かります。
頁114「痛みが「静かな悲しみ」に変わるまで」それは、いつか。

頁165「「普通の生活」を手助けしてほしい」ふと、自助グループのフェローを思いました。
学祭の屋台や喫茶店などが苦手でしたが、それとはディメンションが違うところで理由があり、
存在していると分かりました、フェロー。

生理の話は、男性としては、知識としては知ってもよいかもしれませんが、
自分の話としては分からない。

頁204「人間関係のテロリスト」これはとてもよく分かる。身につまされる。泣ける。

頁211「ぎりぎりの落ち着きどころ」これが難しい。
援助者の巻き込まれについて語っている箇所を読んでも思います。

東直己の短編小説に、一般紙でない新聞を購読している家庭で、
父親は、診察の前日になると借りたバイクを一日乗り廻し、
その後医者の診察を受けて、生活費を得ており、
そこに育った女性と、行政の男性との出会いと破局を描いたものがあります。
その小説は、わざとそう書いているのかもしれませんが、
援助の無力さを感じさせる展開を積み重ねています。
タイトル書きません。そういうのも、あります。
(2014/3/23)