『アナキズム・イン・ザ・UK −壊れた英国とパンク保育士奮闘記』 (ele-king books)読了

蔵書検索で、地元の図書館にはないことを確認してリクエストしたのですが、
地元の図書館所蔵本が来ました。今までいろんな本をリクエストしましたが、
選定委員会かなんかが初めて動いてしまったのか?と思いました。
内容的には、とても熱い本なので、それもうなづけるとも思いました。
後は後報で。すいません。
【後報】
むかし、フランクフルトからアムステルダムまで鉄道に乗った時、
前の席にイギリス人とおぼしき十代の若造がふたり乗り込んで来て、
小型スピーカーでウォークマンを再生しだしたのはまだいいとして、
(日本でも地方の電車で、部活帰りの高校生がそんなことやってたりします)
その音量が度を越していたのも想定内でしたが、偽ダンヒルのライターを取り出すや、
パチンパチンと開け閉めし、炎を最大にするあたりまでもまだ受け入れられたのですが、
その炎で座席の背にはられたビニルシートをめらめら燃やし始め、
ゲラゲラと呵呵大笑し始めるのを見るに及んで、なんだこいつらは人間なのか、
と思うにも、ここで、黄色人種で、かつ言葉の不自由な私が彼らに注意すると、
どういうことになるんでしょうか、と慄きはじめた刹那、
後部のドイツ人らしき背広姿の眼鏡男性が、ハードカバーをパタンと閉じ、
アングロクソガキの席まで歩いて大声で、「エクスキューズミー!!」
「アイドンウォントゥーリッスン!!!!!」と怒鳴り、
それで彼らもやっと音量を小さくしましたが、
勿論炎がなめて溶けたシートカバーは無残な姿をさらしたままで、
それまで崩壊した旧ソ連でしばらく黄色人種として不快な目に遭っていた私は、
これから「西側」を見聞するにあたり、
どこまで想像を絶するファンクな出来事が待っているのか、
暗澹たる思いに駆られたものです。(結局英国諸島には上陸せず)
作者はそんな国で愛蘭系の旦那の姓を名乗って暮す迄になったわけですから、
その順応力というか適応能力、苦労、超越、等々に舌を巻き、敬服します。
(2015/4/19)
【後報】
どこからどう書いていいか分からないのですが…
頁序、九十年代後半のブレア労働党政権が、ワーキングクラスの下に位置する、
アンダークラスと呼ばれる、親子代々の生活保護受給家庭や、
働くことを拒否したアナーキスト達の層を膨張させ、その状態を、
キャメロン保守党は「ブロークン・ブリテン」と呼んだ、というくだりから始めます。


 働かずに生活保護を貰うことが生きる選択肢として堂々と存在する世界では、そうではない世界のモラルや価値観とは異なったものが生まれるのは当然だろうし、他国の人間がどんどん侵入してきて街を占領して行く社会では、宗教観も善悪の基準も美意識も多様化し、「たったひとつの本当のこと」というより所はどこにも存在しなくなる。
(中略)
 そこにある自由は、ロマンティックな革命によって勝ち取った自由ではなく、済し崩し的にフレームワークが壊れた後の残骸にも似た自由。

アナーキー・フォー・ザ・UK
それはいつか、たぶんやって来る」

 一九七七年にジョニー・ロットンはそう歌った。

頁316 あとがき
(前略)その間、もっとも劇的な変化を遂げたのは、実はわたしの祖国ではないかと思っている。
 というのも、五年くらい前までは「UKは凄いな」、「信じられない」、「作ってるだろ」というようなコメントや罵詈雑言をネット上で目にしたにも関わらず、最近では「よその国の話だとは思えない」という感想をいただくからである。

(中略)
 と、わたしが日々煩悶し憂国しているかというと、別にそんなことはない。毎日食って飲んで寝て、働いているだけだ。淡々といつものように生きる人間の背後にある風景や時代は変わる。が、庶民は生きるだけだ。


1997年ブレア労働党が選挙戦で使ったテーマソングだそうです。頁18

ブレアをモデルにしたポランスキーの映画。頁20

頁21「出戻り女房とクール・ブリタニア
 一般にトニー・ブレアが犯した罪と言われている事象は、イラク戦争を筆頭にして大小いろいろあるが、音楽ファンに今でも語られているのは、彼はブリットポップを殺した男だったということだろう。
(中略)
あの首相がしょっちゅうギターを抱えて写真に撮られていたので、ロックじたいがダサい中年政治家のPRツールみたいなイメージになってしまい、若者はもはやロックというものに何らの信憑性もロマンも感じなくなってしまった。

日本は、小泉純一郎プレスリーのアレでツイストしたくらいで済んでよかったです。
その後も特にないし。ジャニーズが総理大臣を輩出する迄待てば、そうなるかな。

この本の各種エッセーは兎に角刺激的なのですが、
拡散やコピー&ペースト、検索を警戒せねばならないウェブ一次配信素材に比べ、
検索されにくい紙媒体一次掲載文がより過激、本書書下ろしはもっと過激、
な内容となっており、
例えば書き下ろしエッセーである頁42「ダブルデッカーバギーズ」では、

母親はピンクのトラックスーツを着用し、上着を脱ぐと下は豹柄のブラジャー一枚。みたいな、こちらも絵に書いたような貧民街の若きシングルマザーだった。

 アンダークラスの乱れ産み。ということが言われママようになって久しいが、彼女のようなシングルマザーは貧民街にはけっこういる。
「彼女たちは国から住居を与えられ、生活保護をもらいながら、毎年のように子供を産み続けるプロフェッショナル・マザーズだ。ただしこの場合、彼女たちは妊娠して産むプロということで、育てるプロではない。彼女たちは英国社会の代理母なのである」

作者はこの母とchavの白人父の間に出来た4歳にしてレイシストフーリガンの幼児と、
無職者及び低額所得者を支援する施設、託児所で働いていた際に知り合い、
その後この幼児は、母親が次に黒人と同棲して弟を生んだあたりから手がつけられなくなり、
どこかに預けられたか何かして遠くに行ってしまうのですが、偶然母親に再会すると、
ブラック&ホワイトの幼児のさらに弟だか妹の、インド・パキスタン系の赤子がいて、

 英国社会の代理母たちは、国民の血を混ぜるという仕事も兼任しているのだろうか。
 貧民街のシングルマザーたちには、肌色の違う子供たちを連れて歩いているケースが少なくない。レイシズムというのが「違う人種を排除したい」主義だとすれば、それに体当たりでカウンター・タックルをかけているのは、実は彼女たちなのではないか。彼女たちは、違う人種の精子を自分の体内に受け入れて子を孕み、兄弟姉妹ですら異人種。みたいなファミリーを作ることで、たいへんにラディカルなDiversityの推進を行っている。

勿論このエッセーの結論は、だからといってヘイトはなくならない、
近ければ近いほど、知れば知るほど近親憎悪は燃え上がる、だけど経済関係、
雇用関係みたいのはまた別なので、雑貨店のインド人店長の下で、

レジの打ち方を教わっているのは、「保守党政権に失業保険打ち切られたんで、しょうがなくやってます」みたいな感じの白人の若いフディーズである。

ということです。
http://static.guim.co.uk/sys-images/Media/Pix/pictures/2009/12/7/1260208193171/Daxa-Solanki-and-her-husb-001.jpg

http://www.eveningnews24.co.uk/polopoly_fs/1.801769!/image/184987506.jpg_gen/derivatives/landscape_225/184987506.jpg
上記写真は本文に登場するNewsAgentという雑貨店チェーンの画像検索結果ですが、
もちろん本文とは関係ナシです。

で、作者はここで、Chavという言葉を出していて、BBCサイトから引いて、
語源はジプシーのロマ語としています。これは、日本語版Wikipediaには載ってなくて、
英語版Wikipediaを見ないと書いてないです。

チャヴ 日本語版Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B4
Chav エイゴ版Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Chav

頁140日本にDQNという言葉があるように、英国にもChavという言葉がある。

また、フディーズは、まんまパーカーなんかのフードをかむった連中のことみたいですが、
作者は何故か「フーディーズ」と書かず、「フディーズ」と書いています。
その方が原音に近いのかしら。
アマゾンの本書内容紹介は「フーディーズ」と伸ばして書いてて、だから作者の筆記とは違う。

頁50のジェリー・バーチル評伝「ザ・ワーストマザー・イン・ザ・UK」も、
秀逸の出来なのですが、いささかジェンダーに関する事なので、あまり引用しません。

Julie Burchill - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Julie_Burchill

ミドルクラスの英国人のアンダークラス蔑視を「ソーシャル・レイシズム」という言葉で呼び

リリー・アレンともTwitterで激しいバトルを繰り広げるが、さすがにリリーも敵に回す相手の選択を誤ったというか、あの論争(というか喧嘩)以来、リリーから「クールで賢い女の子」の肩書きは完全に剥がれ落ち、「精神不安定な甘ったれお嬢ちゃん」というイメージが定着してしまったように思う。

リリー・アレン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3

頁100、隣家の、成人した頃には既に「週末にしか子供に会えない」タイプの父親だった、
アルコール依存症リハビリした青年、その母親の描写で、
パブでカラオケを熱唱、という記述があり、本家パブもカラオケの時代なんだ、
と思いました。
頁105「愛は負ける」、エイミー・ワインハウスの死因は酒でも薬でもなく、摂食障害
というところから始まる評伝ですが、私は、そんなことを聞いても、
カレン・カーペンターとか、ママス&パパスの人がサンドイッチをのぞに詰まらせて死んだ、
というデーブ・スペクターの持ちネタくらいしか連想しませんでしたが、
作者は本場UKサウンドのただなかに身を浸したくて英国に行き、
その夢も叶ったといえば叶ったし、時おりこうしてコラムを発表出来る場所もある。
(ブログ以外に雑誌等でも。現地発の情報を、ちゃんと書けるから←これ大事)
ガン持ちでトラック運転手を続ける旦那との日々や、保育士としての限界保育所の日々は、
予期していなかったにせよ生々流転でそれらすべてを達観諦念しているようで、
ひっくるめてまとめて生きてるんだな、と、読み進むにつれて深く感じました。


作者の好きな監督の映画。




で、そういうのの中に、肩の力を抜いた自然体で、ソウルからヨボセヨもアギジャビヨ、
みたいな時事ネタが自然に転がっていて、読んでいてうれしくなります。

頁127
とはいえ、教皇退任やカソリックママ教会のスキャンダルはアイルランド系限定の問題なのかというとそうではない。実は英国でも最近、英国国教会の信徒数をカトリック教会の信徒数が上回るといった逆転現象が起きている。これは英国人がカトリックに改宗しているというわけではなく、ポーランド人などの移民が増えたからだ。うちの息子も公立のカトリック校に通っているが、彼の級友なども、アイリッシュ、アフリカン、ポーリッシュなど、実にインターナショナルである。この国のカトリック人口を押し上げているのは、移民とその子供たちなのだと実感できる。

リックと書き始めて、カリックになって、そのまま。

頁140
 サッチャー政権は、地方の製造業を殺すことによって家畜化された人間たちを生み出したのである。地方社会の檻の中で、政府から餌をもらって動物のように生きていく若者たち。学歴も突破口も展望も何もない。「敗者は美しい」、「敗者として生きるのが本当じゃないか」などという文化人が意味する敗北は、自ら選び取る負けであり、何もする前から負けている(=飼われている)家畜のことではない。地方のルーザーズたちの世界は、現在のアンダークラスと何ら変わっていない。

時事ネタや世評の難しいところは、やはり文責というか、上記も、
アマゾンレビューで、作者のサッチャー観や経済批評は違う、と一刀両断されてますし、
その辺の、コレクトであろうとすると筆が止まる自分との戦いであろうと思います。
私は、そこは特に何も思わなかったのですが、ページは忘れましたが、
タダのパンとネットフリー環境目当てに毎日革ジャンを着て作業所に通うアナーキスト
生活保護を打ち切られそうになった老アナーキストが二階から飛び降りて足をどうこうして、
継続するといったくだりに、そもそもアナーキストが国家内労働を拒否する理由や、
生活保護はウェルカムなダブスタ理論武装が、おそらくくだらないから割愛したのでしょうが、
でも読んでて理解出来なかったので、少しあってもよかったかな、と思います。
ピケティとネグリは違いますよね。名前が。

この本の多くがネットに一次発表された文章から出来ているので、
当然それに対するレスポンス、ファンクションも書き下ろしで収められています。
頁152、作者のブログやウェブ記事に対して来る「タヒね」は日本語としては強い言葉なのだが、
翻訳すると罵倒語としては弱い言葉になってしまい翻訳不能
あと日本のヘイトデモすげえ平和、とか。
所謂長文コピペは他言語でもあると思うのですが…どうでしょう。

あと、頁170、サー・アレックス・ファーガソンに、「サー」の敬称を付けない人を、
初めて見た、と、思った。ファーギーと呼んだはります。
というか、この人がスコティッシュだとは知らなんだ。このエッセーは何故かベッカムに飛び、
ジュリー・バーチルのコラム経由で、英国版三丁目の夕日に飛躍します。
ベッカムとベストを比較するとか時代が跳び過ぎだと思う。バーチルって人大丈夫か。
 ガスコインカントナと比較するならまだ分かりますが)

バーチルエッセー
「この国には、アンダークラスではない、ワーキングクラスが存在した時代があった。それは、ローティーンのシングルマザーや、掃き溜めのような公営団地とは無関係の階級だった。実際のところ、金に汚くて性にオープンなミドルクラスや、怠け者で白痴のように誰とでも寝るアッパークラスの人間より、ワーキングクラスの人びとの価値観のほうが“トラディショナル”な英国の価値基準に近かった。気前の良さと勤勉さ、そして高潔さ。それが彼らの模範だった」

下は作者自身の筆。

 ベッカムが幼少期を過ごした家は、うちの連合いが生まれ育った地域にある。現在は、エキゾチック・フードの匂いが漂い、道を歩いていてもほとんど英国人とすれ違うことのないエリアだ。あの辺りの七〇年代の写真を見たことがあるが、それはまるでマイク・リーの『ヴェラ・ドレイク』のような世界だった。隣接するレンガ造りの家々の庭にびっしりと干された洗濯物。けっして新品ではないが清潔なシャツとセーターを身につけ、半ズボンを履いた子供たちと、道端で立ち話をしているエプロン姿のお母さんたち。そこにはきっとコミュニティがあっただろう。貧しくとも佇まいを正して生きる、労働者階級のプライドがあっただろう。
 それは、ゴムの伸びきったジャージのズボンから半ケツ出した女たちが乳母車を押しながら煙草を吹かし、フディーズたちが路上駐車された車のガラスを打ち割るたびに、けたたましいアラームが始終響き渡っているような貧民街の風景がノームになる前の、労働者たちの街だった。あの街に住む人びとは、労働することの価値と、明日を今日より良い日にすることの価値を信じた。最低保証賃金で働くより生活保護もらった方が人生エンジョイできるよねー。と言っているわりには、酒とドラッグとセックスに溺れるだけの閉塞した生活で三〇歳なのに五〇歳みたいな顔になった長期無職者たちが現われる前の時代である。

ええと、それで、なぜ英国にはシングルマザーが多いのか、については、
やはり制度的理由があって、そこを引用します。

頁229
 わたしの生まれ育った国なんかだと、十代の少女がひょっこり孕んでしまった場合には、①友人の紹介とかでクリニックを見つけてさっさと始末する。②親からさっさと始末させられる。といった按配でいずれにしても、始末。というのが一般的な対処法であったが、この国の貧民街では、出来てしまったものは産む。というのが普通になっている。
 そうなっている理由として、①無職のシングルマザーには政府から住居や各種補助金が提供され、働かなくとも生きていける制度が確立されている。②腐ってもクリスチャン国である。という二点が挙げられるが、とはいえ、乳母車を押しながら昼間の貧民街をうろついている幼い母親たちの数は尋常ではなく、ヨーロッパ諸国の中で十代の妊娠率が最も高いのが英国だというのも頷ける話である。
 英国の識者の皆さんは、アフリカに行って現地の女性たちに「避妊の重要性と女性の権利」などを教える前に、まず自国の少女たちを教育したほうがいいと思うのだが、どうもこの国の富裕層は自国の貧民区よりアフリカのほうが近いと考えている節があり、それはきっと遠い国の貧乏人なら自宅に押し入ってきたり車のフロントガラスを打ち割ったりして自分に直接危害を及ぼしてくる可能性がないので、「ワン・ラヴ。ワン・ワールド」などと言ってひとつになった気分になりやすいのだろう。

中島史雄エロマンガなんかこのブログに出せないかと思ってたけど、
こういう感じならよいかと思って、出します。作者と同じ九州出身みたいだし。
で、この後、貧困世帯の食生活(低収入ほど肥満しやすい食生活になる)や、
生活保護受給者に政府から提供される住宅の例として、
硬貨をメーターに入れてガスを使用する古いタイプの公営住宅が紹介されてます。
そこもグイグイ引き込まれる文章なのですが、そんなこと言ってたら、
どこもかしこも引用せんならんので、はしょって、

頁231
 地方自治体が実の親から子供を取り上げるのは、虐待や養育放棄が認められる(認められてない場合もあるけどね。このバトルその後編は近々書く)ケースだけではない。“貧困”も立派な理由になる。貧乏過ぎて衣食住などの基本的な子供のニーズを満たすことのできない大人は、親失格というわけだ。力のない親は子を育てるな。ということである。

頁267がその後編で、アンダークラスは当初、ベネフィット・クラスと呼ばれる可能性も
あったみたいな個所も別のページにあるのですが、その恩恵享受の失効を怖れて、
子供を連れて逃げるシングルマザーの話が出てきます。自治体間のヨコの連携がないのは、
日本も英国も同じようです。取り上げられる前に、連れて逃げて新天地で申請活。

作者はこの本の終りの方では、限界保育所から別の、カルチュラルな保育所に移るので、
現在のブログはまた違うかもしれませんが…あと何を引用しようか。

頁255
 大不況で“アンダークラス”に落ちた人びとは、それ以前から“アンダークラス”だった人びとを認めないというか、忌み嫌っているというか、自分も無職になったからといって、好況の頃から無職だった人たちのコミュニティに加わろうとは思ってない。

そういうもんなんでしょうね。でも長引くとまた変わると思います。

頁289
 思えば、前述のW杯の話にしても、日本の学校には清掃の時間というものがあって、自分の教室は自分たちで掃除させられる。つまり「自分が散らかしたものは、自分で片付けるのが当然である」と脳に刷り込まれるわけだ。一方、学校生活の中で清掃の時間や掃除当番などというものは一切なく、汚れ仕事はクリーナーのおっさんやおばはんの仕事だと理解して育つ英国の子供の脳には「クラス(階級)」の刷り込みが入る。

これは同感なのですが、このエッセーの前説部分は、
W杯で試合後ゴミ拾いして帰る日本人サポーターが、
ほんわかギャグとして英国マスコミに紹介された、という箇所で、
作者はアナーキーだから少々羊のような日本人にフンガイしてるわけですが、
私が昔週刊サッカーマガジンだかサッカーダイジェストで読んだ植田朝日のインタビューでは、
この風習は、WCアジア予選日韓戦で、韓国のおばはんサポらがゴミを拾う姿に、
代表コアサポが感銘を受けて始まったそうですので、
(出典の号とか覚えてませんので記憶だけですが)発祥は韓国であり、
日本のそれは模倣である、ということを、このブログを通して、作者に耳に届いたら、
まあいいかなと思いますが、別に届かなくてもよいです。
紙だから更新されてないけど、作者自身は既に知ってるかもしれないので、その話。以上
(2015/4/21)
【後報】
ページ忘れましたが、英国の若者からしょっちゅう「チンク」と呼ばれる作者が、
初めて韓国人留学生が反日感想を他の留学生にぶつけるのを目撃したコラムがあります。
で、この韓国人留学生は、理由はないけど周りがそうだったし教育もそうだったから、
なんとなく日本人がキライ、と言い、独仏その他の留学生から、
人が何かを嫌うには理由がなければいけない、アイマイはおかしい、と叩かれます。

しかし、私が会った韓国人は皆、独島なり、スウォンの教会なり、三・一なり、
トラックでやって来て村の女性を満載して去る軍人なり、
日本では本名を名乗って生活出来ないほどディスクリミネーションがひどいので、
仕方なく日本名を名乗って生きていると日本のいとこがゆっていたのよ、とか、
それが正しい情報かどうかとは全くべっこに、嫌う理由を明快に開陳出来るので、
このコラムの女性留学生も随分ナイーヴだな、とか、
後年ネットなどで理論武装出来るようになったのだろうな、と思います。

あと、問題児童ばかりの保育所で、場違いな、家族皆に愛されて育ってるガキが、
攻撃衝動のカタマリみたいなガキ(週末どこ行ったのと訊かれてジェイルと答える、
DVほかで服役中の父親が大好きな子ども)にクラッシュされた時の、
ハグについて書かれたエッセーが一番感動的だったと思います。
体温は何かを解かす。すごいことです。
(2015/4/23)