『目白三平随筆』読了


目白三平随筆

目白三平随筆

2017-12-15 神吉拓郎『 私生活』 (文春文庫) 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20171215/1513350355
神吉拓郎の本を読んだ時、中村武志が解説を書いていて、それで、解説者の本も読もうと思った…のかなーと思います。覚えてないので。本書は国鉄退社以降、奥さんがなくなられて以降の著述を集めた本です。油ののった国鉄との二足の草鞋時代の本は、図書館で見つからなかったです。
未洗濯の下着のストックがなくなって亡き女房の下ばきを愛用する話ですとか、洗濯がめんどくさいので着衣のまま入浴して服ごと身体を洗う一挙両得の生活をしばらく続けるとか、奥さんのいまわの際のテイモーとか、当時としてはこの露悪趣味がウケたのだろうと思います。21世紀はやはり情報過多で、現代だとこの程度では軽く炎上するか、いくらかいいねがつくか、という時代なのだろうと思います。

カバー折り返し
読者のみなさまへ
本書のカバーのイラストは、大変すばらしいものです。カバーの上にさらにカバーなどなさらずに、裸のままでお読みくださるようお願いいたします。
            イラスト・装丁=杉浦範茂

頁24、パンティ佩用

佩用(ハイヨウ)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E4%BD%A9%E7%94%A8-599436

頁58
“これが北海道の有名なイタドリなんだな。われわれ愛煙家が、大戦末期から戦後へかけて、強制的に吸わされた、憎らしくもなつかしいイタドリなんだ。そうだ、イタドリ混入の煙草が、一日に三本ときめられたのは、昭和二十年の八月一日だった”

イタドリの剥き方 クックパッド
https://cookpad.com/recipe/4983570

頁73
 お客さんにお茶をいれるのは女房を亡くした男ヤモメの私にとっては面倒くさい。コーラやジュースは、大人の飲物ではない。どんなに朝早くからでもお客さんにはビールを差しあげる。今は仕事中だからとか、顔が赤くなるからなどとお断わりになっても無理におすすめする。夜のお客さんは、もちろんお酒で接待する。応接間変じて、七十六歳のオジンのホストバーとなり、時にはドボンもはじまる。
 独りの時は、トイレに行くのが面倒なので、木の根元で用を足す。宴会後の杯盤狼藉の跡始末は、翌日私がする。飲み残しのグラスの酒は、全部椎の木にやる。そのせいか、七年前から木が弱りだし、一年後に枯れてしまった。
 友人たちの推察によると、アル中で枯れたというのと、私の生小便がよくなかったという説の二つがある。農家出の私は、残念ながら後者と考えざるを得ない。

これは、仕事場にする予定の土地に既に木が生えていたので、それを残して家屋を建てた、その後の話です。
以下後報
【後報】

頁82
十四年間外食を続けて来たが、すっかり飽きてしまった。生前女房が作ったなんでもない惣菜料理がむしょうに食べたい。
 レパートリーは乏しいが、野菜いため、カレーライス、おでん、鍋料理などの簡単なものを一年のうち二十数回は作る。
 したがって、生ゴミのポリ袋は、年に数個はたまる。それを数年前から、木戸の塀際に積んで来たから、三十個にはなる。ゴミの集積場所は、百メートル先である。そこまで運ぶのは面倒くさい。
 生ゴミだから、当然腐る。悪臭が出ると、その上から新しい袋をかぶせて防ぐ。四、五年前のものは、もはや液化している。次々ににおいだすたびに、袋を着せるから、数枚も着せられて、暑い真夏を過ごす袋たちもいる。なぜ捨てないかと聞かれても、別に理由はない。面倒だから捨てないに過ぎない。
 生ゴミの袋のことばかりではない。仕事場の玄関前の空地で、毎日送られて来る沢山のダイレクトメールその他の無用の郵便物、読んだ新聞や雑誌を燃やすのが、私の楽しみのひとつだ。
 灰が山のようになっている傍には、何年来の空き鑵、空きびんがあり、その上に不用になった家具や椅子などの粗大ゴミが載っけてある。

この後、灰を見て勘違いした人から火事見舞いの電話があった、というオチになります。捨てられない、ゴミ屋敷、等々、今なら炎上もするでしょうが、意外に捨てられない人というのは、我々が考える以上に多く身近にいるのかもしれないな、と思います。フェティッシュ、フェチで、遺品というか、残したものへの愛着が強い要因があるのかもなー、と、勝手に思ってます。私はむかし、ある女性が作った弁当を、食べる気もせず、かといって捨てられず、長期間見えないように放置した思い出があります。人生が変わったときに捨てた。作者はまったくそれに類することは書いてませんが。

頁179「ポケットは右か左か」>「玉遊び」は戦前から
 喫茶店の窓際のテーブルに腰かけていて、あるいは歩きながら、向こうから来る男性は、右か左か、とあてっこする「玉遊び」という若い女性の遊びは、昭和のはじめころからあったが、終戦後の一時期、それが女子中、高生、女子大生、OLなどの間にも、一時的に流行した。
(中略)
 ご存じのように、いや、ご婦人方の中にはご存知のない方もあると思うが、私たちが背広を注文する時、いうまでもなく寸法を取る。最後に、左でございますか、それとも右で……と洋服屋さんが質問する。
(中略)
 それでは、既製服はどうなっているかというと、外国ではいざ知らず、日本では、九十%が左だそうだから、全部左に一センチのゆとりが作ってあるそうだ。たった一センチのことだから、右へおさめたところで、さして窮屈ということもないだろう。
 なぜ左が多いのだろうか。

(中略)
 昭和のはじめのことである。ある大学の独身の助教授が、英国に留学した。
(中略)
 英国へ着いて数か月経ったころ、秀才先生は、ロンドンの下宿のおかみさんに案内して貰って、有名な洋服屋へ出かけた。英国仕立ての背広を着て、街の写真館で撮った写真を故国に送り、両親を安心させ、また恋人にも、スマートな紳士ぶりを見て貰いたかったのだろう。
(中略)
「ライト・オア・レフト?」
 いうまでもなく、右ですか? 左ですか? とたずねたのである。彼は、本場の英国では、ポケットは、右か左のどちらか片方にするのか、と勘ちがいした。英国はどうであろうと、今まで日本では上衣のポケットは、両方につけていた。もちろん、そのほうがいたって便利だ。
 咄嗟に彼は、
「ボース(BOTH)」(両方に)
 と答えた。主人は、驚いた表情で、日本人の若い客の顔を見詰め、次には、視線を股間に移し、
(後略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E6%9B%B2%E3%81%8C%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC
このマンガの感想に添えて、自分は左曲がりか、と書く人がほとんどな理由がやっと分かりました。35億だかなんだかの多くは左に曲がりながら生まれてくるんですね。

頁216で、仙台の古式ゆかしき嫁入りの儀が書かれています。花婿の家の門のところで、燃えている藁の上を跨ぎ、狐つきのような魔性の女でないことを証明し、玄関で小石の入った茶碗の水を飲み、ストーンのごとき固い決意で婚家の嫁になるという覚悟を示すんだそうです。さいごの無事床入りを報告する場面で、新郎がまったく性教育を受けていない知識零の童貞である旨が発覚し、仙台の古老(♂)と筆者が新婚夫妻の前で四十八手の組手やら前戯のあれこれやらを模擬実演ぐんずほぐれつするというオチです。作者のエッセーはかなりの確率で、作者自身が恥をさらしてシモねたで笑いを取ることが分かりました。ページは忘れましたが、走りながら放尿し、そのまま東京駅にかけこんで新幹線に乗り、車中で靴下等を洗い、下着を捨て、乾かしながら車窓からの景色を眺める話は、うまいこと書くなと思いました。ぜったいこんな泰然自若としてなかったろうに。
さいごのほうは、顰蹙まんさいの披露宴スピーチや、百輭先生の思い出および百輭直筆文章の長文引用などがあります。論創社は昔小倉芳彦の『吾レ龍門ニ在リ矣』 (小倉芳彦著作選Ⅱ)を読んで、イカレたことを思い出します。あれはよい本でした。
http://ronso.co.jp/book/%E5%90%BE%E3%83%AC%E9%BE%8D%E9%96%80%E3%83%8B%E5%9C%A8%E3%82%8A%E7%9F%A3/

またはまぞうはアマゾンが出ない。のでイニエスタ
以上
(2018/5/19)