『天皇の料理番 (上) (下)』 (集英社文庫)読了

図書館で見かけて、そういえば読んだことなかったなと、借りました。
ドラマは、評判になった記憶はあるのですが、たいして見てはいないはずです。

天皇の料理番 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%96%99%E7%90%86%E7%95%AA
杉森久英 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%A3%AE%E4%B9%85%E8%8B%B1
作者のほかの著書の読書感想
2016-07-17『美酒一代―鳥井信治郎伝』 (新潮文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160717/1468758769
2016-08-21『苦悩の旗手太宰治』(角川文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160821/1471784490
2016-07-28『天才と狂人の間―島田清次郎の生涯』 (河出文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160728/1469698865

今回は、モデルとなった人物が、実業界でガッハガッハでもなく、
ブンガクの破滅型でもなかったので、楽しく読めました。武生出身ということで、
武生出身のむかしの友人や、武生に行った折のことを思い出したりしました。
カバー:木村典子(Balcony)解説:吉村千彰 今は亡き週刊読売連載
上下で頁数が違います。一冊の本を分割再版しようとしてうまく区切れなかったよう。
あとは後報。
【後報】

上巻頁62
「何と読むか、知っとるか?」
 と聞いた。
「高等下宿でしょう」
「ところが、これは漢文でね、返り点をつけて、こう読むのだ」
 兄は一文字一文字の間へ指で「✔」を書いて「高✔等✔下✔宿」となるようにしながら
「いいかね……宿下等ニシテ高シ、と読む。アハハハハ」
 この洒落は、――そのころ学生の間では常識になっていて、いまさら笑う者はいないのだが、はじめて東京へ出た、いわゆる「おのぼりさん」の篤蔵を感心させるには充分だった。

私も感心しました。

上巻頁123
彼はまだ武生の山寺にいたころ、参詣の老婆たちが、道で立ちながら小便をしているのを見たことを思い出した。老婆だけではない。若い嫁女だってやったし、生きのいい娘たちだってやった。
 彼女たちの立小便は、男のように、仁王立ちになり、前を公開してやるのではない。道端に立ち、道の真ん中へ向き、田圃や畑にうしろを向け(うしろが、フナッ子めらやドジョッ子めらの嬉遊する小川であるなら、申し分ない)、上体を三、四十度前へかがめて、ヒップをすこし突き出すのである。いわゆるヘッピリ腰が、その基本体型である。ヒップとヘッピリは、おそらく同じ語源に発するものであろう。
 かくしてのち、彼女たちは、片方の手で着物のうしろをちょいとつまみ上げ(篤蔵は後年、国技館の大相撲を見物にゆき、幕内力士の土俵入りの荘厳なる儀式を見ているうちに、彼等が化粧まわしの片端を持ち、ちょいとつまみ上げるところで、ハテむかしどこかで見たことのある風景だったと、しばらく考えたのち、はたと気がついたのは、むかし彼がたびたび実見した農村の老婆、あるいは嫁女、娘たちのうしろをつまみ上げる仕草そのものであった)、そして彼女たちは、しばらく目を半眼に見開き、無念無想の表情をととのえるのだが(老練の者は、隣に々姿勢を構える朋輩と談笑しながら行為することも可能らしい。ことわっておくが、行為という言葉は、なにもアノことばかりを指すわけではない)、やがて機熟するや、一条の淡黄色あるいは濃黄色の水は彼女たちの中央部から垂直に落下して、砂塵を上げ、小砂利をハネ飛ばし、あるいは、うしろが小川である場合は、水面に大波瀾、大波濤を巻き起こして、魚族共を周章狼狽せしめたるのち、やがて水勢衰えて、次第に鎮静に及ぶや、彼女たちは裾をハタとおろし、上体を起すのであった。
 その際、下着のぬがれる気配もなく、一枚の紙も使用された形跡がないのが、篤蔵にはふしぎでたまらず、いったい、中はどうなっているのだろうと、考えに考えてもわからず、たびたび不眠の夜をすごしたものであった。
 話が思わずワキ道へそれたが、当面の問題は老婆の立小便のことでなく、
(以下略)

松田道雄の『花洛』でも京おんなの同様の風情を読みましたが、
ここまで微に入り細を穿つ描写ではありませんでした。
それ(祇園の玄人衆なんかの)が郊外農民が辻々に用意した木桶に放尿され、
聖護院大根や九条ネギの肥料になったという、
循環エコロジーシステムの話が主題だった。

上巻頁307、キャベツのことを、はじめは玉菜といった、へー。
主人公の名前、篤蔵がなんと読むのか分からないまま読み進め、
下巻頁41で、フランス人シェフがトクゾウと呼ぶ場面で初めて分かりました。

下巻頁52
 フランス語でソートワールといって、バター焼きの鍋なのだが、日本の料理人仲間では、なまって「外輪」と呼んでいる。
 ――外輪といってくれれば、わかったのに。
 しかし、これは無理というもので、フランス人は、日本ではソートワールを外輪と呼んでいると聞いたら、かえって笑うだろう。
 同様にして、日本でスパテラと呼んでいる杓子は、原名はスパテュールだが、これなどはすこしカンを働かせればわかるので、ひどくまごつくこともなかった。
 おもしろいのは、日本でナンキンという油漉し器である。円錐型で、中国人のかぶっている帽子に似ているから、南京というのだが、フランス語ではシノワという。これなども、はじめ聞いたときは、何のことかわからなかったが、実物を見て、なあんだと思った口である。

https://kotobank.jp/image/dictionary/nipponica/media/81306024003960.jpg
コトバンク 漉し器
https://kotobank.jp/word/%E6%BC%89%E3%81%97%E5%99%A8-807741
こんな帽子かぶってるかなあ。義和団事変の頃の衛兵とかかな。
下記はパリの厨烹師組合の場面。

下巻頁70
 それに、養老年金の制度もある。年をとって働けなくなっても、月々いくらかの金が降りて、人の世話にならなくても暮らしてゆけるのである。これも、今日の日本では珍しくなくなったが、当時としては夢のような話である。なにしろそのころ日本の料理人の間では、
  コック四十九で野垂れ死に
  ボーイ百までテーブル乞食
 という歌がはやって、老後の保障を考える者なんか、一人もいなかったのだから。

無頼の世界。ほぉちょぉいぃっぽん、さらしにまいてぇ♪

下巻頁147
 日本の西洋料理界には、いつ誰がはじめたことか知らないが、おもしろいしきたりがあって、もともとフランス語のメニューを、全部漢字で書くことになっている。カナまじりの日本語では、日常的に過ぎて、雅致に乏しいということなのであろう。

これは知りませんでした。フレンチにはモテたくて女性と行きましたが、
漢文のメニューなぞ見た記憶がない。戦後進駐軍時代を経て、廃れた風習?

下巻頁226
なにしろ、さんとも、銀食、宝亭、亜寿多など、和、洋、中華の大家や名人が揃っているので、会のときの弁当の豪華絢爛をきわめたことは、まさしく日本一といっても誇張でなく、歌よりも弁当をたのしみにして、客が集まるという評判だった。

アスターって、漢字だったんですね。でも公式には何も書いてない。
上海の有名店アスターを真似た、と正直に吐露してはいますが*1

下巻頁244
「世界は神が造った。しかしオランダはオランダ人が造った」
 という警句があるそうだが、その筆法でゆくと、満州国は日本人が造ったものである。従ってその皇帝も日本人が造ったのだが、
(以下略)

オランダの場合は低地干拓を指しているので、満洲国とチョト違ふ。

下巻頁262
 戦局は坂道をころがる石のように悪化した。
 二十年……ついに破局を迎える。
 東京をはじめ、各都市が空襲を受け、焦土と化した。
 宮城もまた数回にわたって爆撃の対象とされ、宮殿が焼失したため、両陛下は宮内省庁舎の三階を仮宮殿として使用されることになった。

これも知りませんでした。松代遷都とかの前に既にやられてたのか。

下巻頁265
 鴨猟には、米人の習慣で、夫妻同伴でやって来て、いっしょに酒を飲み、一緒に騒ぐ。永年亭主関白で押し通して来た日本男子秋沢篤蔵からみれば、ニガニガしい限りだが、(以下略)

篤蔵は泣き上戸で、死別したカミさんの想い出に沈んでゆく酒だったとか。
まー再婚しますし、泣くだけでなく絡んだりもしたそうですが。

司馬遼太郎とかそうだったか、出だしと結末、文章を簡潔にするため、
主語を削って書いてます。文脈で理解する日本人向け。
結末が良かった。美しいラストで、しかも簡潔。
このお祭りは俳句の季語にもなってますが、そうなる前に、
若くして彼は本質を摑んだのだな、と感じ入る結末でした。合掌。以上
(2016/10/15)