『「乗ってきた馬」亭の再会―警視リチャード・ジュリー』 (文春文庫)読了

「乗ってきた馬」亭の再会―警視リチャード・ジュリー (文春文庫)

「乗ってきた馬」亭の再会―警視リチャード・ジュリー (文春文庫)

The Horse You Came in On (Richard Jury Mysteries Book 12) (English Edition)

The Horse You Came in On (Richard Jury Mysteries Book 12) (English Edition)

ヘンな名前のパブのミステリーシリーズ、邦訳ラス2。
今回はアメリカ、ボルティモアが舞台で、
同名の酒場も、実在します。検索で知ったw

公式 http://www.thehorsebaltimore.com/
この店は作中でもしばしば「馬」と略されており、公式URLも「馬」
表紙はお馴染み和田誠ですが、霊感をどこから得たかは不明。
実在店の看板も、画像検索の結果も、表紙絵と同じモチーフはない。
故事とかから来てる呼称なら、歴史上、同じ組み合せの絵や印章があるものですが、
そういうのがない、という意味です。

このシリーズはもう12作目で、今回は過去の登場人物が相当出てきて、で、
貴族の人の村のパブ仲間とか、警部の部下と上長とその秘書ぐらいは、
なんとか覚えているのですが、それ以外の、過去に登場したキャラとなると、
もう記憶に留まってない(例外:マキャルビ)ので、テキトーに流して読みました。
本棚の過去の巻ぱらぱらめくって記憶を確かめながら最新刊読むとか、
そういうむかし長編マンガ読んでた時みたいな贅沢な時間や空間の使い方は、
しなかったです。

主人公の警部さんはロンドン空襲の孤児で、アパートには、
ワッサーマンという大陸出身の、ナチのPTSDに悩む老婦人も暮しています。
私が21世紀にそれを読むと「いまいくつだよ何歳だよ」と違和感があるのですが、
原書初版は1993年ですので、まだオッケーです。シリーズ一作目は1981年。
登場人物は、けして年を取らないサザエさん設定ではないのですが、どうしても、
磯野家がリヴァプール近辺を漂流してるのではないか、と思ったりします。
登場人物の経歴に進展がなく、誰もかれも足踏みしてるので…
例えばイタリア人と婚約してる女性は、この十年婚約破棄にも結婚にも進んでない。
それで、1993年だから、携帯電話もまだ一般的ではないので出てこないですし、
テレホンカードもビデオもジャンキーも出てこないし(ルー・リードは出てくる)、
ほんとなんか時が止まってる気がします、この小説。

頁83
いつも飲んでいるブランドのウォッカ――“ウィブルヴカ”とか“ズルブリコフ”とかという舌を噛みそうな名前で、そんなものを置いてある店はどこに行ってもない――を置いていった。彼女によれば、それはバッファロー・グラスを入れたウォッカで、じっさいそのなかに長い糸のようなものが入っていた。トルーブラッドは、その酒は彼女の家の浴槽で作られたもので、入っているのは裏庭から引っこ抜いてきた雑草だろう、と言った。

ズブロッカ バイソングラス [ ウォッカ 500ml ]

ズブロッカ バイソングラス [ ウォッカ 500ml ]

1993年だと、もうズブロッカは斯界で評判だったと思うのですが。
それまでギルビーとかアブソリュートみたいな西側ウォッカしか知らなかった西側で、
本場ロシアのストルイチナヤより全然おいしい、ただ、酒本体に味があるので、
カクテルのベースには向かない、と云われてた気がします。違うかな?

頁109、距離の単位がマイルなのはアメリカだけだと思ったら、英国もなんですね。

頁129
何やらヒトデのようなものを持った大皿が描いてある。メルローズはその挿し絵をつくづくと眺めた。いや、ヒトデではない。小さなカニらしい。その次には、うれしそうな顔をしたカキや蛤が大きな皿の上で踊っている絵。それからまた、漁師の釣り糸の先で笑いながら跳ねたり、魚籠の上にぶらさがったりしているおさかなの絵。エビは大きなポットの上で楽しそうに足を振り回している。メリーランドのシーフードはみんな、あなたのために死ぬのはしあわせです、という態度をとっている。たぶん、独立戦争に勝ったからだろう、とメルローズは思った。ドーヴァー海峡のヒラメやニシンなどが砲火の前でこんなに健気な態度を見せているのは見たことがない。

作中の季節はなぜかスーパーボウル*1で、これはアメフトを知らないイギリス人を、
ライスボウルスーパーボウル真っ最中のサルーンというかパブに放り込みたかった、
からだと思うのですが、おそらく作者もあまりアメフトが分からないので、
それ以上膨らまずに終わっています。

頁185
「……ジョージアに行け、って。つまり、ぼくはレニングラードを出てジョージアに行かなくてはならなくなったんだ」ルーブルが箱のなかに入っていた理由を考えだそうとしたがどうにも考えつかない。
アトランタ?」
「え?」
アトランタに行くことになったの? それとも……」
「ちがう、ちがう。ロシアのジョージアだよ、グルジアのこと」

ここ数年より前にこの個所を読んだ人は、どう思ったのか知りたいです。
どちらも聖ゲオルギアから来ているから、とピンときた人がどれだけいるか。

頁206
「『アヴァロン!』」突然、ヒューイが指を鳴らして言った。
「何だって?」
「その映画だよ。さっきどうしても思いつかなかった題だ。その、名前を思い出さなかった監督の作った三番目の映画さ。『アヴァロン』(邦題「わが心のボルチモア」)て名前だ。あれは移民の家族の話で――その監督の家族だと思うんだがね。監督のお祖父さんとか、そういう人たちの話だよ」
「アヴァロンはアーサー王や英雄たちが死んでから運ばれた極楽島の名前だろう」とメルローズが言った。
「あんたの国じゃあそうなってるのかね? こっちじゃあ映画の名前だ」

日本じゃあ押井守映画の名前だ。

日本語版Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%BF%83%E3%81%AE%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A2%E3%82%A2

血まみれの手がガラスにぺたり、という場面があるので年齢確認要みたいです。
そして押井。

頁318にこの話の続きが出てきて、ヒューイは監督の名前を思い出し、
そして芋づる式に下記の映画が出てきます。



そして、なぜかトム・クランシーの名前。頁84には、アップダイクとイシグロ併記。
ボルティモア自体、“ぼくはなんでも知ってるんだよ”エドガー・アラン・ポー
の故地なので選ばれた舞台ですし、巻末で、貴族の人は小説を書こうと決意します。
訳者は訳者あとがきで、今回は「ものを書く」というテーマが全編覆ってる、と、
感想を述べています。今回は、小説家気取りでしかし何も書かない、
貴族の人の義理の叔母のアメリカ人はほとんど出てきません。

頁474
 主人公の探偵は、スミッソンという愛想のいいロンドン警視庁の犯罪捜査部員で、アメリカの私立探偵なみの迫力の持ち主だ。そして、女性の探偵が大流行している(少なくともアメリカでは)ことを知っているメルローズは、スミッソンを助けて活躍する聡明な妻のノラを登場させることにしていた。スミッソンはオンボロ車を運転し、いつも愛猫のクローエを一緒に乗せている。猫も昨今大流行なのだ。
 きっとポリー・ブレイドは市場の要求に屈したといって彼を責めるだろう。しかしポリー自身ずっと要求に屈しっぱなしなのだ。これまではごく平凡だった彼女の刑事は、カリフォルニア・シャルドネにとりつかれたようになって最近アルコール中毒になり、性機能障害を起こしている感じだ。煙草をやめようとしているし、海草を食べたり、そのほかの健康法に凝っている。

すごく頭がよくて上昇志向の強い、そしてのし上がるために手段を選ばない、
枕ナントカも辞さない、美人の黒人女子大生が、もう既に殺されちゃってるのですが、
非常に重要な狂言回しとして最後まで影を落とし続けていて、
これはなんのメタファーなのか、誰かモデルがいるのか、私には分からないです。

ヒューイというのはボルティモアのタクシー運転手で、やもめで、水族館観光を薦めています。

頁404
「秘訣を教えるよ。はじめて来た場所を見るにはこれに限るって方法だ」
「タクシーをつかまえるのかね」
「ちがう。運転手がみんな、あっしのようだとは限らないからね。どこを見るべきかなんてこと、知らないやつが多いんだ。ちがうんだよ。不動産屋をつかまえるのさ。土地のことをよく知ってるのは不動産屋がいちばんだ。不動産屋と一緒に車でまわって歩けば、その土地のことは全部、わかる」
「しかし、不動産を見て歩かなきゃならないだろう」
「ああ、そりゃあね。あんた、家を見るの、きらい? あっしゃあ好きなんだ。人がどんな生活をしてるか見るのはおもしろいよ。それを参考にして自分のライフスタイルを選べるってもんだ。たとえば、ボカ・ラトーンが気に入ったら、船に乗って暮せばいい」
「ボカ・ラトーンってどこ?」
「フロリダ。去年行ってみたがね。タクシーに乗ったかって? とんでもない。わざわざ金を出して腕一本と足一本雇ってどうするんだ。不動産屋に行くのよ」
「しかし不動産なんか見て歩くよりのんびり日に当たっていたいときはどうするんだ」
「そいつと一日じゅう歩きまわるわけじゃないんだ。ほんの二時間か、せいぜい三時間ほどよ。そいつらが車を運転して、街の興味ある場所を教えてくれる。こっちはだまって坐って外を見ればいいのさ。いいかね、あっしゃあよく覚えてるんだ。自分の行く場所をよく調べておいて、ボルティモアの代理店に電話をかけ、これから引っ越しするんで家を探したいんだが、どこそこの代理店を紹介してくれ、と言うんだ。代理店の人間はみんな、外歩きが好きだからね。どいつも話好きで、熱心だ。不動産屋ってのはほんとに仕事が好きなんだね。そして、その気になればただの昼飯も食えるってもんだ。しかしあたしゃそういうことはしない。あんまりつけこむのはよくないからね。たいていはあたしのほうで昼飯をおごるんだ。広いところに行ってみなさい。ワイオミングとか、モンタナとか、コロラドとか、景色のいいところにね。すばらしいよ。あちこちドライブして歩いて、一軒見たら、またドライブだ。その手でコロラドのアスペンも見たし、ジャクソン・ホールも見たが、よかったねえ。最高だよ。ほんとに」
 車が遠回りしてレキシントン・マーケットを通り過ぎるとき、メルローズは窓の外を見ながら、仕事を休んでボカ・ラトーンやコロラドに行き、不動産屋と一緒にドライブしてまわって、持ち主のいなくなった家を見て歩いているヒューイを思い浮かべて妙に悲しい気分になった。台所や食器棚、庭の花壇などをのぞいてまわり、白い砂浜で他人の生活を垣間見ているヒューイ……
 ハーバープレイスの飾りたてたビルの前を通っているとき、メルローズはそのことを考えていた。そして言った。「予定を変えることにしたよ、ヒューイ。水族館に行こう」

この、ヘンな名前のパブの推理小説シリーズは、
もともと下記の本の対談で紹介されていて、それで読むかと思ったシリーズです。

『美酒楽酔飲めば天国』読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20141019/1413724767

作者Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA
既読作品の読書感想
『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』 (文春文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20141214/1418541708
『「化かされた古狐」亭の憂鬱』 (文春文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150107/1420635711
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http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150116/1421408647
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http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150216/1424090221
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http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150226/1424969965
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http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150407/1428422425
『「跳ね鹿」亭のひそかな誘惑』 (文春文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150505/1430830026
『「独り残った先駆け馬丁」亭の密会』(文春文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150516/1431793070
『「五つの鐘と貝殻骨」亭の奇縁』 (文春文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150618/1434642192
『「古き沈黙」亭のさても面妖―警視リチャード・ジュリー』 (文春文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150730/1438260391
『「老いぼれ腰抜け」亭の純情』(文春文庫)
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20151112/1447337061

あと一冊で邦訳はおしまい。その後は、未訳が十冊。以上