『陳夫人』 (リバイバル「外地」文学選集)読了

陳夫人 (リバイバル「外地」文学選集)

陳夫人 (リバイバル「外地」文学選集)

Google books
https://books.google.co.jp/books/about/%E9%99%B3%E5%A4%AB%E4%BA%BA.html?id=BiGynQEACAAJ&redir_esc=y
台湾鴻儒堂書局版
http://www.hjtbook.com.tw/Modules/BOOK/ps_Book1.aspx?key=606
中文訳
http://www.books.com.tw/products/0010558044
台湾カルチャーミーティングのレジュメにあった本。たぶん。
昭和十四年(日独伊三国同盟)第一部刊、
昭和十六年(ミッドウェー)第二部刊。
翌年(ガダルカナルカイロ宣言)第一回大東亜文学賞次賞。
久保田万太郎演出で、明治座文学座で上演されるほど人気があった小説とか。
解説では、佐藤春夫激賞だったとか、尾崎秀樹の批評引用とかあります。
600頁以上ありますので、読むのにけっこう時間かかりました。

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%8F%B8%E7%B7%8F%E4%B8%80

本書解説 清水寛子 エッセイ 村上文昭
作者はいろいろ(ユーモア小説とか)書いたそうですが、けっきょく、『陳夫人』が、
唯一ものした作品として残った由。戦後は母校ケーオーの講師となり、
主宰同人には、Wikipedia記載の諸氏に加え、解説によると、川上宗薫も集っていた由。

私は、マダムチャン、マダムチェンというから、当然その女と書いてひとと読むは本島人で、
人妻不倫ものと思いましたが、あにはからんや、日本人女性が台湾の陳さんに嫁いだので、
陳夫人になった、というコペルニクス的転回がまず冒頭にあり、ガーンとなりました。
同種のプロットとして、お金儲けの神様邱永漢がご自分のオカーサンを描いた小説があり、
そりゃこの小説を意識してたんでしょうね。陳夫人となる安子サンは、帝大生陳清文の、
下宿先の娘ではなく、教会で知り合ったクリスチャン同士で、親の反対を押し切り、
春の嵐東シナ海を胃袋でんぐり返りながら渡台し、あぶらっこい三食に、
夢であさつきが食べたいとうなされながら徐々に適応します。旦那はあさつきを知らず、
うわごとに嫉妬します。んでもって、官吏を辞して、教職→自分探し。
http://www.suplogistics.com.hk/upfile/bookimg/201209/9789576636523.jpg
だからか、漢語版陳夫人の表紙は、和装というか、浴衣姿のおいど。
"MADE IN JAPAN 100%台灣的純愛小説"なんてコピーですが、群像劇です。
日治台南に生きた陳氏一族の栄光と陰、みたいな。
作者は六歳から大学入るまで在台だったそうですが、その間見たこと聞いたことを、
すべて叩っこもうという勢いで書いてると思いました。短編で小出しとか考えない。
街を歩けば亭仔脚、つわりに祈祷師、女三人寄れば占い、第二夫人。
長子清文は殖産興業の精神に則って菠蘿農園と鳳梨罐詰工場を起し、
赤字累積で次第に疲弊してゆきます。次子景文は乱世の漢人商人さながら、
短期で利潤が出る商売を広く浅く忙しく飛び回ります。ベトナム戦争の頃の、
司馬遼太郎開高健のエッセーに出てくる華僑商人そのままの生きざま。
三男瑞文は働いて生きることに消極的なタイプで、日本人嫂に逃げ込もうとして、
拒絶され、そののち、蕃人、熟蕃の娘と不幸な出逢いをして、不幸にします。
生蕃、平埔族。
頁59 荏苒 知らない単語なので、検索しました。
コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E8%8D%8F%E8%8B%92-538136
百度百科
http://baike.baidu.com/item/%E8%8D%8F%E8%8B%92/3522844

頁109
 クリスマスの晩のことだった。清文は安子の方の繁會をちよつとのぞいてみることにした。
「今夜は一つ臺灣服を着ていくかな。どうだらう?」

(中略)と、受付の男は两手を擴げて遮りながら咎めた。
「汝リイ、不可々々ムタン〵〳」と彼は下手な臺灣語で云ひ、それから口の中でぶつ〵〳云つた。「仕樣ないな。チヤンまで入り込んで來やがる」

(中略)
「あのひと繁會でも困り者なの。少し頭が變なのよ」
 秋山といふのは昔滿洲ゴロだつたとかいふ噂まである、素狀のよくない男であつた。この男が以前恩顧蒙つたことのある相當の地位の官吏が信者である關係から、そのひとへの忠義立てのつもりで、最近繁會へ出入りするやうになつたのだ。もとより信仰も何もあるわけでなく、牧師の説教を聞きながらいつも居睡りばかりしてゐるのであるが、たゞ椅子を並べるとか人員を調べるといつた事務的なことになるとひどく甲斐々々しく動くのである。それはいゝが、その振舞ひが今夜のやうに兎角粗暴で横柄なので、繁會でも妙なものが舞ひ込んだものだと持て餘してゐるのであつた。
(中略)
「あれはゴロツキみたいな人よ。あんな男の云ふこと氣にしちや駄目。切角のクリスマスですもの、氣を直して參りませうよ」
「そりや、君は氣にならんだらう。内地人だから」
「いゝえ、あの男に頭を下げて謝らせるわ。このままあなたに歸られたんでは、私も氣がすまない。兎に角一度入りませう」
「いやだ。放してくれ」

頁115、二度目の妊娠中の安子が、初産の熱病と子供の死を回顧する場面、
ヨブ記の引用をする場面。

 ヱホバ與へてヱホバ取り給ふ。
 我ら藭より蘄祉さいはひを受くるなれば災禍わざはひをも亦受けざるを得んや。
 この言葉を自分の心から自分の肉體にまでしみわたるやうに教へこみたい。わたしは幸蘄をを愛するやうに不幸をも愛さなければならない。人の世の幸蘄と滿足をあまりにも輕々とわけなくつかんでゐる。つかんでゐると思つてゐる心ほど傲慢なものはないと、わたしは考へられる。

頁143、産まれた女の子(清子)の一歳の誕生日、
十二種類の品を入れた箱から子どもに摑ませ、
将来を占う儀式で、安子がいいものを摑ませようとズルをした時。

頁143
「何取つたか?」
 めづらしく部屋から出て來てその場にゐ合せた祖夫阿山が訊ねた。安子が巻紙を赤ん坊の手からとつて渡すと、阿山はそれを開いて見ながら、フムフムと何か感心したやうに呟いた。紙には、「無名天地之始。有名萬物之母」と書いてあつた。
「見なさい。これ老子の言葉ね。なかなかしやれてゐるね。この子大きくなつて文學者になるよ」
 阿山は安子にむかつて云ひ、それからその場の身内の者達にも同じことを臺灣語で傳へた。
(中略)
「あんたは、づるいよ」
 輕く肩を叩いて小聲で云ひかけられたので安子は振り返つた。景文の本妻の玉簾だつた。
(中略)
「こんなこと狡くてもどうでもいゝのよ」
 と玉簾は微笑しながら云ひ直した。そして、更らに、自分は嫂の氣を悪くするつもりは少しもないのだといふことを了解させるために、いつさう笑ひ顔になつて諧謔的な物の云ひ方をした。
「わたしの二番めに生んだ子の時は、文字のやうな立派なものは取らなかつたのよ。いきなり手を伸して鶏の腿肉をつかんで、ムシヤ〵〳しやぶり始めたの。それで、どんなに丈夫な子になるかと思つたらそれから一ㇳ月もしたら死んでしまつた――それも胃腸を悪くしてね」
 誰も笑はなかつた。先祖の位牌や佛像の前でそんな冗談口をきくのは不謹慎なことだからだ。ところが、玉簾は更に冒瀆的な言葉を口にしだした。
「みんな嘘だよ。佛も藭も嘘。慘阿無佛當燒香サムアプツトンセツヒョウ(非道い、拜む佛もない)といふけれど、始めからそんなものはないんだよ」
「玉簾、何馬鹿なこと云ふ!場所柄をわきまへぬ奴ぢや」
 さすがに家長の阿山も眉をひそめて彼女を極めつけた。
「だつて、ほんとだから仕方ありません」

阿山は阿片吸引癖が治らず、病院脱走阿片窟発見を繰り返して、死にます。

第二部は、成長した安子の一人娘、清子(セコちゃん)や、そのイトコたちも加わり、
ストーリーをさらに重層的にしようとします。セコちゃんは実家と関係修復した母の生家、
内地に行き、その涼しい故郷がとても好きです。涼しい方が、自分は動ける、そう思ってます。
チーバオのほうが似合う体型なのですが、誕生会には和服を着ます。陳清子。

頁249
「かりそめの幸蘄よ。すぐ臺灣に舞戻らなくちやならんもん。家ぢや内地に親戚らしい親戚ないのよ。つまらんわ」
「私の家なんか臺南にお墓が出來ちやつた」
「ユーウツね。人生到るところ禿山あり。内地の秋はいゝだらうな。セコちゃんは二度もいつたことあるんせう。私も登枝ちやんもまだ内地つてもの皆目知らんのよ」
「いきたいわ。セコちやんのきれいなお振袖なんかみると、たまらんわ」
 登枝と道子は同時に清子の美しい姿を見出したが、單純な嫉妬や羨望ではなく、そこに自分たち自身の不思議な郷愁を見出すのだつた。
山のあなたの空とほく、幸住むと人の云ふ――か」
「灣生の悲哀ね」
 二人の少女は表にあらはれたところでは、たゞ冗談めいた調子だつたが、自分でも知らない心のづゝと奥では溜息をついてゐるのだつた。灣生といふのは臺灣生れの内地人といふ意味の俗稱で、そこにはかすかな憐憫と輕蔑のひゞきがある。道子も登枝もこの灣生といふやつだつた。道子の親は臺灣に來てから二十五年になる。渡臺の當座から内地に歸る歸ると云ひながら、けつきよくこの土地に根が生えてしまひ、いまでは内地に歸つても生活の道に自信のない齢になつてしまつた。登枝の家はさらに古く、四十年もむかし領臺後間もなく、彼女の祖父に當るひとがこの南の島に渡つて來たのである。つまり彼女で三代目になり、やがて婿を迎へようとしてゐるのである。かうした人々にとつてはこの植民地はもはや事實上ふるさとであつた。それでも、何だかそれを否定してみたく、べつのほんたうのふるさとといふものが、づつと遠いところにあるといふ意識からのがれることが出來ず、彼らの感情をちぐはぐな卑屈なものにしてゐた。臺灣はむかしの臺灣ではない。脊のびをし胸を張つて歩いてゐる。日本内地に住むのと何ら差違はない。また内地に行かうと思へばいくらでもいけるし、恐らく永いあひだには何度か海を渡ることだらう。それにもかゝはらず第二世である灣生たちは、奇妙な郷愁――堪へ難いほど強烈なあこがれといふのではなく、何か倦怠から生れた悲哀のやうなものを感じてゐるのである。幸ひ住むと人の云ふ――それを彼女たちは東京だと思つてゐるが、それはほんたうは東京でも大阪でもなく、もづと漠然とした、おそらくは植民地化する以前の本來的な自己の姿へ歸らうとする無意識的の反逆であらう。

 やがて、いろいろなご馳走をたべ終ると、芿子は友達にせがまれてピアノにむかひ、ショパンの「ノクターン」を彈いた。彼女達の氣持を察して選んだわけではなく、つひこのあひだ練習したばかりだつたからだ。
 彈いてゐるうちに、樂の音の節々から何かなし物悲しさが波のやうに泡立つて來るやうに感じた。内地、内地……。友達は二人とも知らないが、芿子は少しは知つてゐる。
(お母さんの實家にいつたのは、小學校のときだつた。雪がふつてゐた。ふゞきが雨戸をがたごとさせてゐた。家のなかはあなぐらのやうにくらくて、しめつぽかつた。人間もくらくて、しめつぽかつた。いろりのたき火がもえて、ちらちらと少しあとひとたちをあかるくし、あのひとたちをかわかしてゐるやうにみえた。子供たちはいろりの灰にジャガイモをいれた。やきたてのあついジャガイモを手のひらのうへでころがした。夜はくらいでんきの下で、みかんをたべた。そこのみかんは小さくてすつぱかつた。うすいせんべいを何まいもかさねて針をさしてつりあげるあそびをした。いなかの子供たちはそんなつまらないあそびでも、とてもうれしさうにしてゐた。ひろい土間の土は鄢ざたうのやうないろをしてゐた。土間のうへにござをしいてなわをなふひとがゐた。土間のかたすみにはうまやがあつて、夜中でも馬のはないきがきこえた、これといつておもしろいことはなにもなかつた。そとへでて、のきにさがつたつらゝをぼうでぶつと、ポキッとおれて雪のなかへさゝつた。雪をまるめて、あづきで目をつけ、つばきのはつぱで耳をくつゝけて、うさぎのやうなものをこさえた。「あいや、冷つこいでば、なにおもしえで」と子供たちはわたしもすることをふしぎさうにした。じぶんでもさうおもしろいともおもつてゐなかつた。それでも、なぜかいつまでもその家にゐたかつた。お母さんはほとけさまのまへで手をあわせて泣いてゐた。……これがお母さんの家なんだ。お母さんのふるさとなんだ。だけど、わたしにとつては)
 芿子にとつてはそれがふるさとだつたらうか。さうではない。芿子の體と心を大きくしたものは、陳家の祖父阿山の葬式や、廳堂に吊るしてある新娘燈シンニイチェンや、廟の祭りや胡弓の音だつた。これがふるさとなのだ。だが、さうでないやうな氣もする。(後略)


思うに、確立された漢民族ライフの中で、和式はあくまでオルタナな存在に過ぎず、
もうひとつの何か、カウンターカルチャーな魅力しか振りまけないわけですが、
しかしそれは統治国の文化であり、当然それなりの旨味を伴ってもいるので、
その意味ですりよることには意味があり、しかし、その打算だけではあまりに詰まらない。
(舞台は台南ですので、漢民族/漢語=閩南であり、客家や官話は計算に入れない)
もっと山あり谷ありの話でもよかった気がしますが、本当に日本の文人は政治を語らないな、
というくらいそれを排除しましたので、戦後も読める、フラットで美しい小説になった。
そう思います。以上

台湾カルチャーミーティング出席感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160425/1461529991

<レジュメにあった本 順不同>
東山彰良『流』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160108/1452211952
殿山泰司『三文役者のニッポン日記』 (ちくま文庫)読了
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中島京子『のろのろ歩け』読了
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林真理子『女文士』(新潮文庫)読了
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司会訳『歩道橋の魔術師』 (エクス・リブリス)読了
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『猫の泉』 (日影丈吉選集 Ⅳ) 読了 …『消えた家』収録
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吉田修一『路ルウ』読了
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よしもとばなな『王国 その3 ひみつの花園』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160601/1464726515
『日本文学全集66 現代名作集4 埴谷雄高安部公房中村真一郎藤枝静男他』(筑摩書房)読了
 …埴谷雄高『虚空』収録
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『日本幻想文学大全 I 幻妖の水脈みお deep waters』 (ちくま文庫)読了
 …佐藤春夫『女誡扇綺譚』収録
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160929/1475095150