『家族のゆくえは金しだい』読了

家族のゆくえは金しだい

家族のゆくえは金しだい

相模原市男女共同参画推進センターは図書室も併設されていて、
二ヶ月に一度くらい、ブックレビューも発行しています。
それの五月号で紹介されてた本。

ソレイユ ブックレビュー第61号 2017年5月15日
著者は臨床心理士で家族問題に関するカウンセラー。依存症や摂食障害、DV・虐待などにおいて、信じられない現実が浮かび上がっています。「家屋の絆や愛」という旧来の価値観が幻想であり、その現実を直視し、今ある状態から何とか希望の持てる方向へと変化させるためには、お金こそが重要な役割を果たします。本書は、信頼関係が無くなったときのリアルな事例から、お金をめぐる実践的な打開策を紹介しています。
評者名(苗字のみ)は割愛しました。

依存症は、最も古く、ナレッジが蓄積されてるアル中から、
薬物依存、ギャンブル依存、買い物依存、上では別枠の摂食障害、etc.
DVは、直接的な暴力でなく、財布のヒモを握ることで支配する「経済DV」
それから、ひきこもり。ひきこもりは、高齢化と、たとえ働いたとしても、
親の世代ほどの収入が絶対に得られない、非正規雇用全盛の、現実を直視せよと、
そこから始まっています。

引用し出すと全文引用したくなるくらい面白い本でした。
上のような、崩壊の例でなくとも、建売住宅が売られ、取り壊され、
分割されて二軒か三軒の建売住宅になって、また売られる世相。
前の家の人たちはどこに行ったのか、老人施設、介護施設なのか。
後継ぎだった、子どもの頃は見た、大きくなってから見かけなくなった、
あの子たちはどこに行ったのか。そう思いつつバスに乗ると、
格安永代供養の樹木葬広告。私だって、不安でたまらない。以下後報
【後報】
本書は、まず、架空のモデルケース数例の物語を出し、読者を引き込みます。
たいがいの読者が他人事と思いたい、そしておもしろおかしく消費したい、
親にジャンプ買わせる自宅警備員の物語から始まり、
医療保険の効かない、カウンセリングを虎の子の貯金で受け続けながら、
行政医師保健師家族もひっくるめた縦断的ネットワークの連携で、
夫の経済DV(本書で初めて知りましたその単語)と依存症から抜け出し、
自立しようとする女性の物語、介護、バーバが孫に対象を移す過程を、
同居しながら傍観し続けるかつての対象者=息子、の物語が語られます。
頁44など、心理学アプローチだけで社会学の家族問題に立ち入らない、
医師の暗示に捉われる例も、かなり薄めてですが、出しています。
頁131等で、スピリチュアルやメンタリストと混同されるカウンセリング、
保険の効かない高価なカウンセリング(何が出来るか、でなく、
出来る成果を出しつづけないと仕事が続かないシビアさ)をグチり、
それでも、おそらく従事者の高齢化によりまったなしに近づいている恐怖から、
ノウハウ、ナレッジを、ロハでこれだけ出してやんよ、
と書き続けたのが本書だと思います。悲壮感切迫感が縦横に溢れてます。

頁58
 ギャンブル依存症買い物依存症は、放っておくとどんどんお金を使ってしまう病気であると理解されている。(中略)その人たちはお金を使うことにまったく頓着していないと思われている。
 しかし実際は逆なのだ。彼ら彼女たちはお金を使う決心がつくまで、かなり緊張している。そして買い物をしてから、品物を手に入れてから愕然としてしまうのだ。帰宅後、罪悪感に襲われるのが苦しくて、買った品物をしまいこむのかもしれない。
 依存症(アディクション嗜癖)の多くは、あっけらかんとその行為を遂行できないからこそ形成される。お酒を飲むことが楽しいだけの人は、アルコール依存症にはならない。ある行為に伴う罪悪感や負の感情があるからこそ、やめられなくなるのだ。
(以下略)

『その後の不自由』という本の、不自由を、私は、その後直面する問題、
何度でも繰り返そうとする意志の弱さというか、安堵できる?場所に逃げ込もうとする、
ヘンなふうに形成された習慣、クセ、などの意味と捉えてましたが、作者は、

頁92
 酒や薬の依存症から回復するには、まずそれをやめなければならない。しかしながら、特に女性の場合は、断った後に不調やうつ状態が訪れることが珍しくない。これを「その後の不自由}上岡陽江・大嶋栄子『その後の不自由――「嵐」のあとを生きる人たち』より。医学書院、二〇一〇年)と呼んでいる。

と書き、苦しい状況を乗り切ってきた女性ほどいつも笑顔を絶やさないものだが、
と、続けていきます。

どんどん年をとってくるこどもの、親からオカネを引き出すテクは、
愛情をお金にすり替える世界のパラダイムシフトの反映で、
要求額は、みすかしたように親を破たんさせない範囲、というか、
無い袖は振れない無茶な要求を絶対にしてこないおそろしさ、蛇の生殺し、
で、そのカウンターをどうすればいいか、微調整が必要なので、
ほんとはカウンセリングに来てもらってビジネスであれしたいけど、
少しは書くわ、的な部分だけで、面白かったです。逆のメソッドを出す、
逆のケース(カネはいらないからひきこもりの自分を永劫そっとしといて、
親のアンタのいうとおり働かざる者食うべからずって、自覚してんじゃん)
こっちには金を定額渡してまず契約というものにならさせる、etc.

頁181
「子どもを生むなら男女どっちがいい?」という質問に対する人々の答えが、八〇年代から変わってきた。それまでは「男の子」が多かった。老後を経済的に保証してくれる存在として、息子は期待されていたのだろう。とりわけ母親は長男となれば優遇する傾向にあった。
 ところが、八〇年代の半ばになって、「女の子がほしい」という声が多くなってくる。「将来の介護要員」としては娘のほうがどうもいいらしい、ということになる。生むなら女の子という声が多いのは、東アジアでは日本だけという説もある。八〇年代に生まれた娘たちは今、二〇〜三〇代。拙書『母が重くてたまらない』(春秋社)が広く読まれている世代でもあるが、墓守娘たちの存在が顕在化したのは時代背景ともつながっているのではないか。

親の世代がこの世代よりも富裕で、だからオレオレになるし、
養ってほしい高齢無職の子と愛情を金に置き換えて要求される親になる、
という主張で、それは日本特有かというと、子が家を出るのが当たり前、
の欧米でも、子の世代が親の世代の収入を達成し得ない現状は同一で、
若年層ホームレスが満開なバンクーバーを視察した体験を、頁184、
書いています。

頁184
「底つき」という言葉をご存じだろうか。依存症の臨床ではよく使う言葉で、何も援助をせずケアを撤去して放っておけば、いつか底をついてお酒をやめるだろうという考え方である。アルコール依存症自助グループである(中略)で使われるようになったこの言葉は、酒をやめて生き延びた人たちが、事後的に回想しながら「あれが底つきだった」と語ることで生まれた。しかし彼らの背後には、底をついてそのまま死んでいった膨大な数のアルコール依存症者が存在する。(中略)底つきを待っていて本人が死んだら援助者に責任はないのかという議論が起こり、(中略)ゼロか一〇〇かという判断はそれほど難しくない。べったり面倒を見るか、完全に放り出すかという二者択一ではなく、その中間、どちらにも決められない曖昧な対応こそが必要なのである。(中略)しかしそれは本当に難しい。定式化することができず、個別対応に果てしなく近くなってしまうからだ。私たちが実施している共依存のグループカウンセリングでも、それは難題中の難題だと感じている。

カウンセリングにも、強制退院強制退所みたいな追い込みが、
あるんでしょうか。知らないので。自助グループは、足が遠のいて、
心理的な壁がバンバンある(と感じる)人がいますが、います。

經濟DVもそうですが、頁206の、ホメオスタシスという言葉も面白かった。
緩解、とはまた違う意味なのかな。

頁238
 ドゥルーズ研究者である千葉雅也が述べるように「あらゆるセックスは暴力である」という側面は否めないだろうし、男性の性へのファンタジーに深く暴力が刻まれていることは、いっこうに性犯罪が減らない現実にも表れている。姓と暴力はそれほど明確に一線を画すことなどできないのかもしれない。
 そうなると、暴力性に敏感になったカップルが、セックスをしないことは十分に考えられる。カウンセリングでも、セックスレスであることが必ずしも夫婦関係の悪化を意味しない(かえって仲がいい)という人たちは多いのだ。

どうにもこの本は私には荷が重く、断片的なラレツしか書けず、
起承転結のついたレビューが出来ませんでした。
でも、一回五千円からですか、私もメンタルな相談と誤解してましたが、
実際には経済面も含めた「生存権」にかかわる成長の後押し、
という仕事で、やはり値段が高いので、けっこういい収入のクライアント、
ばっかだろうと思ってたのですが、それが、こんなに、
若者の貧困化とか高齢化する無職親がかりについて警鐘を鳴らし、
そうは言っても自立なんか簡単に出来ない経済構造じゃん、
という感じになってるのが、なんかなんだなと思いました。
高給取りの子の世代でカウンセリング受ける人、少ないのかなあ。
それが現場の声なら、そうなんだろうと。以上
(2017/8/1)