『アルコール・ラヴァー ある女性アルコール依存症者の告白』読了

アルコール・ラヴァー―ある女性アルコール依存症者の告白

アルコール・ラヴァー―ある女性アルコール依存症者の告白

カバー画 阿部真由美
装幀 ハヤカワ・デザイン
解説は某ファミリー研究所(仮名)のトレンディエンジェルというか、カブトムシみたいな名前の人。

眠いです。以下後報

Drinking: A Love Story (English Edition)

Drinking: A Love Story (English Edition)

【後報】
図書館でふと目についたものの、すぐには借りなかったのですが、そのうち、どこで見たか忘れてしまって気にかかるのも困るので、えいやで借りました。
ハヤカワは、ベストセラーアルジャーノンもあるわけなので、こうした書籍も翻訳してるんだなと。
解説者の名前を、個人の意見との前置きで、以前聞いたことがあり、それで自分の中で、色眼鏡が形成されているようないないような気分でしたので、別の人からも情報を仕入れてある程度多角化してフラットにならし、それからこれを書いています。
むかしだったらこうした書籍は、乾いたスポンジが水をしみこむように、一気呵成にむさぼるように読めたものですが、今はどうもそういうわけにはいかなくなっているようです。私もほんの少し時間が過ぎました。

Caroline Knapp Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Caroline_Knapp
この人の名前をグーグル検索すると、右上のグーグルまとめみたいな欄に、現在ならこのくらいのお年だろうなという女性の顔が出てくるのですが、よく見るとその人の名は「ゲイル・コールドウェル」と書いてあって、別人かということで、Wikipediaを見ると、1996年に本書上梓、2002年四月に肺がんが見つかり(喫煙はやめなかったとか)同五月に結婚、六月逝去だったそうです。
解説者がよりによって東電OL殺人事件のOLと作者を対比させているので、さすが以下略と思いましたが、頁14、社会的に適応しているアルコール依存症と書いてアクティヴ・アルコホリックと読ませたり、頁22とWikipediaにもある、"high-functioning alcoholic"とか、どんどんいろいろ出てきます。アルコールの自助グループは匿名断酒会と訳され、ルビで、英語の頭文字二文字がふられています。

頁24
アルコール中毒」とはいやな言葉だ。五、六十年におよぶ、この病にかんする啓蒙にもかかわらず口に出して言うと、飲んだくれの落伍者という古くからのイメージが浮かぶ。年配の男性が紙袋をひっつかんで、よろよろと街を歩いているイメージ。哀れをもよおし、希望もなく堕落している……。酔って、おかしな、愚かなことを仕出かす、滑稽でばかばかしい人間……。
 たとえば『ラーフ・イン』で、ろれつも回らないディック・マーチンや、『ミスター・アーサー』でのダドリー・ムーアの先駆者にあたる『アンディ・グリフィス・ショー』のご機嫌に酔っぱらったオーティスなど。
 現実には、すさんだドヤ街にいる酔いどれなど例外的で、アルコール症者の三ないし五パーセントにすぎない。大半は病気のごく初期段階にいて、ハイファンクション・アルコール症は初期と中期の段階で、長年、生活のほとんどの面できちんと義務をはたしている人たちだ。

この本の最初のほうは、仕事をしながら、同僚とアフターファイブに、ソファのあるようなくつろげるワインバーみたいなところで歓談飲みしたりして、しかしそれは同僚には秘密の、その後の長い一人飲みの夜の序奏で、みたいな感じで、そう書きながらもカッコよさげでしたが、頁30によると、米国80年代は一気に社会が飲酒に許容的になり、そうしたこじゃれた店が蔓延したが、何故か90年代になると、まず禁煙があり、飲み物もペリアペリエがシックになっていったそうで、それを皮肉な目でななめに見る立場に作者は追い込まれていたそうです。自分はランチタイムに酔っぱらってオフィスに戻ってきたりしないし、職場の机にジンを隠したりもしないのよ。その後、ぶっつづけワーカーの例。
章を重ねると、だんだんヒドい過去が出てくるのですが、しかしそれでも、作者自身の話より、知人の体験談のほうが面白いというジレンマがあります。
頁35に、須賀田さんとならんで、ジェイムズ・リー・バーグのロビショーという人、ロス警察ヒルナントカのフリッジョ警部が出てきます。後者はテレビドラマシリーズだそうで、配信捜すのもなんなので見ないと思いますが(ウィキペディアだとフリロ警部となってます。Francis Xavier Furillo イタリア系)前者はまず一冊読んでみようかと思います。

ヒルストリート・ブルース Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41OtqXn75tL.jpg

ネオン・レイン (角川文庫)

ネオン・レイン (角川文庫)

シリーズ各冊いっこずつくらいしかレビューがついておらず、そしてその落差が激しいです。

頁104の、生活をきっぱりと分ける分割、二重三重四重生活というびよきは、なるほどと思いました。正直な一つの生活とは。
頁118、時代なのか、コクーニングを思わせる描写があります。

https://natalie.mu/eiga/film/804386
頁126、上記の映画「偽りのヘブン」は未見です。配信がすぐ見つかるわけですが…
頁130、ドリンク・アンド・ダイヤル。この本は携帯登場以前で、で、アメリカには時差があるので、周囲は寝ていても、起きている人たちの地域が探し出せると分かりました。地域によるのでしょうが。

頁268、リハビリセンターに行く辺りから、どんどん読みました。それまでは、断酒後の時点からマイルストーンを振り返っていることもあり、かつ他人の話が多いので、もどかしかった。最初に自助グループに行った時の印象と、底をついた後の再訪との比較が、正直に書かれていると思いました。依存症のデパートの人とか、次々現われる新手のアノニマスとか、12ステップのコンセプトに対する忌憚ない意見とか、かなり竹を割った感じでバッサリで、面白かったです。そうした内心の声がありながらリハビリセンター以後生真面目に取り組む作者を、解説者が「良い子ちゃん」と書いていて、身も蓋もないと思いました。
頁274、私は以前アメリカ人から、アメリカでは刑務所で自助グループにつながる例が多い、施設はどうのと聞いたのですが、彼の情報は、セル塩の以前のブラジルサッカー観戦事情同様、時が止まっていたのかもしれず、ジョン・アービングの小説で読んだリハビリセンターの後、ハーフウェイハウスと呼ばれる中間施設があることを本書で知りました。作者のリハッブの仲良し六人組、この六人なら絶対大丈夫、のうち、四人が次々に失敗してゆくさまがたんたんと語られます。ジャンプのマンガの戦闘シーンのようでした。残ったのはふたりだけ。しかし、四人も、施設の入所退所を繰り返している状況は分かっていたり、行方が知れなくなったりなだけで、ディックの小説みたいに、逝去逝去のラレツが続くわけではないです。どうなってるのかわからなくなるだけの人が多いので、統計がとりにくく、こうなっちゃうんだよ、という訓戒が脅し文句としかとられない寂しさが、透けて見えました。アメリカ事情。
頁280、ワンデイアットアタイムが語られますが、そのいっぽうで、飲まないでいられる、成功してるのは、依存症ではないからじゃない? みたいな声もまた記されていて、ほんとうにやっかいだと思いました。善意で舗装してるのかなんなのか。そして、

頁280
(前略)とは無縁で断酒をつづける人々もいる。ピート・ハミルがそうだ。二十年以上、一滴も飲んでいない。ウィルフレッド・シードは二、三年間ミーティングにかよい、エンターテイメントのために行っていると悟り、やめた。それでもずっと断酒している。
 だが私の場合、

この本は、ミーティングに出続ける、通う、ところまでしか書いていなく、その会場を支える人たち、開け続けている人たちまでは書けていないのですが、作者のような、まじめな人と、本書ではほんの数パーセントしかいないことになっている、ドヤで生き延びた人たちが、多くの場合、支え手ではないかと私はぼんやり考えています。前者の例として、サバンナで狩りをするライオンは多くの場合雌で、牡はだらだらしてる、と比喩するとそれはまた違うのでしょうが… サービスまでが体験として読めるといいのかもしれませんが、それは別の刊行物で読むのかもしれません。以上
(2018/6/28)