「ムクシン」"Mukhsin" "木星的初戀" or "穆克信" 劇場鑑賞(シアター・イメージフォーラム 没後10周年記念 ヤスミン・アフマド特集 Yasmin Ahmad Retrospective)

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今回のイメージフォーラムポスターの、本作品のカット。この後、ムクシン(右側の男の子)はワイヤーで吊られて、この世でない何処かへ逝ってしまう。のですが、それって、イスラム教じゃないっぽいですよね。仏教もしくは、キリスト教でしょうか。その辺は次作「ムアラフ(改心)」につながっていくと。

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予告編があったので貼ります。お手伝いのデラックスさんは同じですが、パパママは若いです。オーキッドは小学生か中学生。おっぱいネタが、一卵性母娘のあいだで冗談めいて英語で会話されます。ティティ。ママは英語大好き。パパは演奏家で、浪費家なのか? 何者なんだろうこの人。ソファーの場面とか見てると、クズじゃないかとも思う。

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2006 第4作
ムクシン Mukhsin
2006|カラー|97分|出演:モハマド・シャフィー・ナスウィブ シャリファ・アルヤナ シャリファ・アマニ
ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門審査員グランプリ
オーキッドは10歳、ムクシンは12歳。夏休みに出会った二人はすぐに仲良くなる。ムクシンは、オーキッドに恋心を抱くが…。それぞれの抱える家族や近隣者の悩みを浮び上がらせながら、幼い2人の思春期の入口の輝きを描き出す。
提供:Primeworks 協力:国際交流基金

 Mukhsin - Wikipedia

2012年の新百合ヤスミンまつりでは上映してなかった作品。この監督の、ものっそ強い自我がよく分かる映画。「細い目」「グブラ」と、ちっさくてかわいいオーキッドが所狭しと走り回りますが、この映画の少女時代のオーキッドは、同年代の中では発育がよくて、例の、男子にまじって荒っぽい遊びをするほうが女の子同士の遊びより好きで、年齢的にも男子より強いという時代です。これオーキッド違いちゃうんと思いましたが、いろんな人のブログなんか見ると、監督三姉妹すべてがオーキッドのモデルらしいので、こういうオーキッドもいるんだと。ジョナサンとジョセフと承太郎の三人オーキッドがいる。

ヤスミン・アハマド - Wikipedia

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エンドロールで、快復した父親と母親のピアノ演奏かなんかを、監督初めスタッフ全員が囲んで歌い踊る場面があります。ハンディカム持ってるのが日本人かとも思いましたが、分かりません。ここで対比物とともに登場する監督は、デカいです。和田アッコか、吉田沙保里か、大林素子かという。こういう人のJK時代から働き始めの頃があのちっこいオーキッドって、それは違うだろうと。監督には、精神的なパワーを裏付ける、フィジカルパワーもある。マッスルマッスル。

で、そういう人が、「細い目」で、華人系に "一见钟情"(ひとめぼれ)する伏線として、マイエレメンタリースクールデイズに一度華人系の子と淡い何か感情の交流があった、と言う前にまず、でも初恋はその前の夏休み期間のマレー系の子とだけどね、と云うために作った映画。まわりくどいですが、それだけ、前々作がマレー半島島嶼世界に巻き起こした反応はデカかったのかと。

ので、ムクシンはその淡い初恋の相手、字幕では「マクシン」です。オーキッドは、無口で、相手に怒るといきなり殴りかかるような凶暴な女の子。いちばん上に貼った、一面の夏の水田をバックに、マレー人の伝統衣装で座って記念写真の場面は、夢かと思いました(夢です)

この映画のオーキッドは、華人学校に通っているのか、華語クラスなのか分からずぼーっと見てましたが、冒頭教師と普通話(國語)で会話しております。広東語じゃない。そこでニーダズオイエズオウェンズオハオラメイ、作文書けとかなんとか言われるんですが、これは私も中文で作文の宿題があるので、アタマ痛いです。この日記の、風呂戦かカシマモツ煮紀行を改変してごまかそうと思ってるのですが、なかなか手が動かない。それはさておき、中文を習う理由をムクシンに聞かれ、オーキッドは「マレー語はもう話せるから」と字幕で出るマレー語で答えてますが、この子は母親との会話では完全英語なので、それも理由としてあると思います。マレー語と英語は出来るので、あとは漢語だけ(ホントはタミル語とかもあるわけですが)オーキッドの部屋に絵がイーゼルに立てかけてあって、ムクシンと出会った頃は、"一个男孩" (ひとりの男の子)と、絵の下に簡体字が書かれていて、それが、中盤になると、"讨厌这个男孩"(この男子キライ)になります。冒頭の教師との会話以外もう漢語が出ず、音声の会話はマレー語か英語なので、オーキッドのもうひとつの心の声は、ひそやかに表意文字で表されるのです。レターでなく、キャラクター。周囲に誰も理解することのない言語。

オーキッドとは、このように押しが強い女の子だったんだなと分かったところで、私は「セペット(細い目)」を観ました。以上