『誰でも、言えなかったことがある 脛に傷持つ生い立ち記』読了

 山崎洋子を読んでみようシリーズ ファイナル近し。

誰にでも、言えなかったことがある ―脛に傷持つ生い立ち記―

誰にでも、言えなかったことがある ―脛に傷持つ生い立ち記―

 

 書き下ろし。カバー装画 安藤ニキ デザイン 原田惠都子(ハラダハラダ

<編集担当>松原淑子 三章構成で、各章扉に著者のその時期の写真

山口瞳の『血族』みたいな話かと思ったのですが(デビュー作が遊郭の話だし)そうではありませんでした。しかし、家族構成がこみあってることは確かです。父方の祖父は三回結婚した男。父方の祖母は天橋立で入水自殺。母方の祖母は離婚再婚。父は五回結婚した男。母は生後間もない著者を置いて出奔。父も蒸発。父の後妻に著者は育てられるが、典型的な使用人扱いというか、ままこいじめを受ける。後妻はその後再婚、二次性徴を迎える頃、著者は義父やその連れ子の目つきに気づき、同時にそれが実家の耳に入ったのか、母方の祖母の手引きで実母のいる東京へ家出し、義務教育後の人生を始める。上記メンバーのうち、酒癖の悪い人間も何人か登場しますが、誰と誰か忘れた。父親の最後の結婚が八十一歳で、結婚相談所を通しての相手探しで、見つかった相手は年上だったというのが、何かの隠喩かと思いました。ちなみに江田島出身だそうで、知人から「戦争ですべて狂った」との評を頂いたとか(死後)

記憶にフタをしてるらしく、思い出せないことが多く、催眠療法で高額なお金をかけてもその記憶は出てこなかったそうです。

養育者の実子より頭がいいと養育者が不機嫌になるので学習放棄したとか(それで後年、38歳江戸川乱歩賞受賞で作家デビューするのですから、人間いくつになっても新たな人生は努力で切り開けると言っていいのかも)しかし図書室だけが嵐の中の安息所だったので本は読んだとか、『橋のない川』はエンタメとして面白いので一気呵成に読んだとか、光る記述は光る。

高卒で広告業界で働き始めるも、大和からギロッポンや赤坂に通っていたので、通勤ストレスで死にそうになり、二十一歳で寿退社。結婚するが離婚。五歳になる息子は、離婚後即見合い再婚した元夫が手放さなかった。成長した息子と再会後、誕生日と正月にメールを送って返事をもらう。著者は息子にそこで「山崎さん」と呼ばれている。でもなにものにもかけがいのないほどうれしい。これが第二章。

第三章は、再婚した14歳年上のセコハンハズが癌でなくなる話(散骨の為骨を砕く場面含め)母が認知で施設に入る話。自身の老いの話。頁160で、安楽死合法化必要としていて、賛成ですけど、あの党もまたなん中華本中華と思ってます。N國黨やれい選ほど話題になりませんでした。最後は野毛とのつながりから始まって、寿とのつながり。ドヤに二度泊まった経験を書いています。締め切った部屋で冷房最強にして凍死する例はダテじゃないんだとか。

しかし、私が最初から気になっている、華人ワールドとのつながり、その由来は、ありません。そんなもの最初からなかったのか、あるいはそれも語れないことなのか。独身になってから「恋もあった」そうですが(あとがき)その五文字しかないので、どんな恋だか相手はどんな人だか、さっぱりさっぱりです。以上