『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』読了

おせいどんアドベンチャーこと田辺聖子の杉田久女評伝。序章終章をはさんで十五章。それぞれ久女の句が添えられてます。あとがきあり。参考資料文献一覧あり。初出不詳。装画 岡田嘉夫 装丁 安彦勝博 読んだのは二刷。単行本。

 花衣ぬぐやまつわる… : わが愛の杉田久女 (集英社): 1987|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 山崎洋子サンの杉田久女紹介文で出てきた本。ほかに、松本清張の『菊枕』と吉屋信子の本が出てきた記憶があり、前者は読み、後者は図書館にないので読まなかったはずです。

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お聖さんの與謝野晶子伝は、スケコマシの鉄幹に翻弄される複数の女性のうち、もっとも才たけてかつもっともぶさいこ(うそです)なアキコの物語というふうに読みましたが、本書はもう少しとらえどころがないです。最初から「狂女」と周知されてる女性を題材にしたので、どこでボーダーを越えさせるか、そろりそろりと書いてる感じ。

松本清張はアンチ久女の人からしか取材しなかったのではないかと書いてますが、その一方で、小倉という黒いダイヤの街の気質について、気質で人を切り分けるのは非科学的だけれどもとしつつ、小倉をDISってますので、それで考えると、松本清張が久女を貶めたのは、小倉をバカにするなという想いからだったのかもとも思います。

お聖さん的には、吉屋信子は、モデル小説でもなんでもない実名直球小説なのに、事実と異なる印象操作を施したり、タチ悪いとしてますが、私は未読です。図書館にあったかな。

序章で、久女の父方の郷里の松本郊外の、分骨された久女のお墓を訪ねるくだり、お墓より、信州の宿のおかみさんと関西人の著者との、会話になりそうでならないカオスな状況描写が効いてます。私が読むに、吉野源三郎とかの流れで、信州人は教養が深いので、お聖さんにはりあってしまったのかと思いますが、お聖さんはそうはとらず、これが信州人気質としています。そして久女も信州人であったと。

しかし久女は、西南戦争でヤケコゲの薩摩を振り出しに、琉球、台湾と、官吏である父の異動に伴って中華圏やら南方やらの異文化を次々に受容し、お茶女で花嫁修業をした後、縁があって見初められ、愛知県の三河豪農の出の、美術教師の旦那と結婚し、ハズの奉職先の関係で、小倉に住みます。明治なのに豚肉とか南国果実に慣れてる日本人は、珍しいと思います。そういう人が小倉に押し込められて、男尊女卑?の九州で生きるわけなので、何かあるかもという気にはなります。でも信州人気質とはちがうと思う。

以下後報です。

【後報】

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(2020/7/11)

頁76

目の下の煙都は冥し鯉幟 

 工業都市小倉を「煙都」と呼ぶとは知りませんでした。久女が勝手につけた名前かもしれませんが。考えてみると、こういうひとり合点の歴史の末に、彼女の結末があったのかもしれません。お聖どんアドヴェンチャーは、久女の十年前に森鴎外ソーガイが軍医部長として小倉に赴任し、『我をして九州の富人たらしめば』『鴎外漁史とは誰ぞ』『和気清麿と足立山』を在任中に書き、帰京後『🐓鶏』『独身』『二人の友』を書いたそうです。「此地の醤油と未醤と皆不熟にして食ふに堪へず」(頁78)麻生醤油は試さなかったのか、当時まだなかったのか。久女のハズも小倉の味噌はダメで、故郷岡崎の八丁味噌を取り寄せていたとか。鴎外は小倉人を「慧黠」(頁100)と呼んでいて、お聖どんアドヴェンチャーは、久女はそれに激しく反発していたのではないかと言ってますが、そうなのかな。お聖どんアドヴェンチャーの関西人感覚と九州は、そんな違わん気もします。信州だと、ちがうと思いますが。

kotobank.jp

慧黠_百度百科

 頁143に竹下しづの女という俳人の代表句が出ます。私もぎょっとしました。

頁143

短夜みじかよや乳ちちぜり泣く児を須可捨焉乎すてっちまをか

 中村汀女が頁174登場し、その時はまだ本名の破魔子だったとあります。破魔子、かっこいいと思いました。また、江津湖の風景描写が美しいです。今はどうでしょうか。

ja.wikipedia.org

kumamoto-guide.jp

 頁199、久女は酒が飲めないそうです。そういう句もあるとか。

頁199

春寒やうけしまゝ置く小盞さかずき

頁205、高浜虚子の句に、与謝蕪村の下記の句のパロディじゃないけど何と言ったか、インスパイアですか、そんなのがあるとか。

頁205

酒を煮る家の女房にちょとほれた 

 頁210、久女の、おかしいといえばおかしいふるまいの箇所が登場します。久女はよく他家を訪問するのですが、行くと長っちりで、なかなか帰らない。夕餉の時間になっても帰らない。家で夕食作らなかんのちゃうんと聞かれると、子どもも炊飯くらい出来るようになったので助かると答え、久女のぶんも晩飯用意せんならんかなと忖度しだすと、それは察して、久女自身は弁当持参なのでお構いなく、呼ばれしませんし、と答えるそうです。(橋本多佳子へ)橋本多佳子はカネモの分限者と結婚してるので、お手伝いさんが子どもの相手も夕食の支度もするのですが、弁当持参のエエ年の女性客がずっと居座ってると、関白の亭主のご帰宅時何言われるか気が気でなくなるという描写です。こういう、人情の機微がどうも人とずれてるといえばずれてるのかなと。

ぜんぜん関係ありませんが、山口誓子のカラフト紀行の句集でしょうか、下記を読んで宇多田ヒカルを思い出しました。

頁237

ほのかなる少女のひげの汗ばめる 

 すばらしいですね。

頁259、英彦山権現が登場します。廃仏毀釈で徹底的に破壊され、修験道禁止令で山伏たちは山を降りてちりぢりになったという。それ以前は霊元天皇の勅額が鳥居にかかる権現社だったとか。最近読んだ梨木香歩『海うそ』を思い出しました。

英彦山神宮 - Wikipedia

そこを近くに住んだ久女はちょくちょく登るのですが、なんとなくクレヨンしんちゃんの作者の晩年(地元埼玉の山で滑落死)を連想しました。

お聖どんアドヴェンチャーの結論として、久女は高浜虚子が「刊行に寄せて」みたいな文を書いてくれなくて、自集出版を断念して、やっぱりそれがデカい、ということです。自集のない俳人が後世に名を残すのもゴイスーですけど。私が読んで思ったのは、いちばんキラキラ光ってた、充実してた時代に、自分が責任編集の同人誌を四号で放り投げたこと。こういうことをやる人は、自分もそうですが、後でワリを食うです。因果応報。光あるうち光の中を歩め。以上

(2020/7/17)