『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』(集英社文庫)読了

表紙イラスト/安彦良和 解説/鎌田慧 カバーと本文デザイン/高橋健二(テラエンジン) 

戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」 (集英社文庫)

戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」 (集英社文庫)

 

単行本は2006年新人物往来社。2009年新人物文庫。集英社文庫版は、大幅加筆再編集とのこと。単行本あとがき、文庫版あとがきにかえて、それからの「新章」収録。主な参考文献巻末記載。

戦後最大の偽書事件 「東日流外三郡誌」 (集英社文庫)

戦後最大の偽書事件 「東日流外三郡誌」 (集英社文庫)

 

東日流外三郡誌 - Wikipedia

和田喜八郎 - Wikipedia

「東日流」と書いて「つがる」と読むんだそうで、私は「日流」だけで「ツガル」と読むと思い込んでいて、「東日流」を「ひがしつがる」と読んでました。"日喀則"と書いて「リカゼ」と読まず「シガツェ」と読むようなもんで。

私が『東日流外三郡誌』を知ったのは、本書で作者ら偽書派とバチバチのバトルを繰り広げる擁護派の大物古田武彦からではなく、一ヶ所だけ名前が出てくる佐治芳彦経由だったと思います。竹内文書やホツマツタエ、九鬼文書といっしょに書いてあったと思う。本書によると、和田家文書は非常に気前がよく、あれがないといえばあれ、これがないといえばこれと言った具合に都合よく文献が現れるそうですが、佐治芳彦がたぶン書いていた、『東日流外三郡誌』には神代文字がまだないが、十三湊を浚渫すれば北のまほろばの一環として、神代文字(漢字渡来以前から日本にあったとする文字の総称。代表として、平田篤胤なんかが阿比留文字と読んだ呼んだ、ただのハングル等)が出てくるかもしれない、というロマン提起に応えて、即座に神代文字を創作することまでは出来なかったようです。残念閔子騫

神代文字 - Wikipedia

古史古伝 - Wikipedia

作者は八戸の人間で、南部なので、津軽偽書を暴くことに対し、「少し荷が重い」(頁65)と書いています。南部と青森は対立しているので、その対立構造からモチベーションが生まれるなどと説明されてはタマランといったところでしょうか。青森県庁があるのは青森市だが、青森市は市役所である。八戸は市庁舎である。八戸のほうが格は上である。などと真顔で語る八戸人の反ツガルキャンペーンと思われたらかなん、という懸念なのか。

頁73、作者も、岩木山一帯は中世の一大製鉄コンビナートで、かつ南北貿易のターミナル基地だったとしています。南北というのは北海道アイヌ大和朝廷江戸幕府、大名。そういう、「中央に征服される側としか歴史に登場しなかった東北」でない、オルタナな視点を渇望する人たちには、東北にも燦然と輝く古代王朝があった、という主張が忍びこむ余地があったと。事実かどうかでなく、受け入れたい心情。

アラハバキ - Wikipedia

アラハバキという神さまのイメージが遮光器土偶になったのは『東日流外三郡誌』の仕業だそうで、そう言われるとそうなのかと。そもそもアラハバキ知らないので。オシラサマと同じくらい知らない。本書にはこの偽書が契機としてアラハバキ=遮光器土偶がビジュアルイメージとして確立された、とまでは書いてないのですが、ウィキペディアにそう書いてあった。

そういう事件はほかにもありますと。下記。

中居屋重兵衛 - Wikipedia

旧石器捏造事件 - Wikipedia

頁181、縄文土器と同じ土を使って、さらに土器を砕いてその破片を混ぜて土器を贋作すれば、炭素測定法などでも見破れない、というテクを紹介してます。ページ忘れましたが、紙に炭をつけるとか尿を擦りこむとか、古美術品を味噌につけるとか、青山次郎も顔負け?の匠の技があちこちに。

共同通信誤報はわりと長く書いてますが、朝日新聞のトバシ記事というか、ミスリードな見出し(頁288)は、本文を引用せず(させてもらえなかった?)訂正記事掲載があったことを、事実関係として書いているだけです。

 文庫表紙は安彦良和ですが、頁300に下記漫画が出てくるので、とり・みきが表紙でもよかったのではと思いました。

石神伝説 1 (文春デジタル漫画館)

石神伝説 1 (文春デジタル漫画館)

 
石神伝説 3 (文春デジタル漫画館)

石神伝説 3 (文春デジタル漫画館)

 
石神伝説 2 (文春デジタル漫画館)

石神伝説 2 (文春デジタル漫画館)

 

 日本の伝奇漫画として、ここのページに、宗像教授と妖怪ハンターの名があげられています。前者はともかく、後者はどうかなと思いましたが、花咲爺論序説からの一連の展開は、じゅうぶん伝奇だと後で思い直しました。

 丹念に追いかけて、多方面から追い詰めていっているのは分かるのですが、ルポ、読み物としては、相手の人物像が、ほとんど語られないので、そこが弱いというか、逆に、読んでる私の野次馬根性を強く感じました。和田サンは、誰かのセリフで「三白眼」とあるくらいしか特徴書かれてないです。両者の腰を落ち着けての直接対決が、勿論相手が居留守なんだかなんなんだかで、実現していないせいもあるでしょう。それに、作者も、会社勤めで組織の一員ですし、訴訟とかになったらイヤだなとの思いもあったのかもしれません。あと、個人攻撃や人格攻撃をを是としなかったのかも。

それから、最初読んだ時気になって、次に読んだ時にはそれほど気にならなくなっていた、ブン屋らしからぬ文体をメモしておきます。

頁160 

 外三郡誌をめぐる事件の大半がそうなように、この騒動にも後日談がある。一年後の一九九五年四月、問題の御神体が何者かに盗まれてしまったのだ。手口は白昼堂々と神殿の鍵をこじ開けて持ち去るという大胆な ものだった。犯人はまもなく逮捕されたが、けちがついた御神体の何が魅力的だったというのか。最後までお騒がせの御神体だった。

 捕まって分かってるんなら、「なにものか」ではなかろうと。で、どういう人間がどういう動機で盗んだのかは書いてない。

頁167

「私はその真偽については知りません。とにかく、文庫にあったものを歴史の“資料”として提供しただけなんです」

「わたしは代々、『中山文庫』に納められてきたものを、こういうものがありました、と欲しがる人に差し上げてきただけなんです」

 まるで、だれかの言い分と同じだった。

 そう、和田その人である。(後略) 

 二行に分けずとも、和田の言い分と同じではないか、と一行で書けばよいのではと最初思ったのですが、口語的なけれんみを残した書き方が、ブン屋らしくはなくとも、この人のこの本の持ち味のひとつなのかもなと、二度めに読んで思いました。

こういう演劇的な書き方をするなら、もう少しものがたりとして、波乱万丈ストーリーテリングの起伏をつけて、当事者同士がドラマのように会話してもよい気もしました。でもそれだとくさいか。

頁404、当時産能大教授で、偽書派の安本美典が自身の季刊誌に書いた言葉を引用していまして、私もそれを引用します。

頁404

 私たちは、ともすれば、優しい心をもつ。だれに対しても、優しくありたいと願う。そして、ともすれば、常識性のなかで、ことを判断し、処理したいと願う。できれば、あらそわずに、事をおさめたいと願う。しかし、この優しい精神は危険である。常識性を、はじめから無視する人、あらそいを厭うよりむしろ好む人は、この優しさに乗じて、人心を支配する。優しさのゆえに、沈黙してはならない。独断と、歪曲と、ゆえなき批判攻撃とに、真実にいたる道をゆずってはならない。

(「古田武彦氏の議論の本質」『季刊邪馬台国』七十九号、二〇〇三年)

で、この安本センセはこんな人。

安本美典 - Wikipedia

例えば、筆ペンで書いてるのに、江戸時代の写本の多くは筆でなく竹で書かれていた、という専門的なポイントから反撃するなどは、上策でない反論方法だったと思います。あまりにあからさまな、大胆不敵な攻撃に対処するに、どうだったのか。こうやってカネを稼いでいた人が、とりあえず死ぬまで稼げていたというのもえげつないと思います。その分騙されて損した人が増えたわけで。

なんとなく読んでみた本です。以上