時代的には検印廃止後ですが、この本の奥付は、省略しないで、洒落た印で検印してました。
シンプルな表紙ですが、函にもっとカラフルな絵が描いてあるようです。画像検索で古書店のが見れます。帯も。
坂東眞砂子の児童書から伸ばして、読もうと思った庄野潤三のオニイサンの本。
畦地梅太郎の随筆と同じ出版社、同じカテゴリーでした。
スキーナ河の柳 (創文社): 1976|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
著者の娘さんがバンクーバーのブリティッシュコロンビア大に留学してた時知り合った日系三世の娘さんが来日したので世話してるうち、その子は神戸の貿易会社に就職し、縁あって著者は彼女の郷里でクリスマス休暇を過ごすことになった、その訪問記。
上の地図の左に見えるプリンス・ルパート、右に見えるキトワンガも本書に登場します。かつて作者は紀州移民の豪州組について、聞き取り取材をしたことがあり、もうひとつの大規模出稼ぎ移民先であるカナダにも興味があったとのこと。ジュディ(三世の娘さん)の父親は日本語で喋る時関西弁(本人によると和歌山弁だが、作者が聞く範囲では和歌山特有の単語はないとのこと。頁54)ですが、特に専門的な聞き取り、潜水病がどうのといった部分は、本書には入れてません。あくまできれいなホワイトカナダ探訪記です。日系人社会と、カナダインディアンと、白人。
カナダの食事も、漬物や焼き魚などの、ジュディのお母さん手づくりの、現地日系人家庭料理日本食も堪能します。カズノコや子持ちコンブが豊富にとれ、マツタケもほとんど手付かずだった時代です。魚の名前は、英語のヘレンだったりします。景色が、写真なぞ一枚もないのですが、ほんとにきれいだと想像できます。冬の森林地帯と河。
ところどころ、メニューや家族名、教会のクリスマスミサの構成、唱歌名など、英文でづらづら並べてあります。頁65、ある日系人家族の名前で、すみれが英名ヴァイオレットなのか、などと読んでいたら、レイコという名前が、"REIKO"でなく"LEIKO"で、はっとしました。エル音になる(聞こえる)のだろうか、レイコは。
ホストのジェームス(ジュディの父。日系二世)は酒好きで、ビールは水代わり、サケの熱燗もやりますが、ウイスキーも好きそうで、キャナディアンクラブ(ママ)より「アルバータ・スプリング」という銘柄のほうがうまいんだそうです。検索してみると、その銘柄名ではもう作ってないみたいで、後継のアルバータ・プレミアムになってる感じでした。
頁46
日本の着物風にデザインした服を着た奥さんが出迎えてくれた。ジーンは日本語を話すことができなかった。
このジーンさんがジェームスのワイフ、ジュディのママです。
頁46
ジェームスは、私に日本語でさりげなく、
「ワイフは中国人です」
といった。
この会話のあとに、サシミや煮つけ、漬物などのジーンさんこころづくしのメニューで饗応される場面があり、家では日本の時が止まった戦前戦中の懐メロが途切れなく流れている光景の描写があります。頁55、ジェームスも、その父祖の和歌山人も好きだというお粥をジーンさんが作って出しますが、著者によると、水90%のお粥だそうで、大阪人の庄野サンには水っぽかったとあります。南の中国のお粥でなく、北の"薄飯"ではないかとも思いましたが、和歌山のお粥も薄いのかもしれません。そうでなければ、好きだというはずもない。
頁77、当地のボクシングデー、クリスマスのおごちそうの残りやプレゼントの残りなんかを、箱に包んで分け与える日なんだそうで、作者はボクシングの試合を観戦するのかと勘違いしますが、私は読んでいて、義和拳教のこと考えたりしました。ちょっとズレた。
頁126
私は今夜、町の中国レストランに家族全員をお招きしたいと話してあった。ジェームスは始め遠慮していたが、それではということになった。(略)ジェームスは、ジーンの日本料理のレパートリーがたくさんあるので、もっとワイフの日本料理を食べてほしいといっていたのであった。
(略)町に一軒だけあるダウンタウンの中国レストランへ出かけていった。ジェームスはアキタさん同様、中国料理のことをナンキンといい中国レストランのことをナンキンメシ屋という。このレストランは数年前フィリッピンから移住してきた中国人の経営で主人は一日十五・六時間も働いてよくもうけていると説明した。
店は時間外れで客は居らず、主人の奥さんと色の白い奥さんの妹が出てきた。妹の方は色の白い美人で福建語を話しだし(略)
私が、紙片に料理の名を漢字で書いて注文し筆談する。ジェームスが驚いて眺めている。漢字が中国人と通じあうことを意外のように思っているのだ。(略)私は二人の中国人女性と漢字を書いて冗談をいいあった。ジェームスは、私に中国語もできるのかと訊ねた。私は数語しか分からないのに、彼は私がうまいのだと思っている。
庄野英二さんは兵隊にとられて中国に行っていたので、そういうところの文章がどこかにないか、あれば読みたいというのも、私が読み始めた動機です。
この会食の料理名は記されていません。ちょっと、読んでみたかった。
頁130
私は失礼にならないように細かく気を配りながら、彼の結婚までのいきさつについて訊ねてみた。
ジェームスはあっさりと語ってくれた。ジェームスはカンループスで、タクシー会社に勤めていたことがあった。社長は中国人で、その娘のジーンもオフィスで勤務していた。そんな関係で知りあいになり次第に仲よくなっていった。初めての口づけをしたのはデイトで森へ行った時のことだったともいった。
二人が結婚を約束してから、ジェームスは自分の姉の家を訪ねていってそのことを報告した。
姉は、
「お前はミーを一生泣かす気か」
といった。当時、日本人が中国人と結婚するということは、おおよそ考えられない時代であったのだ、とつけ加えた。
本書には、英語まじりの日本語などでない、バンクーバーの日系人だけの集まりがあること(ユーでなくオンシャ、ミーでなくワイタというとか)や、温水プールでジュディの末弟と存分に泳ぐ場面などもあります。総じて穏やかな味わいの本で、六十代の著者の、落ち着きをわけてもらえます。
いい本でした。以上