『私の休暇 木曜島と木曽開田』庄野英二_人文書院 読了

私の休暇 : 木曜島と木曽開田 (人文書院): 1979|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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昭和五十四年春に木曜島を訪ねた旅行記と、夏に木曽開田に建てた六坪の小屋で過ごした滞在記を、秋に本にしたもの。作者はそれぞれ題材にして小説『木曜島』『いななく高原』を書いていて、その縁です。

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ひとり旅、ひとり暮らしで、前者の旅はともかく、後者のいなか自炊生活は、おすそわけもたくさんもらっていますが、食材ぜんぶ近所のスーパーで買うわけですから、けっこう高くついたんじゃないかなと、三食ぜんぶメニューを書きこんでるので、読んで思います。風呂は五右衛門風呂(作者の幼少期もそうだったそう)

しいたけの原木植えたらぜんぶリスに喰われたとか、小屋の一隅にハチが巣を作ってしまって、何度も刺されたのち人に頼んで駆除してもらい、もちろん長野県なのでハチの子は珍味なのですが、作者は関西人で、ピンセットで六角形の巣穴からサナギをほじり出すのがめんどいので人にゆずるとか、そんなん。

魚はタナビラというのがぽんぽん出てきて、検索するとアマゴだとか。御嶽山が噴火したので、彼の地はどうだろうなあとあとがきで書いてます。「信州のチベット」だそうで。でも松本ぼんぼんの時は当地もぼんぼん松本ぼんぼんぼんと一色になっています。

あとがきで、作者は、作者以外の登場人物(すべて実在)のプライバシーに関して、どこまで書くか書かざるかの問題はあるよなあ、と投げてますが、木曽だとどこだろうなあ、と読んで、先祖代々種をとってまた播いて、麻を育てて麻布を織ってきた老婆の麻畑が、何度も大麻目当ての盗伐に(ノд-。)あぅ。。遭う場面。これ、書いちゃった、てへぺろだと思います。21世紀の今では、地産地消で麻布織やってるとしたら厳重管理だろうな。

あと、当地では、おみなえしを盆花というそうで(頁158)お彼岸より先に咲くのかなあ、高原の夏は短く、秋が早いのだなと思いました。

木曜島は、まず、当地ならではの御馳走が、21世紀の現代では、ワシントン的にNGだと思いました。あと、庄野サンは英語が話せるので、あちこちでオージーと「マイ、ネクスト、シャート」と言いながらおごりおごられをしています。「次は私のリーオゴ」くらいの意味らしいのですが、よく分からないので検索しました。

"My next shout" 「叫ぶ」のシャウトらしいです。イギリス英語とのこと。キーウィも使うのか、ニュージーランド英会話でもヒットしました。

日めくり3分英会話 - 長田陽子 - Google ブックス

ジャテという単語がやたら出るのですが、最初の一回目だけカッコで邦訳がついていて、あとはただジャテとしか書いてないので、最初の一回目をぱらぱら後戻りして探しました。頁30。「波止場」の意味だそうで。

jettyの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

庄野英二サンが聞き取り調査した木曜島の水夫は熊野出身中心なのですが、頁38、現地で志摩名物の手こねずしを呼ばれます。この料理は森田信吾の『駅前グルメの歩き方』番外編、モーニンググルメ増刊収録読切で登場した料理なので覚えています。単行本未収録のはず。

頁42、木曜島の邦人はWWⅡ当時抑留されていたのですが、自身を中国人と偽って逃げていたものもいたとか。作者のカナダ滞在記の邦人とだいぶ違うなと思いました。中国人の亭主と結婚してバリバリスーパーマーケットを経営する邦人二世女性も出ます。

当地の、旅行時点での日系企業(真珠かな)の日本人社員は、全員天草の出だったとか。高校生に見えるが、水産高校もしくは大学の水産学部卒だったとか。

頁87、ポートボレスビーから来た華僑から聞いた話として、パプアの治安の悪さの話がでて、独立後どんどん治安が悪くなったが、その要因のひとつが、殺人罪の刑期が三ヶ月というのがあるとありました。邦人は金持ってるので、狙われるとか。夜間外出危険。しかし、三ヶ月の懲役だと、新幹線ナタ男は何回犯行すればよいのだろうか(答えは、改悛して一度もするな、でしょうか)

この本ものんびり読めました。どうもこの庄野英二さんの本は、らくに読める。えがたい特徴です。

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以上