読んだのは単行本。装幀 平林育子 中表紙は大所帯の家族の集合写真なので、触れません。舞台となるお店は、その名前で検索して出ないので、そこまで。1992年の本ですから、もうそこになくてもおかしな話じゃない。
表紙のことば
中国人として生まれ、新日本人として生き始めた残留孤児二世の若者たちの、恋と帰郷と家族をめぐる物語
むかしも読んだ気がしてたのですが、今開いて、初めて読んだ感じ。凄いと唸らされました。残留孤児の物語を紡ぐことで、はからずも、中国農村の営みと、そこに暮らす人々の感情が、これまでに読んだこともない角度から、みぞおちにねじりこむような感じで抉えぐってきたです。
奥付に副題は書いてないので、この日記のタイトル書名にも副題は入れません。
何もないのも寂しいので、中国タバコのパッケージを置きます。まずハダメン。
頁24 第一章 サンザシの村を探して
「私の中には、二人の年齢の違う人間がいるの。
一人は十一歳のとき日本にやってきて、去年成人式をむかえた日本人の満智子です。そしてもう一人は、十一歳のときに故郷を出てそのまま大人になるのをやめてしまった、中国人の成蓮です。私の中には二人がいるの。中国人と日本人。私の中には、だから、ふたつのコトバがあるの。中国語と日本語よ。ふたつの違う国のコトバよ。
満智子がしゃべる日本語は完璧じゃないけど、二十一歳の女の人のコトバですよね。私の年齢に見合ったコトバだろう? そうよね。
でも、成蓮は違うわ。なぜかというと、成蓮は十一歳の子供のコトバしかしゃべらないもの。見た目は大人なのに、私の中の中国人は、幼くて甘えん坊の子供のコトバしかしゃべらない。
さあ、問題よ。
私、こんなふうでいいと思う? よくないね。全然よくないね。第一、二人の年の違う人間が一人の人間の体の中に住んでるっていうのは不自然じゃない? そうじゃない? まして、これから、私、どんどん年をとっていくでしょう。私の中の日本人と中国人の年の差は開いていくばっかりだよ。どうしよう。
私の中の中国人がいつまでも十一歳のコトバしかしゃべらなければ、私、多分、いつまでも中国を理解することはできないだろう。きっと、そうだろう。
幼いコトバをしゃべるということは、幼い頭しか育てられないことと、私、思いますよ。そう思うんですよ。だから、幼い中国語しかしゃべらない人間は、きっと中国を理解できない。幼すぎることは、理解できないことが多いということだろう。
中国は、私にとって両親そのものですから、両親は、中国そのものなのだから、こんなふうだと、私は両親をいつまでたっても理解できない。
これは問題だわ。とても問題だわ。
私の中の中国人を、私は成人させなくてはいけませんよ」
これが三女の物語。子どもとしては六番目です。長女次女長男次男三男三女四男。
小蓮(シャオリェン)の恋人―新日本人としての残留孤児二世 (文春文庫)
- 作者: 井田真木子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1995/10
- メディア: 文庫
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頁15 プロローグ
「恋愛は一番の問題ですよ。この国で誰を好きになるか。それは大きな大きな問題ですね。だって、そうでしょう。好きな人のいる国は、誰でも好きになる。好きな人のいない国は、最後まで好きにはなれない。理屈じゃないよ、人間、そういうものだよ。
(中略)
「僕らには恋愛する相手がみつからない」
なぜか。
「恋愛というものが、一番理解しあえる他人に出会うことなら、二世は二世を好きになるのが一番合理的だよ。だけど、今、東京に恋愛ざかりの年頃の二世がいったい何人いる? せいぜい百人どまりよ。
僕はそれは寂しいことだと思うよ。たった百人の中にしか、この国を好きになる可能性がないのって寂しいね。たった百人の中にしか自分の将来がないのって寂しいね。僕らは恋愛が必要なのに、僕らには恋愛が少なすぎるのよ」
これは三男のセリフ。長女と次女は中国で既に農家に嫁いでいて、老公とその眷族が続々と来日する展開です。次女は、発育時期と大躍進はズレてるはずなんですが、慢性的な飢餓状態、栄養失調状態で生育したため、心身に影響が残り、亭主もちょっとそういう人です。行政などの支援がないと生きられない。
頁34から、時々、半々という日本語に「イーバーイーバー」というルビが振られて登場します。"一半一半"、yibanyiban という単語の発音を著者が耳で聴いてカタカナに落としたものが「イーバーイーバー」私が聴くとイーバンイーバン、北京風に舌を巻くならイーバルイーバル。あなたは中国人日本人どっちなの?と中国人に聞かれた時に三女が答えるセリフです。吉林駅から、まず日本人は乗らない鈍行列車「客」で拉法駅で降りると屋台でサンザシを売っていて、満州から帰国した日本人にとっては、タンフールー、串に刺して飴を掛けた"糖葫芦"が郷愁の味だが、彼女にとっては直接樹からもいで食べる果物だというキャプションが入ります。
頁141 第四章 恋人はどこにいる
「(略)それと同じように、俺、二世とばかりいるのって、あまり好きじゃなかったね。
日本語学級には二世がたくさんいるね。その学校全体に、二世の子供が多いんだよ。だから、何か二世の子供にもめごとがあったら日本語学級の生徒が全員わっと集まる。だから、二世だからってあまり不自由しなかったのはよかったよ。
そもそも、その学校の番長ってさ、二世の、俺の親戚だったよ。すごく体の大きな奴で、一年生のときに三年生をやっつけて、それで一目置かれちゃった。
だけど、俺さ、そいつが俺と同じ高校を受験したとき、正直な気持ち、どうか落ちてくれますようにって祈ったの。
なぜかって? もう、そいつと一緒にされるのが嫌だったのよ。そいつと一緒にいると二世って、みんなそいつみたいに番長だと誤解されるじゃない。
俺は、俺という人間で勝負したいと思ったんだよ。
中国的な女の子が好きじゃないのも同じことかな。中国人の娘はシャンとしてるね。大きな声を出すし、思ったことはすぐ口に出すね。いつも、背筋が伸びてる。
僕は、おかしいねえ、そういう子じゃなくて、何か話すたびに、口を手でおさえるような、日本人的な娘さん、好きなのよ。あんまり労働ばかりしてる娘じゃなくて、ちょっとだけ、おしゃれが好きだったりさ。そういう静かな、恥ずかしがりやな、短気じゃない日本の娘さんが好きなのよ」
上は次男のことば。今の若い中国人女性はまた違うと思います。下は三男。
頁143 恋人はどこにいる
「日本語学級にいるとき、思えば、僕、何の問題もなかったよ。女の子ともつきあったし男の友だちもいた。他人に親切にしたり、優しくしたりが、そんな、むずかしいことだなんて知らなかったよ。
日本に生きることがそれほど大変だって、知らなかったんだ。大変だということの中身を知らないじゃない? 何も、わからなかったのに、一人ぼっちになってしまったんだ。ぽつんとしてしまった、僕。
でも、僕はいいほうよ。僕の友達、もう誰とも話をしなくなってるよ。日本人とも中国人とも話をしない。全然、口をきかないんだ。日本人とあんまりケンカしすぎて、もう誰とも話さなくなったんだ。どんな言葉もさ。
いつもいつも暴れちゃって、もうとまらない知り合いもいるよ。暴れるのがとめられなくなっちゃったんだ。病気だよ。我慢ってことができないんだ。おかしくなっちゃったんだ。彼ね、中学で苛められて、もう完全におかしくなっちゃった。それでさ、中国に帰って、その病気を治そうとしたよ。でも、治せない。どこに行っても治せないよ。
彼ね、すぐかっとする。むかっとくる。親にも暴力ふるうんだ。親に金を出せって言う。親は金がないだろう。そうすると彼、すぐにハサミや包丁つかんじゃう。刃物ふりまわしちゃう。暴れなくっちゃ生きていけないんだろう。もう治らないんだろう。
俺、だから、すごくいいほうだと思うよ。俺、日本人の中にぽつんとしてたけど、そんなことにはならなかった。俺、とてもいいほうだと思うよ。神経質でショックを受けやすいタイプは、きっと、僕みたいにいかないだろう。きっと、完全におかしくなっちゃうだろう。
恋愛どころじゃないよ。自分が壊れなかったんだから、僕、いいほうだっただろう」
下記は四男。中国では消化器官に問題があり、寝たきりで、将来がないと思われていたが、日本で手術に成功し、一気に将来への展望が沸き起こる。クラスメートからも優しくされ、幸せな日々を過ごしていたが、三男三女とともに、日本語学級のない普通の小学校に転向した途端、変わる。
頁134 恋人はどこにいる
「おねえさんは小学校六年生だった。学校の中で、世界の中で、僕の言葉をわかる人、僕の気持ちが通じる人は、おねえさん一人という気持ちだったよ。
学校にはたくさんの人がいる。どんなにたくさんの人がいても、誰にも気持ちは通じない。誰も信頼できなくて、何かを言われれば、すべて悪口だと思った。
僕は、すぐ怒って、どなって、暴れて、学校に行かない人間になってしまった。みんなが僕のことを怖がって、僕は、みんなを憎んでいたのよ。
先生も憎んでいた。僕、学校に行く。すぐケンカをする。ほうきを持って、おねえさんのクラスに殴り込みにいく。おねえさんを、それで救うつもりだったんだよ。
先生が怒る。僕はもっと怒る。そして、僕はすぐ学校を飛び出して家に帰ってしまう。それの繰り返しだったよ」
(中略)
「きっかけがあるのよ。あまりにも単純なきっかけだけど、それを聞くと、カッとなってみさかいがつかなくなるのよ。
それは何かということですか? それはね、私たちが中国人と言われること。うん、そうなんだよ」
(中略)
「私、また中国人と言われた」
手術に成功したとはいえ、まだ、ほかの子供に比べればはるかに小さくひよわな貴雄の体が緊張する。
「中国人って言われたの?」
「そう、中国人と言われた」
貴雄が我を忘れるのに、それだけで十分だ。
上村家の末弟と末妹は、毎日のように、その会話を繰り返し、そのたびに貴雄は満智子の同級生を相手に大暴れした。
これ、地方は違いますけど、私の見聞きした、同じ空気です。私は傍観者という名の加害者側でしたが。ただ、田舎で校内暴力が盛んな頃でしたから、もっと別なことで暴れたりいじめたりが所狭しとあって、プライオリティは低かったです。
そうした学生生活を経て、社会に出て。
頁161 第四章 恋人はどこにいる
大家族での暮ししか知らない貢雄は、初めての独り暮しで、さらにひとつ、あるものを失う。
中国語だ。
彼は、部屋で一人きりで過ごすことに慣れてきた頃、中国語でものを考えることができなくなっていた。
初めてそれに気がついたのは、父と話したときのことだ。(中略)
「仕事はどうだい」
(中略)
「うまくいっているよ」
こう中国語で答えようとしたとき、彼は、突然、その言葉を思い出せないことに気がついた。
「どうなんだい」
立春がたたみかける。
貢雄の頬に血がのぼった。困惑と緊張で顔が真っ赤になっている。こんなことは初めてだ。体がこわばり、声が出ない。
「大丈夫だよ」
彼は、ようやく日本語でそう答えると、父のそばを急いで離れた。中国語だけをしゃべり、日本語を解さない立春のことがひどく疎ましかった。
それでいながら、次の日、蕎麦屋にもどると、貢雄は、入ってきた客にむかって“いらっしゃいませ”という一言が出ない。実に簡単な言葉なのに、日本語で大きな声を出すことができないのだ。
日本人と日本語で話すことは苦痛でたまらないのに、一方で、中国語は彼の頭から急速に失われてしまった。
これを、彼は、名前を変えることで乗り切ります。一家の日本名は、区役所の戸籍課の人間がつけたわけでなく、中国で離ればなれかなんかになった娘を発見して身元を引き受けた祖父が つけたわけですが、部外者の私が見ても、成長が危ぶまれたふびんな状態だったとはいえ、四男が貴雄(たかお)で、三男が三男(みつおと読む)では、だいぶ違う。次男は友成(ともなり)、長男は和夫(かずお)。それぞれ中国語で読むと、長子がハーフーというかヘーフーというか、日本にない音で、二子がヨウチェンというかヨウチョンというか、これも日本にない音で、三男はサンナン。日本にもある音で、日本語でも三男は「さんなん」と読みますよね。かなりてきとう、どうでもいい響きと本人が思ってしまっても不思議でない。そんで四男がグイション、これ、カッコいいです。「貴」って、いい漢字ですよね。「雄」もいい字。それと三男では、ちがいすぐる。ので、三男は、日本語の音は同じな貢雄に変えますが、「貢雄」、中国語だと、ゴンションで、それなりにカッコいいです。「貢献」は中国語でも"贡献"で意味は同じ。親や恋人の親族諸々ひっくるめて、面倒を見させられる宿命の性格を持った彼に、それを自負させるに足る名前です。
だいたいこの兄弟は中国語の名前からして氏族の古いルールで、代が変わるごとに順繰りに十二世代で繰り返される漢字一文字を入れねばならず(これは、村の半数近くが朝鮮族という社会なので、逆に漢族側にも残ったルールな気がします)、彼らの世代の場合はそれが「成」という字なのですが、日本側の祖父はその辺理解してないので、次男だけその共通の字を日本名に入れてしまい、長男四男はそれぞれ名前の「成」以外の字を使って日本風にした名前をもらいます。三男の場合、成余という中国名だったので、「余」もてきとうだな、余った子じゃ不憫じゃんと祖父は思ったのか、三男そのまんまになってしまいました。その下の弟は中国名でも"贵"、日本名でも「貴」いい字。で、この時、三女も名前を変えて、道子から満智子になります。これも日本語の読み方はいっしょで、私が見ると、マンジーズのどこがいいのかわかんないんですが、元の名前のダオズがイヤだったとのことで、いいじゃん "刀子" と同じ発音なのに、と思ったのですが、道路の子と書いてヤッパひかりもんナイフどすと読むのでは、そりゃ嫌かも。
恋愛といってもなかなか難しいので、親戚やら何やらに声かけて、大陸女性(というのもヘンですが)に日本に来てもらって結婚という、写真花嫁みたいなことをするそうで、頁184、まずおとなしい長兄がそれをやって、大連という大都会からピンクのワンピースとハイヒールを履いた娘がやってきて、長兄は吉林省の田舎(村の人口の半分近くが朝鮮族。そういう村は多いですが、やっぱ微妙に緊張してるんだろうと思います、このルポルタージュとなんの関係もないですが)である程度百姓仕事が板につく年まで生きてから日本に来たので、中国の農村男性の風貌かつ老け顔を備えており、城市人の大連娘が気に入るはずもなし、初対面で、あんたイヤ弟のほうがいいと言い、家に行く前にまずアキバに連れてかせてウォークマンを買わせ、畳の部屋にハイヒールのまま上がって注意され(まーこれはよくあるか)、家事一切せず婚姻ヴィザゲットすると三ヶ月ほどで失踪し、台湾人の男と暮らしてるとの情報が入る。
次男もハルピンから呼んだ女性と、お互いじっくり品定めをした後結婚し、彼女はマリッジブルーになります。我们并没有谈恋爱而结婚的,我们做的就是调查,调查对象,他是否能当自己的伴侣,性格怎样有没有浪费暴力等等毛病、一辈子一辈子,いいえ、いちど私はレンアイがしたかった…
三男は残留孤児二世同士の親睦の集いで知り合った、成長後来日した、開封出身の気の強い娘におしかけられ、彼女の親族ぜんぶの面倒を(煩瑣な事務手続きの書類記入等)見させられ、限界に達し、
頁245 第六章 家庭王弁当の恋人たち
「(略)お前のおやじの仕事を探し、お前の兄さんの結婚相手を探し、お前のおふくろを中国から呼んで、住むところを探し、パスポートやビザの書き換えの申請をして、区役所と渡り合うのを、ちょっとした手伝いだと言うんなら、もうやめてやろうか。
そうしたら、何がおこるか、言ってやろう。お前たちは、もう日本に住めない。お前たちは家族そろって、この日本じゃ何もできないんだ。
俺がすべてをやっているから、お前もお前の家族も日本で生きていられるんだ。お前たちは、何もやってはいないんだ。でも、望むなら、すべてをやめてやるよ。それで、何がおこるのか、自分たちの目でみたいというのなら、俺はすべてをやめてやるよ」
暁嫚は黙った。彼女は貢雄がめったに見たことのない表情を浮かべていた。暁嫚はすでに気丈夫でもなく陽気でもなかった。彼女は途方に暮れ、貢雄の表情を見上げていた。
「あんたもそう言うのね」
暁嫚は言った。
「あんただけは、それを言わないと思っていたわ。
ほかの人は言うだろうけど、あんただけはそれを言わないと思っていたわ。でも、あんたもそれを言うんだね。あんたのように親切な人でも、やっぱりそう言うんだね。
わかったよ。そう言われても当然だと思うよ。いつか、そう言うと思っていたけど、でも、あんただけはそう言わないとも思っていたんだよ」
よくこんなに流暢に中国人気質を日本語で表現出来るものだと感心すらします。作者は天才だと思う。
以下、満智子の帰郷。
頁200 半々
日本にいると、中国人だといって苛められる。中国にいたときは日本人だって苛められた。私に責任がないことで苛められるのよ。いつも。私は、自分が望んで“半々”になったわけじゃないよ。だけど、自分に責任がとれないことで攻められるのが、苛めだからね。そんなことで苛められると、私、まず考えること、前にいる人を突きのけて、どこか安全なところに駆け込むこと、それだけです。
(中略)
「おおげさだと思っているよね」
満智子の声は大きくなった。
「おおげさじゃない。違うのよ。
だって、私が“半々”だとわかったから、あのおじさんは、私が見たこともない息子を日本に連れて行けと言い出したでしょう。ほら、見てごらん。私が“半々”だとわかっただけで、そんなことを言われたでしょう。あなた、わかりますか。中国の中で日本人だとわかられることは、息子を日本に連れて行けと言われることです。それから、日本人として憎まれることです。
(中略)
「あのね、今日、私たちは村に行きましたね。そうですね。それで、あなた、あの村、どんな村だと思いましたか?」
(中略)
「あなた、こう思いませんでしたか。とても平和な村だ。みんなが、とても平和で、アヒルと牛がいる村です。そう思いませんでしたか?」
私がうなずくと、彼女は続ける。
「でもね、私には平和な村の裏側が見える。きっと、あそこには日本人と“半々”を憎んでいる人たちがいる」
(中略)
問題なのは、それが誰か、どこにいるのか、私にはわからないことよ。もし、そういう人たちがいるとしても、私はわからない。中国を離れて十年間もたつから、わからない。どこから攻撃されるかもわからない。
(中略)
「でも、私はきっと帰るわ。何があっても、きっと帰るわ。私はそういう人間だもの。私は、それでなければ気持ちが落ち着かない人間だもの。私はあの村に帰るわ。中国人が私をどう思っていても、私はあの村に帰るわ。あの村に帰らなければ、私は気がすまないわ」
(中略)
「ええ、そうよ。私は逃げない。私は、最後には逃げない。私はあの村に行きます」
貢雄は暁嫚と新婚旅行に香港に行って、人々が話す中国語が分かるだけで、全部ヘンな感じだったと回想します(広東語だから分からないと思うんですが、そう書かれてます)道路の不法占有とか、騒々しい喋り方とか、整理整頓してないところとか、自分は田舎育ちで香港は都会だけども、中国も中国人も、半分ウソみたいな、うるさくて、だらしないところで、日本に逃げ帰ってほっとしたと。(頁252) 友成のハルピン嫁は帰郷して再来日のおり、当時中国で大流行していた、例の前髪を鶏のトサカ状におったてたヘアスタイルにします。これ、ものすごく懐かしいです。なんでこんなアホな髪型にしてたのか。普通の商店にミラーボール置いたりして。(頁313)
満智子は北京で、日本でつきあってる北京からの留学生が、日本国籍は武器だと言ってたことを、著者の紹介の日系企業で働く現地人(大卒)から裏付けされる経験をします。GDP世界二位になった中国から見た21世紀の現在では、日本国籍どういう位置づけになりましたか。また、彼女は、彼氏の実家で、農村とは違う中国人と接します。城市人の知識分子の人たちです。
頁306 北京で
私、ずっと言葉は武器だと思っていた。小学校のとき、言葉は言い返すためにあったんだよ。苛められたとき怒鳴り返すためにだけあったんだよ。
私の言葉はケンカのための言葉でした。日本語も中国語も。言葉ができれば、ケンカが強くなる。みんなをやっつけられる。苛められなくなる。そんなこと、この年になるまで本気で信じていたのよ。
私ね、彼の両親みたいな中国語をしゃべる人をこれまで知らなかった。でも、彼のおとうさんがしゃべったとき、彼のおかあさんがしゃべったとき、言葉は誰かをやっつけるものじゃないとわかったよ。直感みたいなものでしたよ。自分には、とても足りないものがあると、それは、きっと文化で教養で、胸がドキドキするほど、それは私には足りないものだとわかりました。
言葉は武器でなく、言葉は文化で教養です。
それがわかったからね、私は帰ろうと思うんだよ」
しかし私が圧倒されたのは、逆に、中国人の報告文学であっても、城市人の城市人の言葉による農村報告というフィルタがたえずかかっていまう農民の声が、農民自身の口から直接満智子の翻訳を通じて著者に届けられ、それが極めてみずみずしい日本語で書き留められている、頁294や、頁288です。農村のことばで直接語られても分からない、けれど城市のことばに置き替えられたそれは、やはり原文のニュアンスと多少違ってはいないだろうか。勿論本書の農村少女たちの会話や独白も、学校で普通話教育を受けているわけですから、翻訳が必要な農村ことばというわけではないと思います。しかし、ひとり飛ばしていきなり日本語にパスされた想いやさざめき、笑い、悲しみの感情は、より強い力をもって、正確に私たちに語りかけてくるような気がしてならないです。ここは本書の白眉で、美しかった。
http://kyubenren.org/seimei/data/20140913.pdf
以上
【後報】
おまけ。この本の後ろについてた当時の文春単行本広告。
(2019/10/26)