『島国チャイニーズ』読了

 ペシャワール会の『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』は地元図書館の分類では経済書コーナーにあり、書き手は苦虫を噛み潰してるでしょうが、国際援助とかODA経済書のいちコーナーの分類になりますので、それでそこにあるです。で、中村医師の本を見てたら、横にこれがあったのでついでに借りました。

島国チャイニーズ

島国チャイニーズ

 
島国チャイニーズ

島国チャイニーズ

 

 装幀…川島進(スタジオギブ)初出は月刊現代及び『本』大幅加筆との由。連載は2010年までですが、本として出たのは2011年の3.11以後。まえがきでは、放射能を危惧して我先に逃げる留学生、自身は残りたいのだが肉親が泣いて帰国を勧めるので日本を離れる留学生、の渦の中、ふとしたきっかけで、一度しかない人生だから、自分が本当にやりたいことをして生きようと決めた中国人留学生が災害ボランティアに加わった日々から書き始めています。でも脱稿出版は2011年の夏ですから、それから現在までいくとせの月日がたったのか、その間本書に登場する人物や団体は、変わったのか変わらなかったのか。変わったとすればどう変わったのか。インターネット時代にノンフィクションを書き上げた後あらわれるこの問題点、検索して知る「その後」を繋ぎ合わせて考えるべきなのか、脱稿時点で世界が止まるわけではないからこその難しさが本書にもあります。

野村進 - Wikipedia

この人の代表作、コリアン世界の旅は多分読んでるのですが、朝鮮族やカレイツイ、それと、李恢成がドイツで同棲してたような、欧州留学や中東出稼ぎのコリアンを紹介してる本だと思い込んでました。どうも違うようで。本書も連載時はチャイニーズ世界の旅と題していたそうで、それが何故「島国チャイニーズ」というタイトルになったのか。「島国チャイニーズ」=「在日チャイニーズ」の意味だよ、と作者は弁解してますが、やや苦しいです。大陸、メインランドチャイナに対し、台湾や島嶼部アジア在住華人(例えば郁達夫がスマトラで娶った現地華人女性など)はなべて島国チャイニーズだと私は考えてしまうので、日本だけを暗黙知で島国と規定する題名には、???と思ってしまいます。

そこがまずつまづきのひとつ。さらに、「反日」に焦点をあてていますが、その言葉と表裏一体となっている、「愛国」について、いかなる理由か、考察を一切スルーしていて、それではダメじゃんと思いました。だから、頁196で、「小日本シャオリーベンレン」なんて不思議な造語を出したりしてんだんべ。シャオリーベンに「人」は、つけないだろうなあ、「人」つけるなら、サパニン、ヤップンヤン、リーベンレンだけでよくて、「小」はつけないんじゃいかと。

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長野駅前2008夏

留学生に一章割いて、「反日」についても考察してるのに、「愛国」の聖火リレーとかぜんぶスルーなんだもん。以下後報

【後報】

まず第一章が劇団四季の中国人俳優女優たち。連載時の2008~9年なのか単行本刊行時の2011年なのか知りませんが、その当時で劇団四季の所属俳優女優約七百名の一割が外国人で、中国人は二十数名。韓国人はその二倍いるんだとか。韓国人が多い理由は書いてませんし私にはまったく見当がつきませんが、中国人がいる理由は、ズバリ本国の過当競争だと思います。世界各国の代表卓球選手がのきなみ中国人になってるのと同じことで、中国の雑技団や戯劇学院のレベルの高さと、その後のパイにあぶれた者たちの中に、日本だけではないでしょうが、海外に活路を目指す者がいるのはある意味当然かと。で、私は先行する韓国人アクターアクトレスの悪影響だと思うのですが、ほとんど日本名を名乗っているので、舞台やパンフではそれと分からないんだそうです。ごくまれにいる中国名の役者さんも、読み方はピンインのカタカナ読みでした。役者だから、それで仕方ないかなと。発音イントネーションの壁も、劇団四季特有の発声練習で早期に克服出来たり、後は個々人の能力差だったりといういうことみたいで。

中央戯劇学院 - Wikipedia

上海戯劇学院、北京電影学院と共に中国を代表する演劇大学として名高い。毎年行われる入学試験では、特に表演系は中国全土から何万人もの俳優志望者達が受験。表演系の入学試験で試されるのは、演技力や表現力に加え、正しい発音など...合格するためには何千倍もの競争率に勝ち残らなければならない。

(略)

ミュージカル科は日本の劇団四季と関わりが深く、同劇団に入団し日本の舞台で活躍する卒業生も増えている。

口さがないファンの「うわさ」として、初日こけら落としは邦人俳優多数で固めて、公演が進むにつれて、徐々に外国人俳優主体にシフトしてゆくのではないか、というのがあり、劇団広報が明快にそれを否定してみせたり、有吉佐和子の娘の評論家の人が、そうやって熱心なファンからの厳しい視線に絶えずさらされてるのはいいこと、としています。また、ファンのあいだでは、外国人俳優もまた質のばらつきがあり、手放しで見ていられる者と、今なんて言ったの?と発音を確認せんならん者が玉石混交だとのことで、それも広報は否定してたかそこまで作者が突っ込まなかったか、どっちかです。

中曽根のブレーンとしても活躍した浅利慶太のインタビューで、日華国交断絶前に大陸から来たバレエ団のダンサーが全員、ジャンプすると足が全部水平に開く二重股関節の持ち主で、日本だと稀にしかいないのに、あちらは人口パワーで全員そういう素質の素材をかき集めることが出来るのかとおかしそうに思い出ばなしを語っています。作者からしたら浅利慶太の中国観は是々非々なのですが、中国からしたら親中ではないからダメな部分もあるだろうなと読んでて思いました。劇団四季昭和の歴史三部作は、そのうちの李香蘭が'92年日中国交正常化20周年記念公演として北京長春瀋陽大連で公演されたそうですが、あの頃の中国は天安門事件で西側から総スカンで、日本ぐらいしか寄ってくるのがいなかったですので、江沢民以後も継続して上演してるのかというと、'92年だけで終わってるみたいでした。そりゃやっぱ歴史観が違うからw 作者は浅利慶太日経新聞1999年3月2日夕刊の発言におおいに感服して、引用してます。

「中国人と今後も平和に暮らしてゆくには、隣家にもうひとつ気の合わない人が住んでいる、と思った方がいいかもしれない」

劇団四季 昭和の歴史三部作 DVD-BOX

劇団四季 昭和の歴史三部作 DVD-BOX

 

ミュージカル李香蘭 - Wikipedia

浅利慶太は、韓国人も中国人も、帰国後、自分で劇団を立ち上げてプロデュース業とかしないのを不満に思ってましたが、それは現在どうなっているのでしょうか。アルファベット三文字48の上海が日本と縁が切れても日本のノウハウナレッジ含めてやってるみたいな、ネトウヨが完パクと嘲笑うやり方以外で、母国でも劇団やってこうという人材が出てないのは、意外な気がしました。あっちは鶏口となるとも牛後となるなかれですので、やればいいのに、と。どうも劇場で演劇をやる土壌がないので、それを個人で打破しよう、その人個人は報われなくても種を蒔こうという人がいないというふうに読めてしまいましたが、さて現在ではどうでしょうか。中国は知りませんが、韓国は舞台もそれなりにあった気がするので、ほんまかいなという気分です。

その次の章は、日本の大学で教鞭をとるというか、日本のアカデミズムの世界で頭角を現わす人たち。文革で教育の機会を得られなかった人たちが、むさぼるように改革開放でまなびに狂奔し、行ける海外の選択肢があまりないなかで日本に来たという、もうそれは知ってるよその後自由になるとやっぱり欧米ファーストで、日本留学はセカンドになるし、海亀というか、最近は母国が帰れ帰れで、優秀な人材がどんどん帰国してるんでしょうと思う人は「知ったか」ですので嫌われます。朱建榮拘束とか、今検索したら2013年の出来事で、それから今まで、なあんも変わってないなと。

www.nikkei.com

象牙の塔の人たちの名前は、芸能人じゃないので、日本語の音読みで読むべきだと考えますが、作者があげている一人はおうびんならぬワンミン(王敏)で、あと徳島大工学部の任福継教授で、この人は「にんふじ」と読ませるそうで、姓は日本語の音読みで名前が北京語読み(ひらがなにするとキラキラみたいにも見えますが、"fuji")で、ややこしいと思いました。レンフージーにするとそり舌の”r”がムズいかしれませんが、「ふ」だって、日本人の「ふ」は多くが"fu"でなく唇を擦り合わせない"hu"ですから、やめたがいいかもです。「にんふっけい」で、何がイカンのかなあと。もう一人、全日本中国人博士協会会長の李磊という人は、カタカナで「リライ」とルビが振られているのですが、石三つの北京語はレイですので、これは日本語の音読みです。IMEパッドで今調べた。カタカナで書くとかまぎらしい。あと、企業の研究員が二人出ますが、どちらもルビなしです。たぶん日本語の音読みだろうと思うのですが、なんでそこ書かないかなあ。

頁53、改革開放期の留学生がバブル期の日本で刻苦勉励した時のあるあるエピソード、使える家電製品をゴミ捨て場から拾う話などが出てきますが、これ、私は、NHKのテレビ中国語会話で見てのけぞった思い出があります。小皇帝の甘やかされドル建て仕送り組が、代々留学生に受け継がれてきた扇風機を継承させられる話。それを日本人の中国語学習者にドラマとして見せて何が楽しいねんと。

国に帰った後の帰国組と現地の官僚的アカデミズムとの相克も、語られそうで、読者の想像にまかせる書き方です。まああんまり立ち入れないですけど。九年たった現在どうなんでしょうねと。

第三章はヤンイー、よういつ。国籍取る前。頁81、本名劉と書いてあるのですが、ウィキペディアなんかだと劉で、ルビが「リュウチョウ」ですので、後者じゃいかなと。しかもこのルビだと日本語の音読み。ピンインだと"liuyou" リウヨウ。本書の通りの漢字だと日本語の音読みが「りゅうきょう」で、ピンイン"liushou"違うやんと。それ以前に本人的には、卯金の刀の「劉」に違和感があって、簡体字の、ブンに刂の"刘"が自分のサーネームだと思ってるかもしれません。私はむかしの中文導報が好きで、けっこう頭でっかちな考察記事とか好きだったのですが、日本の華字新聞じたいを、結婚ヴィザ持ち向けの按摩求職広告ばっかりになり出した頃から読まなくなりました。ほんとつまんないのばっかりだし、チラシの裏に何を書いても中国人社会にも中国にも何の反応もないオナニーみたいな世界に書き手が倦んでるのかもとは思った。ネットのほうが速いし楽しいしログも残らないように出来るしねと。

で、彼女の書いた散文雑文は、ほとんど残ってないということで、残念閔子騫で、中国語教師としての腕前はたいしたもんなんだそうですが、それは確かめようがないので、なんだかなーと。でもそうなんだ。

第四章は留学生についてで、上にもう書いた気がします。彼らは反日かというルポの切り口では解は出ないと思う。愛国の行方だから仕方ないと思う。

第五章は農村の中国人嫁。メンタルと、性と、車の運転免許がとれるとひとつ風穴が開くという話。中国の農村の嫁問題、北朝鮮から連れて来るとか少数民族を騙すとか歴史的にもトンヤンシー"童养(養)媳"があったし、とかとはリンクも比較もしません。子はかすがいとかザリガニ料理とか舅姑の監視とか、いろいろあるのですが、本書ではなく別に書いた方がいいと個人的には思います。そのほうが婦人問題の人に届くような。作者はフィリピンにも造詣が深いそうで、しかし、国際交流で両嫁が胸襟を開いてなかよく歩む例とか見つけなかったのか、外国人嫁として語りたいのにまとめられず、苦しそうでした。

この章と、留学生の章にもですが、娘のともだち殺した人でしたか、それとか、福岡四人殺しとか、そういう一例を以て全体が語られることへの恐怖みたいなことも書いてありますが、もやもやする箇所です。

第六章は神戸の中華同文学校。何故東京のそれでなく、横浜のそれでもないのかは、神戸ならきれいごとで押し切れるからか、とうがって読んでしまいます。神戸の卒業生で、日本の学校に通いたかったとボソッと言ってた人に逢ったことありますが、そういう人はマイノリティーになるのかなあ。王貞治のパパが生涯民国籍と頁215にありますが、えっそうだっけ、パパは人民共和国寄りというカメレオンというかバランス感覚のすごい人じゃなかったっけ、と思いました。

百年目の帰郷―王貞治と父・仕福 (小学館文庫)

百年目の帰郷―王貞治と父・仕福 (小学館文庫)

 

 頁221に、横浜の混乱と対立がさらっと書いてありますが、放火焼失までは書いてません。

第七章は池袋。例のディスカッションコーナーは、本書の後なのか、本書には出ません。在日中国人メディア自身による自己批判があります。ロクな記事ないよと。で、中国人が中国人を信用しない、出来ない構図が縷々語られます。日本人のほうが信用出来る、みたいな。ほんとかな。カラオケ店が中国人向けのKTVにしてない理由とか。これ、この後現在まで変わらずKTVがブクロにないとは思えないです。観光客向けというニーズが生まれてるんではないかと。作者は文革一人っ子政策が庶民間の相互不信を生んだと分析してますが、さてどうか。最後は中国人向け保育園が成功して、日本人ママが殺到している事例の紹介でした。私はむかし、一人っ子保育士ヤバいと聞いたですが、ここではリンクしません。

 だいぶ日を置いて書いたので、かなり読んでる時のインプレッションがぬけてしまいました。まーでも今書きながらもやっぱり、当代ルポで八年空くと、やっぱ変わったこと変わらないことの明確化が気になってしまうなと思いました。劇団四季とか今どうなんだろう。中華学校は、留学生ビジネスは、農村嫁問題は、西川口にその主戦場を移した東京郊外チャイナタウン物語は。差分が出てしまうためにルポが色褪せるという構造的問題は、なんとかならないかと。以上

(2019/4/9)